虹色わたがし
39 件の小説間違い
「今、自分が信じていることが必ず正しいとは限らない」 どこかで聞いたような聞いてないような曖昧な言葉 心のなかでは分かっているけれど、実際のところ何も分かっていない言葉 自分が信じたいものを信じる 自分が信じたくても信じられないことは悪だ そんなふうに考えることもあるけれど、人間は自分勝手な生き物だし、自分を正しい人間だと考えたくなるものだ そんなことはない と思っていても、そう思っているところが頭の隅にでもあるかもしれない 人間は自分のしらないところで劣等感を抱いている生き物だし 受け入れられないからと意見を否定する 『この言葉たちは間違いだ』 自分が思うこと全てが間違いかもしれない けれどこんな考え方も良いものだ そんなふうに考える 「あなたはこんな人だよね?」 もしかしたら違うかもしれない けれど、そうなのかもしれないと受け入れる 相手が自分を良く理解できていて満足気にしていたら褒める こんなくだらないことだけで、すぐに調子に乗る そんな人間が単純な考え方を持っていないわけがない どんなに取り繕っても結局は人間 そこまで素晴らしい考え方は心のなかでは一切考えていないかもしれない 自分の間違いを正しいと思い込み発信しているだけかもしれない 大多数が正解だと言うからそれが正しいと思い込む人間かもしれない 自分で考える力を持てと言っておきながら、自分で考えたらそういうことじゃないといってくるかもしれない 自分の間違いなど自分では理解できないし、理解したくない だから目をそらそうとする 私も同じだ この言葉たちこそ間違いかもしれない
考え方
最近は色々な考え方に触れる機会が多くなりました。 自分と違う意見を持つ人も多いこの世の中で受け止められないことも少なくない。 同じ人間なのに生きている環境によって全く違うような考え方をする人が大勢いる。 いや、同じ人間だからかもしれない。 「みんな平等でみんな同じ」 「多様性の考え方をもとう」 「差別をやめよう」 言葉で言うことは簡単で 行動にうつすことは難しくて 行動にうつしても、それに反応してくれる人は少なくて 人は簡単に変わらないし変えられない。 言葉では分かっているのに、どこかで自分なら大丈夫という言い訳をくりかえしてる。 「バレなければ犯罪ではない」 「社会は弱肉強食」 「差別はなくならない」 こんなに不幸せなことは簡単にできるのに、幸せなことは簡単じゃない。 みんな平等では社会は動かないし、多様性という言葉は曖昧すぎてどこまでを受け入れれば良いのかわからない。 どんな行動をすれば差別ととられるのか。 自分の当たり前が他の人の当たり前の内に入るのか入らないのか。 悪意をもっていなければ許されるのか。 自分の当たり前を行動したのが悪いのか、自分の当たり前を作った周りの環境が悪いのか。 世の中では受け入れられない考え方をする人がたくさんいるし、それを受け入れて欲しいと願う人がいる。 けれど、受け止めきれない人はいるし、世の中の全員が同じ意見をもつことなどない。 みんなが自分の当たり前を信じているけれど、必ずそれが多数派の意見とはかぎらない。 世間の目を気にして自分の意見をまげる人もいるし、その違いに気づかない人もいる。 多様性と言いながら人は美しいものを見たがるしなりたがる。 自分と他人を比較しなくて良いという人はたくさんいるけど、そんな人でさえ比較してしまうこともたくさんある。 自分を否定し続けている人だっているし、自分の幸せを見つけて生活している人だっている。 受け止めきれない気持ちを無理やり受け入れるのではなくて、諦めて受け流すことも大事な生き方だと気づくときがくる。 それが難しくとも、たくさんの負の感情に押しつぶされようとも、いなくなるのが怖い私たちは生きていくしかない。 自分の感情全てに耳をかたむけて、他人の考え方に意見し続けたら、ただ疲れていくだけ。 自分の考え方を頭の中で理解できたなら、それで十分。
感情
自分でもよく分からない言葉が頭の中を蠢いていく 自分の本当の気持ちはなんだろうか この気持ちは本当に正解なんだろうか 正解とはなんなんだろうか 自分の感じていることについて自分がわからないことが怖い たまに昔を思いだして泣いて 今にすがりついて 人にすがりついて 自分が醜い化け物になったよう 心の拠り所がやっと見つかって 自分の気持ちを無視することができるようになった自分がたまに嫌になる そうならなくてはいけなかった環境が嫌になる 自分が自分を1番理解していたい 自分の感情は自分が操れるようになりたい なのに自分の感情が暴走して その感情が自分の本当にやりたいことのような気がして 気がついたときにまた自己嫌悪におちいる 死んでしまいたいわけじゃない 生きていたい 生きていたいのに 死んでしまいたい自分の気持ちがよくわからない 大きな気持ちをもたなくて良くなったときに不安になってしまう 自分がもたなくてはいけない気持ちはもういらないらしい 自分で自分の感情がわからない 自分がどういう行動をしたいのかわからない ただ訳もなく流れてしまう涙を誰にも見せないようにするだけだ そうして笑顔を貼り付けていつもの繰り返し
生きなきゃ
生きなきゃ 私は何も辛くないんだから 生きなきゃ 私は笑えているんだから 生きなきゃ 私は美味しいご飯が食べれて眠れるんだから 生きなきゃ生きなきゃ たとえどんなに辛くても笑顔を貼り付けて 人に「大丈夫だよ~」って嘘ついて 「人生、何も悩みがない」みたいな顔しながら 「大丈夫、大丈夫」って口癖のように言って ずっと言い続けたら...いつか幸せになれるから 生きなきゃ... 生きていれば幸せは巡ってくるらしいから 生きなきゃ... 努力すれば人生は変わるらしいから 生きなきゃ... 生きていればそれだけで良いらしいから そんな思いで今日も生きている 誰かの迷惑にならないために とりあえず生きとかなきゃ そんな思いが自分を殺していく 『生きなきゃ』が『死にたい』って『助けて』って意味に変わっていっても 生きなきゃ 私だけが辛いわけじゃないから 生きなきゃ生きなきゃ...
暗闇
朝、目を覚ますと考える 自分が今生きている理由を あるときは『生きていることが幸せ』だと思えるのに あるときは『生きていることが苦痛』になる 眠るときに出てくる化け物は私を『食いつくそう』としてくる 朝起きたときは太陽が今日も『生きている』ことを教えてくれる 空を見上げると『自由に飛んでいける気』がして 地面を見るとどこまでも『沈んでしまう気』がしてくる 愛されているときは『心が暖かく』なり 裏切られたときは『心が壊れて』いく 暗闇の中にいると自分は『恐怖』する 暗闇の外にいると『自分が惨めに見え』てくる けれど、暗闇は光を目立たせ道を示してくれ、休ませてくれる 暗闇の中は時間が経てば幸せだと思えてくる
ありかた
自分のあり方を考える 自分の生き方を考える これであっているのか 冷たくないか ひどくないか ずっとずっと考える 考えて考えて考えているのに、自分は何も変われない 変わろうとしているといえば嘘になる けど、大切な人達が辛く、悲しい思いをしないよう ずっとずっとそれだけを思っていた なのに、自分は何も変われない 人を傷つけるだけの自分なら死んだ方がマシだ 人を悲しませるだけの人間に何の価値があるんだろう そんなことを考えながら、毎日を過ごしている 自分の生き方が本当にあっているのかもよく分からない 後悔しながら生きていくしかない それが人生だと思いながら
助け
ある人間の話だ そいつは学校で虐められていた そいつは助けを求めた 先生、家族...大人に この地獄から助けてほしいと願った だが...「助けてやる」と言うばかりで 何もしやしない では何のための大人だ? 子供を守るのは大人だとほざきながら自分たちは何もしない できやしない 人間は成長した そいつは友人にこう誘われた 「今いる会社よりも給料が良くて、お前の望む仕事ができる」と そいつは会社を辞め、転職した が、その会社の人間たちが酷すぎた 仕事をせず、ダラダラしているだけ 何の仕事をするのか聞けば、休むことが仕事 自分たちの仕事に誇りもプライドもない奴らと一緒にいたくない そう思った そして、その友人と話をした けれど、その友人は「あぁ」「そう」挙句の果てには「仕方ない」 何を言っているのか分からなかった もう立派な大人だ 冷静に話し合いができると思った けれど、それは無理だった そいつはいつの間にか友人を怒鳴っていた だが、その胸の奥にあったのは怒りでも悲しみでもなく、 友人に対する哀れみと後悔、惨めさだった 自分がどんなに無力かを思い知った 大人だから強い訳ではないことを知った 大人だから正しい判断と行動ができるわけでもないことを知った そして、またそれが悲しくなった では過去の自分は何を憎めば良かった? 己か?加害者か?見ていた者たちか? 自分は何か間違えたのか? だが、誰もその答えを教えてはくれない 自分で考えるしかない 誰も自分に教えてはくれないのだから 誰も自分を守ってはくれないのだから
友達
「私たち一生友達だよ!」 こんな言葉を言われると、その「一生」はいつまでなんだろうと考えてしまう 小学生、中学生、高校生、大人になっても、まだ「一生」なんてないと感じる 価値観の違いで別れ 恋愛でも別れがおこり 物理的に離れても別れ ひとつの言葉でも別れることができる人間が「一生」繋がっていることなど、ないのではないかと思う それでも人間は「一生」という言葉が好きで、いつもいつもそれを使う ありもしない未来の話をして将来に大きな期待をよせる 私はそれをくだらないと考えながら 「そうだね!」と作り笑いで言う自分に慣れてしまった
死にたいあなたへ
「死んでしまえば楽になれる」 そう思って命を投げ出す そんな人間がいる 私もそう思う でも「命」という重みが自分を繋ぎとめる 痛いから 大切な人にもう二度と会えないから だが「楽」とはなんだろう 働かないこと? 怒られないこと? 暴力をふられないこと? 一生、自分の好きなことができること? 全て、広い目がないから思うことだ 働きたくないなら辞めてみたらいい 人生は長く、そして短い その時間を無駄なことに投げ出すほうがアホらしい 辞めてみたら以外とどうにかいく ニートになってもホームレスになっても人生の経験だ 怒られたくないなら頭を使えばいい 頭を使ってズル賢く生きればいい 暴力をふられたら大人に泣き叫べ 「あいつにやられた」と被害者ヅラで可哀想と思わせたら勝ちだ もし無理なら社会的に殺せばいい 最近なんて個人情報は何かの世の中だ 言葉を発することが無理な世の中に呑まれるな あと、一生好きなことをやるのは退屈だ 好きなこととはなんだ? ゲームをすること?旅行に行くこと?自分を磨くことかもしれない なら、嫌なことはしないのか? 嫌なことは経験で学びなのに? なんでもいいが、好きなことをやる「だけ」なんて愚の骨頂だ アホらしい みんな、「楽」の意味をはき違えるな 「楽」とは学ぶことだ 好きなことをして学び、苦しいことをして学び、自分の人生をより良くしていくことだ 「楽」は生きているから使える言葉だ 死は「楽」になるのではない 死は「無」になるのだ 死んで「楽」になれると思うな 「楽」とはどこまでもむずかしいことだ 「無」は簡単なことだ また、悲しいことでもある 「無」になれば悲しむ人の涙をとめることも、自分を非難する言葉をふさぐ事もできない 「無」が実は一番簡単で、一番苦しいんだ でも「だから死ぬなよ」とは言わない この無駄しかない人生で「死」を選択するもしないも人それぞれなのだから 「死」とはいつか必ず生き物に訪れるものなのだから 大丈夫だよ。それがたった数年早くなっただけなんだから
才能
「才能が欲しい」 これは誰もが願うだろう 「才能」という生まれ持った特別なもの 誰にもあると言われながら、誰にも分からないもの 自分の才能はなんなんだろうか 私はなんの才能を持っているのだろうか 教えてほしい ...けれど、「才能」が分かって何になるのか 結局はまた…「別の才能がほしい」と願うだろう 人間はとても貪欲で無いものねだりが上手な生き物だ 「才能」に囚われながら「才能」を変えたがる そんなものになんの意味があるのだろうか 「才能より努力の方が大切」は戯言だと私も思う が、努力の方が自分を満たしてくれる それは何ものにも変え難い宝物 素敵だろう? これを見ている貴方も考えてみて 自分の宝物は何かを