あやか

1 件の小説
Profile picture

あやか

二十四年越しの奇跡

第一章 出会いは、春の風の中で 春の風は、いつも少しだけ優しい。 21歳のあやは、駅前の小さなカフェでアルバイトをしていた。 大学に通いながらの生活は決して楽ではなかったけれど、この場所は好きだった。 木のぬくもり。 コーヒーの香り。 窓から差し込む光。 そして―― 「ありがとう」 その日、初めて聞いた低くて優しい声。 あやが顔を上げると、そこには落ち着いた雰囲気の男性が立っていた。 白いシャツに、黒のジャケット。 年上だとすぐにわかる、大人の余裕。 「あ……ありがとうございました」 少しだけ緊張して、声が上ずる。 男性は微笑んだ。 その笑顔は、どこか寂しそうで、でも温かかった。 それが、うじくんとの出会いだった。 ⸻ それから彼は、週に2、3回カフェに来るようになった。 いつも同じ席。 窓際の、一番端。 注文は決まってホットコーヒー。 騒がしくもなく、静かすぎるわけでもなく、 ただそこに「いる」人だった。 あやは気づいていた。 自分が、彼を目で追ってしまっていることに。 理由はわからない。 かっこいいから? 優しいから? ――違う。 一緒にいると、安心しそうな人だから。 でも、同時に思っていた。 (きっと、結婚してるよね……) 左手の薬指は見えない。 けれど、45歳くらいに見える彼に、何もないはずがないと思った。 自分とは違う世界の人。 ただの、常連客。 それだけ。 それだけのはずだった。 ⸻ ある日の夕方。 店内には、あやとうじくんしかいなかった。 「いつも、ありがとうございます」 勇気を出して声をかける。 彼は少し驚いたように顔を上げた。 「ああ……こちらこそ」 少し沈黙。 胸がドキドキする。 何を話せばいいかわからない。 すると彼が言った。 「ここは、落ち着きますね」 その一言が、なぜか嬉しかった。 「私も、この場所好きなんです」 思わず本音が出る。 彼は優しく笑った。 「あなたがいるから、余計に」 ――心臓が止まりそうだった。 冗談なのか、本気なのか、わからない。 でも、その言葉はまっすぐで。 あやは顔が熱くなるのを感じた。 ⸻ その日から、少しずつ会話が増えた。 天気の話。 仕事の話。 何気ない日常。 彼の名前は、「うじ」と言った。 45歳。 会社員。 そして―― 独身だった。 「結婚は……してないんですか?」 思わず聞いてしまったとき、 彼は少しだけ遠くを見る目をして言った。 「昔、約束はしてたんだけどね」 それ以上は聞けなかった。 でも、その瞬間。 あやの心に、小さな光が灯った。 知らないうちに。 ゆっくりと。 確実に。 恋が始まっていた。 第二章 触れた指先の温度 春の終わりは、突然やってくる。 その日の空は、朝から曇っていた。 重たい雲が空を覆い、風もどこか湿っている。 「あやちゃん、今日帰るとき気をつけてね」 店長が言った直後、雨が降り始めた。 ぽつり、ぽつりと。 やがてそれは、本降りに変わった。 ⸻ 閉店時間。 外は激しい雨だった。 「あ……傘、持ってない……」 朝は降っていなかったから、準備していなかった。 スマホを見る。 バスはあと20分来ない。 どうしようかと立ち尽くしていると―― 「送ろうか」 後ろから声がした。 振り返る。 うじくんだった。 胸が、一瞬で熱くなる。 「え……」 「車、すぐそこだから」 当たり前のように言うその姿が、あまりにも自然で。 断る理由なんて、どこにもなかった。 「……お願いします」 小さく答える。 ⸻ 車の中は、静かだった。 雨の音だけが、外から聞こえる。 ワイパーのリズム。 うじくんの横顔。 近い。 思っていたよりずっと近い距離。 大人の男の人の匂いがした。 香水じゃない。 もっと自然で、落ち着く匂い。 「あやちゃん」 名前を呼ばれるだけで、胸が締めつけられる。 「はい……」 「大学、楽しい?」 「はい……楽しいです」 少し間が空く。 「そうか」 その声は、優しかった。 まるで――守るような声。 ⸻ 信号で車が止まる。 沈黙。 でも、不思議と気まずくない。 むしろ、心地いい。 「うじくんは……」 思い切って聞く。 「うじくんは、幸せですか?」 自分でも、どうしてそんなことを聞いたのかわからない。 彼は少し驚いた顔をした。 そして―― 「……どうだろうな」 小さく笑った。 「でも、最近は」 一瞬、こちらを見る。 その目は、優しくて。 深くて。 「あやちゃんと話す時間が、一番好きだよ」 ――息が止まった。 何も言えない。 鼓動がうるさい。 耳まで熱くなる。 これは、勘違いしてもいい言葉? それとも―― ⸻ 家の近くに着いた。 「ありがとう……ございました」 降りようとしたとき。 「待って」 うじくんが言った。 振り返る。 彼は少し迷うような顔をしていた。 そして、ゆっくりと手を伸ばした。 あやの髪に触れる。 優しく。 本当に優しく。 「濡れてる」 それだけなのに。 その指先の温度が、全部を奪っていく。 「風邪ひくなよ」 その声は、甘くて。 大人で。 守られているようで。 あやの心は、もう戻れないところまで来ていた。 「……はい」 精一杯の返事。 車を降りる。 ドアを閉める。 でも、動けない。 窓越しに、彼がいる。 彼も、あやを見ている。 言葉はない。 でも―― 同じ気持ちが、そこにあった。 ⸻ その夜。 ベッドの中で、あやは自分の髪に触れた。 うじくんが触れた場所。 そこだけが、まだ熱い気がした。 (好き……) 認めてしまった。 もう、止められない。 24歳差。 それでも。 好きになってしまった。 第三章 好きになってはいけない人 次の日のカフェ。 あやは、落ち着かなかった。 ドアが開く音がするたびに、振り返ってしまう。 (来るかな……) 会いたい。 でも、会うのが怖い。 昨日のことが夢じゃなかったと、証明されてしまうから。 そして―― カラン、とドアが鳴った。 振り返る。 うじくんだった。 胸が強く打つ。 彼はいつも通り、窓際の席に座った。 いつも通り。 何もなかったかのように。 「ホットコーヒー、お願いします」 「あ……はい」 声が震えそうになるのを、必死に抑える。 コーヒーを淹れる間も、手が落ち着かない。 どう接すればいいのかわからない。 昨日、髪に触れた人。 優しい声で名前を呼ぶ人。 その人が、すぐそこにいる。 カップを持っていく。 「お待たせしました」 彼は微笑んだ。 「ありがとう」 その笑顔は、いつもと同じ。 でも―― どこか、距離があった。 ⸻ それから数日。 彼は来る。 でも、前のように話しかけてこなくなった。 会話は最低限。 目も、あまり合わせない。 (どうして……) 胸が苦しい。 嫌われた? 迷惑だった? あの日のこと、後悔してる? 考えれば考えるほど、不安になる。 そして―― 一週間後。 閉店間際。 店には、二人だけだった。 あやは決意した。 逃げたくなかった。 「うじくん」 声をかける。 彼の肩が、少しだけ揺れた。 「……なに?」 その声は、優しい。 でも、どこか壁がある。 「私……何か、しましたか?」 沈黙。 時計の音だけが響く。 彼は、しばらく何も言わなかった。 そして―― 「……何もしてないよ」 「じゃあ、どうして……」 言葉が詰まる。 涙が出そうになる。 彼は目を閉じた。 苦しそうに。 そして、ゆっくり言った。 「あやちゃん」 名前を呼ばれる。 それだけで、心が揺れる。 「俺は、45歳だ」 わかってる。 そんなこと、最初から。 「君は、21歳」 わかってる。 でも―― 「24年も違う」 その言葉は、刃みたいだった。 「君の人生は、これからだ」 静かな声。 「俺は……もう、半分以上生きてる」 「そんなこと……」 思わず言う。 「関係ないです」 彼は首を振った。 「関係あるよ」 その目は、優しくて。 でも、悲しかった。 「君は、もっと若い人と恋をして」 「同じ時間を生きて」 「同じ未来を歩くべきだ」 胸が締めつけられる。 それは、優しさ。 でも―― 拒絶だった。 「俺は……」 彼は言葉を止める。 拳を握りしめている。 「俺は、君を好きになっちゃいけない」 世界が止まった。 今―― 好きって言った。 確かに言った。 でも、それは同時に。 叶わないという意味だった。 「どうして……」 涙がこぼれる。 止められない。 「好きなら……どうして……」 彼は、あやを見た。 その目は、今まで見たことがないほど揺れていた。 「好きだからだよ」 静かな声。 「好きだから、壊したくない」 一歩、距離を取る。 それが答えだった。 大人の選択。 守るための拒絶。 でも―― あやの恋は、終わらなかった。 むしろ、もっと強くなっていた。 「私は」 涙を拭く。 震えながらも、彼を見る。 「うじくんが好きです」 初めて言った。 まっすぐに。 逃げずに。 彼の目が、大きく揺れる。 「年齢なんて、関係ない」 一歩、近づく。 「未来が短くてもいい」 もう一歩。 「一緒にいたい人が、うじくんだから」 二人の距離は、もう手を伸ばせば触れるほど近い。 彼の呼吸が聞こえる。 迷い。 葛藤。 そして―― 愛。 第四章 初めての抱擁 「一緒にいたい人が、うじくんだから」 その言葉は、静かな店の中で、はっきりと響いた。 うじくんは動かなかった。 いや――動けなかった。 目の前には、涙を流しながら、それでも逃げずに立っているあやがいる。 21歳。 まだ、未来がいくらでもある年齢。 本来なら、自分が踏み込んではいけない存在。 守るべき存在。 それなのに―― こんな顔をさせているのは、自分だった。 「……どうして」 彼の声は、かすれていた。 「あやちゃんは……どうして、俺なんだ」 もっと若くて。 もっとふさわしい男が、いくらでもいるのに。 あやは、少しだけ笑った。 涙で濡れたまま。 「安心するから」 シンプルな答えだった。 「一緒にいると、心が静かになる」 一歩、近づく。 「優しくて」 また一歩。 「ちゃんと、私を見てくれる」 もう、逃げ場はない距離。 「それだけで、好きになる理由として十分です」 うじくんの胸の奥で、何かが崩れた。 必死に積み上げてきた理性。 年齢という壁。 常識という鎖。 全部が、音を立てて壊れていく。 「……だめだ」 彼は小さく言った。 自分に言い聞かせるように。 「これ以上は……」 でも。 体は動いていた。 気づいたときには―― あやの腕を掴んでいた。 はっとして、離そうとする。 けれど。 あやは逃げなかった。 まっすぐに、彼を見ている。 その目は、怖がっていない。 信じている目だった。 「うじくん」 名前を呼ばれる。 優しく。 愛しく。 それだけで、もう――限界だった。 彼は、あやを抱きしめた。 強くはない。 壊れ物に触れるように。 そっと。 でも、確かに。 腕の中に、あやがいる。 小さくて。 温かくて。 柔らかい。 「あやちゃん……」 彼女の髪に顔を埋める。 ほのかに甘い香り。 心臓の音が伝わる。 自分の鼓動と、重なっていく。 「ごめん……」 何に対しての謝罪か、自分でもわからない。 年齢差。 迷い。 遅すぎた恋。 全部に対して。 あやは、彼の胸に顔を埋めたまま言った。 「謝らないで」 小さな声。 でも、はっきりと。 「嬉しいから」 その言葉で、彼の腕に少しだけ力が入る。 「俺は……」 彼は、正直に言った。 もう隠せなかった。 「ずっと、怖かった」 本音だった。 「好きになったら、止まれなくなるって」 あやは、彼の背中に手を回した。 それは、初めての――あやからの抱擁だった。 「止まらなくていいです」 彼のシャツを、そっと握る。 「私も、同じだから」 その瞬間。 二人の時間が、重なった。 24年という距離が。 ゆっくりと、消えていった。 ⸻ しばらくして、彼はあやの顔を見た。 涙の跡。 赤い目。 それでも、笑っている。 「……後悔しないか?」 最後の確認だった。 大人としての、最後の理性。 あやは、迷わなかった。 「しません」 即答だった。 「絶対に」 その言葉で、彼の覚悟は決まった。 彼は、あやの頬に手を添えた。 指先が震えている。 そして―― 額に、そっとキスをした。 優しく。 大切に。 それは―― 欲望ではなく。 誓いのキスだった。 「好きだよ」 初めての、まっすぐな告白。 あやの目から、また涙が溢れる。 でも今度は、悲しい涙じゃない。 「私も……好き」 二人は、静かに微笑んだ。 春の夜は、もう寒くなかった。 第五章 恋人になった日常 「じゃあ……また明日」 カフェの前。 夜の空気は、少しひんやりしていた。 恋人になってから、初めての帰り道。 さっきまで抱きしめられていたことが、まだ信じられない。 夢みたいで。 でも、隣にいる彼の存在が、それを現実にしていた。 「送るよ」 うじくんが、当たり前のように言う。 前も送ってもらったことはある。 でも、今は違う。 恋人として。 その意味を持つ言葉。 「ありがとう……」 二人で歩く。 ゆっくり。 並んで。 何も話さなくても、満たされている。 ふと。 彼の手が、あやの手の近くにあることに気づく。 大きな手。 男の人の手。 (触れたい……) そう思った瞬間。 指先が、そっと触れた。 一瞬。 時間が止まる。 彼は、歩みを止めた。 そして、あやを見た。 驚いたような。 でも、優しい目。 「……いいの?」 確認するように聞く。 大人の男の、遠慮。 あやは、小さくうなずいた。 その瞬間―― 彼の手が、あやの手を包んだ。 しっかりと。 でも、優しく。 指と指が絡む。 恋人繋ぎ。 「……あったかい」 思わず呟く。 彼は少し笑った。 「君の手が冷たいんだよ」 その声は、甘かった。 誰にも見せない声。 あやだけに向けられた声。 胸が、ぎゅっとなる。 歩きながらも、彼の手は離れない。 むしろ、少しだけ強く握られる。 まるで―― もう離さない、と言っているみたいに。 ⸻ 車の前に着く。 でも、彼はすぐにドアを開けなかった。 繋いだ手も、離さない。 「あやちゃん」 名前を呼ばれる。 それだけで、胸が高鳴る。 「はい……」 「本当に、俺でいいのか」 また、その質問。 でも今度は―― 不安ではなく。 確認だった。 あやは、彼の手を握り返した。 「うじくんがいい」 まっすぐに言う。 「うじくんじゃなきゃ、だめ」 彼の目が揺れる。 その中にあるのは―― 喜びと。 そして。 抑えきれない愛情。 彼は、あやの髪をそっと撫でた。 「……困るな」 優しく言う。 「そんなこと言われたら」 指先が、頬に触れる。 優しく。 大切に。 「もう、離せなくなる」 その言葉は、低くて。 甘くて。 大人の男の本音だった。 あやの心臓が、強く打つ。 怖くない。 むしろ―― 嬉しかった。 「離さないで」 小さく言う。 彼は一瞬、息を止めた。 そして。 もう一度、あやを抱きしめた。 今度は、前より少しだけ強く。 「離さない」 耳元で、静かに言う。 「絶対に」 その言葉は、約束だった。 ⸻ その日から。 二人は、恋人になった。 毎日会えるわけじゃない。 年齢差もある。 生活も違う。 それでも―― 彼の隣が、あやの居場所になった。 そして。 うじくんにとっても。 あやは、失いたくない存在になっていった。 24年の差を越えて。 二人の愛は、静かに、確実に深まっていった。 第六章 初めての嫉妬 それは、何気ない日のことだった。 カフェは、いつもより少し混んでいた。 「ありがとう、あやちゃん」 常連の大学生の男性客が、笑顔で言う。 同じ大学の人だった。 「いえ、こちらこそ」 あやも笑顔で答える。 自然な会話。 ただ、それだけのこと。 でも―― 窓際の席で、それを見ている人がいた。 うじくんだった。 コーヒーカップを持つ手が、わずかに止まる。 若い男。 同じ世代。 同じ時間を生きている男。 自分にはないものを、全部持っている存在。 その男は、あやと楽しそうに話している。 笑っている。 近い距離で。 その光景を見た瞬間。 胸の奥が、ざわついた。 理由はわかっていた。 嫉妬だった。 ⸻ (俺は……何をしてるんだ) 視線を落とす。 自分は45歳。 あやは21歳。 本来なら。 ああいう男と並ぶのが、自然なんだ。 年齢も。 未来も。 全部が釣り合っている。 自分は―― 異物だ。 本来、隣にいてはいけない存在。 それなのに。 彼女は、自分を選んだ。 その事実が、嬉しくて。 でも同時に。 怖かった。 いつか、現実に気づいてしまうんじゃないかと。 ⸻ 「あやちゃん」 大学生の男が言う。 「今度、みんなで飲み会するんだけど来ない?」 あやは少し困った顔をした。 「えっと……」 その瞬間。 うじくんの指が、カップを強く握った。 無意識だった。 行ってほしくない。 他の男と。 同じ空間に。 同じ時間を共有してほしくない。 でも―― そんなこと、言える立場じゃない。 彼女の人生を縛る権利なんて、自分にはない。 「ごめんね、予定あるから」 あやは、優しく断った。 「そっかー、残念」 男は笑って帰っていった。 そのやり取りを見て。 うじくんの胸に、別の感情が生まれる。 安堵だった。 同時に―― 罪悪感。 (何を安心してるんだ、俺は……) ⸻ 閉店後。 外は、夜の空気。 「あやちゃん」 彼が呼ぶ。 振り返る。 あやは、すぐに笑顔になる。 その笑顔は―― 自分だけに向けられている笑顔だった。 それが、たまらなく愛しかった。 「今日……」 彼は少し迷った。 でも、正直に言った。 「さっきの男」 あやは、きょとんとした。 「大学の人です」 「……そうか」 沈黙。 自分でも、何を聞きたいのかわからない。 いや―― わかっている。 「……よく話すのか?」 あやは首を振った。 「今日たまたま来ただけです」 その答えに、また安心する自分がいる。 情けない。 45歳にもなって。 21歳の彼女に、こんな感情を抱くなんて。 すると。 あやが、少し笑った。 「嫉妬ですか?」 その言葉に、彼は固まった。 図星だった。 否定しようとする。 でも―― できなかった。 代わりに、小さく息を吐いた。 「……みっともないな」 正直な言葉だった。 あやは、ゆっくり彼に近づいた。 そして。 彼の手を握った。 「嬉しいです」 その言葉に、彼は驚く。 「どうして……」 あやは、彼を見上げた。 まっすぐな目で。 「それだけ、私のこと好きってことだから」 胸が、強く締めつけられる。 彼女は続ける。 「でも、安心してください」 手を、ぎゅっと握る。 「私が好きなのは、うじくんだけです」 迷いのない声。 絶対の信頼。 それが、何よりも深く彼の心に届いた。 彼は、あやを引き寄せた。 抱きしめる。 今までで、一番強く。 「……ずるいな」 小さく呟く。 「そんなこと言われたら」 彼女の髪に顔を埋める。 「本当に、全部欲しくなる」 それは。 抑えていた、本音だった。 あやは、彼の胸に顔を埋めたまま言った。 「全部、うじくんのです」 その言葉で。 彼の理性は、さらに揺れていく。 愛は、もう止められないところまで来ていた。 第七章 あなたの世界に入る夜 「……あやちゃん」 帰り道。 手を繋いだまま、うじくんが少し迷うように言った。 「今日……少しだけ、寄っていくか?」 その言葉の意味は、すぐにわかった。 彼の部屋。 彼の、プライベートな空間。 今まで一度も入ったことのない場所。 心臓が、強く打つ。 怖くない。 でも――特別すぎて、息が浅くなる。 「……うん」 小さくうなずいた。 彼は、少しだけ安心したように微笑んだ。 ⸻ 車は、静かな住宅街に入った。 大人の街。 落ち着いた灯り。 彼がどんな生活をしているのか。 どんな時間を過ごしているのか。 今から、それを知る。 車が止まる。 「ここだよ」 マンションの前。 エレベーターに乗る。 二人きりの密室。 何も話さない。 でも、繋いだ手がすべてを伝えている。 チン、と音が鳴る。 ドアが開く。 彼は鍵を開けた。 「どうぞ」 その言葉は、静かだった。 でも―― 重みがあった。 あやは、ゆっくり中に入った。 ⸻ 部屋は、とても整っていた。 シンプルで。 無駄がなくて。 落ち着いていて。 まるで――彼そのものだった。 「座って」 ソファを指差す。 あやは座る。 彼はキッチンへ行き、水を持ってきた。 「ありがとう」 受け取るとき、指が少し触れる。 それだけで、胸が熱くなる。 彼は、あやの隣に座った。 近い。 カフェとは違う距離。 恋人としての距離。 少しの沈黙。 時計の音が聞こえる。 「あやちゃん」 彼が言った。 「ここに、女性を入れたのは……久しぶりだ」 その言葉には、重さがあった。 過去の時間。 孤独な時間。 全部が詰まっているようだった。 「ずっと、一人だったんですか?」 彼は、少し遠くを見る目をした。 「一度……結婚を考えた人がいた」 初めて聞く話。 胸が、少しだけ締めつけられる。 「でも、うまくいかなかった」 静かな声。 「それからは、仕事だけの人生だった」 あやは、彼の手に触れた。 そっと。 「今は……?」 彼は、あやを見た。 その目は、今までで一番優しかった。 「あやちゃんがいる」 それだけで、十分だった。 涙が溢れそうになる。 彼は、あやの頬に触れた。 指先で、ゆっくり撫でる。 「本当に……来てくれたんだな」 まるで、夢を確認するように。 あやは、その手に自分の手を重ねた。 「うじくんの隣がいいから」 迷いはなかった。 彼の目が揺れる。 そして―― ゆっくり、あやを引き寄せた。 抱きしめる。 彼の部屋で。 彼の世界で。 彼の腕の中で。 「……あやちゃん」 耳元で、名前を呼ぶ。 低くて。 甘くて。 愛に満ちた声。 「好きだ」 その言葉は、何度聞いても、胸を震わせる。 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 「私も……好き」 彼の鼓動が、伝わる。 強く。 確かに。 そのとき、あやは気づいた。 この人は―― 本気で、自分を愛していると。 そして、自分も同じくらい愛していると。 ⸻ その夜。 二人は、ただ抱きしめ合っていた。 言葉は少なくていい。 触れているだけで、心が満たされる。 24年の差。 そんなものは、もう意味を持たなかった。 二人はただ―― 愛し合っていた。 第八章 隣にいる朝 朝の光が、カーテンの隙間から静かに差し込んでいた。 うじくんは、ゆっくりと目を開けた。 見慣れたはずの天井。 いつもの部屋。 でも―― いつもと違う温もりが、すぐ隣にあった。 視線を向ける。 あやが眠っていた。 静かな寝息。 無防備な顔。 自分の腕の中で、安心しきったように眠っている。 その姿を見た瞬間。 胸の奥が、強く締めつけられた。 (本当に……いるんだ) 夢じゃない。 幻じゃない。 愛する人が、ここにいる。 自分の隣に。 45年生きてきて。 初めて感じる、満たされた朝だった。 彼は、そっとあやの髪に触れた。 柔らかい。 温かい。 愛しい。 触れるたびに、守りたいという気持ちが溢れる。 「あやちゃん……」 小さく名前を呼ぶ。 もちろん、起きない。 その無防備さが、余計に心を揺らす。 (この子の人生に……俺はいる) 21歳の未来。 本来なら、自分がいないはずの未来。 それでも、彼女は選んだ。 自分を。 その重みを、彼は理解していた。 だからこそ―― 軽い気持ちでは、いられなかった。 守りたい。 最後まで。 この子の隣で、生きていきたい。 そのとき。 あやが、少しだけ動いた。 ゆっくり目を開ける。 「……うじくん」 まだ眠そうな声。 それだけで、胸が温かくなる。 「おはよう」 優しく言う。 あやは、少し照れながら笑った。 「おはよう……」 その笑顔は。 昨日よりも、もっと近い存在の笑顔だった。 彼女は、彼の胸に顔を埋めた。 「……安心する」 小さく呟く。 彼は、その背中を撫でた。 「俺もだよ」 本音だった。 彼女がいるだけで。 世界が変わっていた。 孤独だった部屋。 ただの生活の場所だった空間。 それが今は―― 帰る意味のある場所になっていた。 あやが、彼を見上げた。 「うじくん」 「ん?」 「ずっと……一緒にいたい」 その言葉は、静かだった。 でも、まっすぐだった。 彼は、少しだけ息を止めた。 その意味を、理解していた。 「……あやちゃん」 彼は、彼女の頬に手を添えた。 「俺は、君より先に歳を取る」 現実だった。 避けられない事実。 「先に、弱くなる」 声は、静かだった。 「それでも……いいのか」 それは、最後の確認だった。 彼女の人生を、本当に背負っていいのか。 あやは、迷わなかった。 「いい」 即答だった。 「隣にいられるなら、それでいい」 その言葉で。 彼の中の迷いが、また一つ消えた。 彼は、あやの額にキスをした。 「……ありがとう」 その声は、震えていた。 それは―― 人生を変える決意の始まりだった。 彼は、このとき初めて思った。 この子と―― 結婚したい、と。 第九章 現実という壁 「最近、なんか変わったね」 大学の友達に言われたとき、あやの心臓は一瞬止まりそうになった。 「え?」 「なんか……大人っぽくなったっていうか」 笑いながら言われる。 悪意はない。 ただの何気ない言葉。 でも―― 自分の中にある秘密を、見透かされたような気がした。 「そうかな」 笑ってごまかす。 でも、心の中には。 うじくんがいた。 彼と過ごす時間。 彼の声。 彼の温もり。 全部が、あやを変えていた。 ⸻ その日の夜。 うじくんの部屋。 「今日ね、友達に言われたの」 ソファで寄り添いながら話す。 「変わったねって」 彼は、少し微笑んだ。 「変わったよ」 優しく言う。 「綺麗になった」 その言葉に、顔が熱くなる。 「うじくんのせいだよ」 そう言うと、彼は少し驚いた顔をした。 「俺?」 あやはうなずいた。 「愛されてるって、わかるから」 彼の目が揺れる。 その言葉は、彼の心の奥まで届いた。 彼は、あやを抱き寄せた。 「……俺の方が、もらってるよ」 本音だった。 彼女がいることで。 自分の人生は、光を取り戻していた。 ⸻ でも―― 現実は、優しいだけではなかった。 ある日。 カフェの裏で。 「あや」 店長が、少し真剣な顔で言った。 「最近、よく来るあの人」 心臓が強く打つ。 「もしかして……付き合ってる?」 息が止まる。 言葉が出ない。 店長は、優しく続けた。 「悪い意味じゃないよ」 少し間を置く。 「ただ……年齢、結構離れてるよね」 現実の言葉だった。 数字としての差。 24年という距離。 今まで、二人だけの世界では感じなかったもの。 「……はい」 小さく答える。 店長は、少し考えてから言った。 「本気なの?」 その質問は、重かった。 遊びじゃないのか。 一時の感情じゃないのか。 未来を考えているのか。 すべてを含んだ問いだった。 あやは、迷わなかった。 「本気です」 まっすぐ答えた。 店長は、少し驚いた顔をした。 でも―― 最後には、優しく笑った。 「そっか」 それ以上は、何も言わなかった。 でも、その沈黙が意味していた。 この恋は―― 簡単なものじゃないと。 ⸻ その夜。 あやは、うじくんに話した。 店長のこと。 周りのこと。 全部。 彼は、静かに聞いていた。 何も遮らず。 全部を受け止めて。 そして―― 「……ごめん」 小さく言った。 「どうして謝るの?」 彼は、苦しそうに笑った。 「君に、こんな思いをさせてる」 その言葉は、彼らしい言葉だった。 自分より、彼女を優先する人。 あやは、彼の手を握った。 「うじくん」 まっすぐ見る。 「私は、幸せだよ」 彼の目が揺れる。 「誰に何を言われても」 手を、ぎゅっと握る。 「好きな人と一緒にいられるから」 沈黙。 彼の喉が、わずかに動く。 感情を抑えているのがわかる。 「……あやちゃん」 彼は、彼女を抱きしめた。 強く。 深く。 「俺は」 耳元で言う。 「絶対に、君を後悔させない」 それは、誓いだった。 人生をかけた誓い。 あやは、彼の胸の中でうなずいた。 この人となら。 どんな未来でもいい。 そう思えた。 ⸻ そのとき。 彼の心の中では、すでに決まっていた。 いつか―― 必ず、プロポーズすると。 第十章 覚悟の証 あやが帰った後の部屋は、静かだった。 つい数時間前まで、彼女がここにいた。 ソファに座り。 笑って。 自分の名前を呼んでいた。 その余韻が、まだ残っている。 うじくんは、ゆっくりとソファに座った。 そして、自分の手を見た。 今日まで、この手は―― 仕事のために使ってきた。 生きるために使ってきた。 でも、今は違う。 守りたい存在のために使いたいと、初めて思った。 「あやちゃん……」 名前を口にするだけで、胸が温かくなる。 同時に―― 恐怖もあった。 自分は45歳。 彼女は21歳。 彼女の人生を、本当に背負えるのか。 彼女の未来を、自分が奪うことにならないか。 何度も、自問自答してきた。 それでも。 答えは、変わらなかった。 彼女を失う未来の方が、耐えられなかった。 「……結婚したい」 初めて、声に出した。 その言葉は、静かな部屋の中で、はっきりと響いた。 それは―― 覚悟の言葉だった。 ⸻ 数日後。 彼は、一人で街を歩いていた。 目的地は、決まっていた。 宝石店。 今まで、一度も入ったことのない場所。 自分には縁がないと思っていた場所。 でも今は―― 違う。 ドアを開ける。 「いらっしゃいませ」 店員が微笑む。 彼は少し緊張しながら言った。 「……指輪を、見せてください」 その言葉を言った瞬間。 現実になった。 これは、夢じゃない。 本当に、彼女にプロポーズするのだと。 ショーケースの中には、たくさんの指輪が並んでいた。 光を反射して、輝いている。 どれがいいのか、わからない。 でも―― 一つだけ、目に止まった指輪があった。 シンプルで。 上品で。 優しい輝き。 まるで―― あやのようだった。 「こちらを……」 指差す。 店員が取り出す。 手に取る。 小さな指輪。 でも、その重みは計り知れない。 (この指輪を……あやちゃんに) 想像する。 彼女が、これをつけて笑う姿。 隣で、名前を呼ぶ姿。 同じ未来を生きる姿。 胸が、強く締めつけられる。 「これにします」 迷いはなかった。 それは、彼の人生で最も大きな決断だった。 ⸻ その夜。 あやは、彼の部屋にいた。 いつものように、隣に座る。 笑顔で。 無防備で。 信じきった目で、彼を見る。 「うじくん」 名前を呼ばれる。 その瞬間。 彼は確信した。 この子を―― 一生守りたいと。 彼は、まだ指輪のことは言わなかった。 その代わり。 あやを、静かに抱きしめた。 「あやちゃん」 「ん?」 「……ずっと、そばにいてくれるか」 それは、プロポーズではない。 でも―― 彼の本音だった。 あやは、すぐに答えた。 「うん」 迷いなく。 「ずっといる」 その言葉で。 彼の決意は、完全なものになった。 もう、後戻りはしない。 彼は、近いうちに―― 彼女に、プロポーズする。 人生をかけて。 愛していると、伝えるために。 第十一章 永遠を誓う夜 それは、静かな夜だった。 いつものように、あやはうじくんの部屋にいた。 ソファに並んで座り、他愛もない話をしている。 笑って。 目を合わせて。 名前を呼び合う。 それだけで幸せだった。 でも、今日は―― うじくんの様子が少し違っていた。 どこか、緊張している。 「あやちゃん」 名前を呼ぶ声が、少しだけ硬い。 「なに?」 あやは、何も知らずに微笑む。 その笑顔を見た瞬間。 胸が締めつけられた。 (この子の人生を……本当に背負うんだ) 怖くないわけじゃない。 でも―― 迷いはなかった。 彼は、ゆっくり立ち上がった。 「あやちゃん」 もう一度、名前を呼ぶ。 あやも立ち上がる。 「どうしたの?」 少し不思議そうな顔。 彼は、ポケットに手を入れた。 小さな箱を握る。 心臓が、激しく打つ。 45年生きてきて。 こんなに緊張したことはなかった。 彼は、ゆっくり箱を取り出した。 あやの目が、大きくなる。 「うじくん……?」 彼は、箱を開けた。 中には―― 指輪。 小さくて。 でも、強く輝いている。 あやの目に、涙が浮かぶ。 彼は、震える声で言った。 「あやちゃん」 まっすぐ見つめる。 逃げない。 もう、迷わない。 「俺は、45歳で」 現実を、隠さない。 「君より、24年先に生きてる」 声が、少し震える。 「これから先、君に寂しい思いをさせるかもしれない」 正直な言葉。 きれいごとじゃない。 現実の愛。 それでも―― 「それでも」 一歩、近づく。 「俺は、君と生きたい」 涙が、彼の目にも浮かぶ。 「残りの人生を」 声が震える。 「全部、君に使いたい」 彼は、箱を持つ手を強く握った。 「愛してる」 その一言に、すべてを込めた。 そして―― 「結婚してください」 静かな部屋の中で。 その言葉は、永遠の誓いになった。 ⸻ あやの涙が、頬を伝う。 止まらない。 嬉しくて。 幸せで。 胸がいっぱいで。 「……はい」 小さく言う。 でも、はっきりと。 「はい……!」 もう一度。 今度は、泣きながら笑って。 「結婚します」 その瞬間。 彼の目からも、涙が溢れた。 彼は、指輪を取り出した。 あやの左手を取る。 小さな手。 震えている。 彼も震えている。 そして―― 薬指に、指輪をはめた。 ぴったりだった。 まるで―― 最初から、そこにあるべきものだったかのように。 あやは、指輪を見つめた。 そして、彼を見た。 「うじくん……」 名前を呼ぶ。 その声は、妻になる人の声だった。 彼は、あやを強く抱きしめた。 今までで、一番強く。 「ありがとう……」 何度も言う。 「あやちゃん……ありがとう」 あやも、彼を抱きしめ返した。 「こちらこそ……ありがとう」 二人は、離れなかった。 24年の差を越えて。 出会うはずのなかった二人が。 今―― 夫婦になると決めた夜だった。 第十二章 祝福と、不安のはざまで プロポーズから、一週間。 あやの左手には、いつも指輪があった。 小さな輝き。 でも、それは―― うじくんの愛そのものだった。 大学の帰り道。 電車の窓に映る自分を見る。 指輪が光っている。 それを見るたびに、胸が温かくなる。 (結婚するんだ……) 実感が、少しずつ大きくなっていく。 嬉しい。 でも同時に―― 一つの現実が、近づいていた。 両親への報告。 ⸻ その夜。 うじくんの部屋。 あやは、少し緊張しながら言った。 「今度……両親に話そうと思う」 彼の手が、一瞬止まった。 予想していたこと。 でも、現実になると―― やはり、重い。 「……そうか」 静かに答える。 あやは、彼の手を握った。 「怖い?」 彼は、少しだけ笑った。 正直に答える。 「怖いよ」 隠さない。 強がらない。 それが、彼の誠実さだった。 「反対されるかもしれない」 当然のことだった。 21歳の娘の相手が、45歳の男。 簡単に受け入れられるはずがない。 あやは、彼の手を強く握った。 「大丈夫」 まっすぐ言う。 「私が選んだ人だから」 その言葉に、彼の胸が締めつけられる。 「一人で戦わせない」 続ける。 「一緒に行こう」 彼は、あやを見た。 その目は、迷いがなかった。 強くて。 まっすぐで。 愛に満ちていた。 彼は、ゆっくりうなずいた。 「……ああ」 覚悟は、できていた。 彼女の人生を背負うと決めた日から。 逃げる選択肢は、存在しなかった。 ⸻ 数日後。 あやの実家。 玄関の前。 うじくんは、スーツを着て立っていた。 久しぶりに感じる、緊張。 仕事とは違う緊張。 これは―― 人生をかけた瞬間。 あやが、隣にいる。 彼の手を、そっと握る。 「大丈夫」 小さく言う。 その一言が、彼に勇気をくれる。 インターホンを押す。 「はい」 母の声。 ドアが開く。 「おかえり」 そして―― うじくんを見る。 一瞬の沈黙。 「あの……」 あやが言う。 「紹介したい人がいるの」 空気が変わる。 父も、奥から出てくる。 彼の目は、鋭かった。 当然だった。 大切な娘。 守ってきた娘。 その人生を預ける相手が、目の前にいる。 しかも―― 自分より、ずっと年上の男。 「初めまして」 うじくんは、深く頭を下げた。 「うじはらです」 声は、震えていなかった。 逃げないと決めていた。 父は、静かに言った。 「座ってください」 その声は、厳しかった。 ⸻ リビング。 重い沈黙。 父が、口を開いた。 「年齢は?」 「45歳です」 正直に答える。 母が、息を呑む。 父の表情が、さらに硬くなる。 「……娘は21歳です」 確認するように言う。 「わかっています」 彼は、まっすぐ答えた。 父の目を見て。 逸らさずに。 「本気ですか」 その質問は、鋭かった。 彼は、迷わなかった。 「本気です」 即答だった。 「人生をかけて、あやさんを愛します」 部屋が静まり返る。 父の目が、彼を見つめる。 試すように。 見極めるように。 長い沈黙の後―― 父が言った。 「……覚悟は、あるんですね」 彼は、うなずいた。 「あやさんを、一生守ります」 その言葉には、嘘がなかった。 45年生きてきた男の、すべての重みがあった。 ⸻ 隣で、あやは彼の手を握っていた。 二人は、一緒に戦っていた。 愛を、守るために。 十三章(続き)「永遠の意味」 「……あや」 低く、優しく、震える声。 その声を聞いた瞬間、あやの胸の奥に溜まっていたすべての不安が、一気にほどけそうになった。 振り向くと、そこに立っていたのは―― スーツ姿のままのうじくんだった。 少し息を切らしている。 きっと、急いで来てくれたのだ。 「どうして……」 あやの声は小さく震えた。 うじくんは、数歩ゆっくりと近づいてくる。 「どうしてって……」 彼は困ったように微笑んだ。 「君が泣いてる気がしたから」 その言葉だけで、あやの涙が溢れた。 「泣いてない……」 そう言いながら、涙は止まらない。 うじくんは、何も言わず、あやの前に立った。 そして、そっと手を伸ばし―― あやの頬を伝う涙を、指で拭った。 「……泣いてるよ」 優しい声。 責めるわけでもなく、ただ包み込むような声。 その瞬間、あやの心の壁が崩れた。 「怖かったの……」 あやは、震える声で言った。 「うじくんが……いなくなっちゃうんじゃないかって」 うじくんの表情が変わる。 驚きと、そして深い愛しさ。 「あや」 彼は、両手であやの肩を優しく包んだ。 「俺は、どこにも行かないよ」 まっすぐな目。 逃げ場のないほど、真剣な目。 「君を置いていくなんて、できるわけない」 あやの涙が、また溢れる。 「でも……年の差もあるし……私、まだ子どもだし……」 「子どもじゃない」 即座に、うじくんは言った。 「君は、自分で考えて、自分で選んで、ここにいる」 その言葉は、あやの心に深く届いた。 「俺はね」 彼は続けた。 「45年生きてきて、初めてなんだ」 少し照れたように笑う。 「こんなに誰かを必要だと思ったのは」 あやの心臓が強く打つ。 「君がいない未来なんて、考えられない」 風が静かに吹いた。 夜の街の光が、二人を包む。 「だから」 うじくんは、深く息を吸った。 そして―― 「あや」 名前を呼ぶ。 「俺と、これから先の人生を、一緒に歩いてほしい」 あやの呼吸が止まる。 それは、まだ「結婚」という言葉ではなかった。 けれど、それ以上に重くて、深い言葉だった。 「楽しいことも、苦しいことも、全部」 彼の声は震えていた。 「隣で、分かち合いたい」 あやは、何も言えなかった。 ただ、涙が溢れる。 こんなにも愛されている。 こんなにも必要とされている。 それが、信じられないほど幸せだった。 「……はい」 やっと、声が出た。 「一緒に……歩きたい」 うじくんの目が、優しく細められる。 その瞬間―― 彼は、あやを強く、けれど優しく抱きしめた。 「ありがとう……」 低い声が、耳元で震える。 あやも、彼の背中に腕を回した。 大人の体。 広くて、温かくて、安心できる体。 「大好き……」 小さく呟く。 「俺もだよ」 その答えは、迷いがなかった。 年の差も、不安も、すべてを越えて。 二人の心は、完全に重なっていた。 その夜。 二人は、初めて未来を約束した。 永遠を、恐れずに信じると決めた夜だった。 第十四章「一生に一度の言葉」 それから、数週間が過ぎた。 あやとうじくんの関係は、前よりもずっと深く、そして静かに強くなっていた。 会える日は多くない。 けれど、会えない時間さえも、二人を遠ざけることはなかった。 むしろ―― 想いは、日ごとに濃くなっていった。 ⸻ ある日の夜。 「今日、少しだけ時間ある?」 うじくんからのメッセージ。 それだけの言葉なのに、あやの胸は高鳴った。 「うん、あるよ」 すぐに返信する。 「迎えに行く」 短いその言葉に、あやは自然と微笑んだ。 ⸻ 約束の時間。 車の助手席に乗り込むと、うじくんは優しく微笑んだ。 「寒くない?」 「大丈夫」 そう答えながらも、あやの指先は少し冷えていた。 うじくんは、何も言わず、そっとあやの手を包んだ。 温かい。 それだけで、胸がいっぱいになる。 車は、静かに夜の街を走っていく。 どこへ向かっているのかは、聞かなかった。 彼と一緒なら、どこでもよかった。 ⸻ 着いたのは、小さな海の見える場所だった。 夜の海。 月の光が水面に反射して、静かに揺れている。 二人は車を降り、並んで歩いた。 冷たい風。 けれど、隣にいる彼の温もりが、すべてを優しくしてくれる。 しばらく、何も言わずに海を見つめた。 そして―― 「……あや」 うじくんが、静かに名前を呼んだ。 「うん?」 振り向くと、彼は真剣な表情をしていた。 その目に、迷いはなかった。 「少し、聞いてほしいことがある」 あやの心臓が強く打つ。 「俺は、君と出会うまで」 彼はゆっくりと言葉を選びながら話した。 「恋愛は、もう自分には関係ないものだと思ってた」 静かな声。 「年齢もあるし、仕事もあるし……誰かと深く関わることを、どこかで避けていた」 あやは、黙って聞いていた。 「でも、君に出会って」 彼は、あやをまっすぐ見つめた。 「初めて、自分の未来を変えたいと思った」 胸が締め付けられる。 「君と一緒に、生きていきたい」 その言葉は、重くて、温かかった。 うじくんは、ポケットに手を入れた。 そして―― 小さな箱を取り出した。 あやの呼吸が止まる。 ゆっくりと、その箱が開かれる。 中には―― 小さく、けれど美しく輝く指輪。 月の光を受けて、静かに光っていた。 「あや」 彼の声は、少しだけ震えていた。 45年生きてきた男の、 たった一度の、本気の震え。 「俺と、結婚してください」 世界が、止まった気がした。 波の音も、風の音も、何も聞こえない。 あるのは、彼の目と―― 彼の言葉だけ。 涙が、溢れた。 止めようとしても、止まらない。 「……いいの?」 震える声で、あやは言った。 「こんな私で……」 うじくんは、すぐに答えた。 「君じゃなきゃ、ダメなんだ」 迷いのない言葉。 「あやだから、結婚したい」 その瞬間―― あやの心のすべてが、決まった。 「……はい」 涙の中で、笑った。 「結婚……したい」 うじくんの表情が、崩れた。 安堵と、喜びと、愛しさが混ざった顔。 彼は指輪を取り出し、あやの左手をそっと取った。 そして―― 薬指に、指輪をはめた。 ぴったりだった。 まるで、最初からそこにあるべきものだったみたいに。 その瞬間。 あやは、彼のものになった。 そして―― 彼もまた、あやのものになった。 うじくんは、あやを強く抱きしめた。 今までで一番、強く。 「ありがとう……」 耳元で、何度も繰り返す。 「あや……ありがとう……」 あやも、彼にしがみついた。 「幸せに……なろうね」 小さく言う。 「必ず」 彼は答えた。 「一生、幸せにする」 夜の海は、静かに二人を祝福していた。 24歳の年の差を越えて。 すべてを越えて。 二人は、夫婦になると決めた。 永遠を、誓った。 第十五章「現実と、愛の強さ」 指輪をはめてもらった夜から、世界が変わった。 同じ空。 同じ街。 同じ景色。 それなのに―― すべてが、特別に見えた。 左手の薬指に光る小さな指輪。 それを見るたびに、胸が温かくなる。 あやは、一人の女として選ばれた。 そして―― うじくんの未来になった。 ⸻ 「……緊張してる?」 助手席で、うじくんが優しく聞いた。 今日は、彼の大切な人に会う日だった。 「うん……少しだけ」 正直に答える。 少しだけ――なんて、嘘だった。 本当は、すごく緊張している。 24歳差の結婚。 簡単に受け入れてもらえるとは思っていない。 それでも。 逃げたくなかった。 彼の隣にいると決めたから。 「大丈夫だよ」 うじくんは、あやの手を握った。 「君は、そのままでいい」 その言葉だけで、少しだけ呼吸が楽になる。 ⸻ 着いたのは、静かな住宅街の一軒家だった。 「ここ……?」 「ああ。兄夫婦の家」 車を降りると、あやの心臓が早くなる。 逃げたい気持ちが、一瞬だけよぎる。 けれど―― 隣を見る。 うじくんがいる。 それだけで、立っていられた。 「行こう」 彼は自然に、あやの手を取った。 その手の温もりが、勇気をくれる。 インターホンを押す。 「はーい」 優しい女性の声。 扉が開く。 「いらっしゃい」 現れたのは、穏やかな表情の女性だった。 「この子が、あやさん?」 うじくんが頷く。 「ああ。俺の婚約者だ」 その言葉に、あやの胸が熱くなる。 婚約者。 その響きが、こんなにも幸せだなんて。 「あやです。よろしくお願いします」 深く頭を下げる。 女性は、少し驚いたように見たあと、優しく微笑んだ。 「そんなに緊張しなくていいのよ」 その一言で、張り詰めていた心が少しほどけた。 ⸻ リビングに通されると、兄もいた。 落ち着いた雰囲気の男性。 あやを見て、少し驚いた顔をした。 それも当然だった。 21歳。 弟の結婚相手としては、若すぎる。 重い沈黙が、一瞬流れる。 あやの指先が冷たくなる。 その時。 うじくんが、静かに言った。 「俺は、本気だよ」 兄の目を、まっすぐ見て。 「この子と、結婚する」 迷いのない声。 強い声。 その言葉は、あやの心を守る盾のようだった。 兄は、しばらく黙っていた。 そして―― 「あやさん」 優しく、名前を呼んだ。 「弟を、よろしくお願いします」 あやの目が、大きく開く。 「え……」 「この人はね」 兄は少し笑った。 「不器用だけど、本当に優しい人なんです」 あやの目に、涙が浮かぶ。 「はい……」 声が震える。 「私が……幸せにします」 その言葉に、うじくんが驚いた顔をした。 そして―― 優しく、笑った。 ⸻ 帰り道。 車の中。 あやは、窓の外を見ながら、静かに言った。 「受け入れてもらえたね……」 「ああ」 うじくんは、小さく頷いた。 「君のおかげだよ」 「違うよ」 あやは首を振った。 「うじくんが、ちゃんと愛してくれてるから」 その言葉に、彼は一瞬黙った。 そして、車を路肩に止めた。 「え……?」 次の瞬間。 あやは、抱きしめられていた。 車の中で。 強く。 深く。 「……愛してる」 耳元で、低く囁かれる。 心臓が跳ねる。 「君は、俺の人生そのものだ」 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 「私も……愛してる」 21歳のあやと、45歳のうじくん。 24年の時間を越えて。 二人は、同じ未来を見ていた。 結婚という現実が、少しずつ近づいていた。 けれどそれは、怖いものじゃない。 愛があるから。 二人で歩くから。 どんな未来も、乗り越えられる。 そう、信じていた。 第十六章「同じ朝を迎える幸せ」 「今日から……ここで、一緒に暮らすんだね」 あやは、小さく呟いた。 目の前にあるのは、うじくんの家の扉。 何度も来たことのある場所なのに、今日は意味が違う。 “帰る場所”になる。 それだけで、胸がいっぱいだった。 うじくんは鍵を開け、扉を開いた。 「おかえり」 自然に言ったその一言に、あやの胸がきゅっと締め付けられる。 「……ただいま」 少し照れながら、答える。 その瞬間。 ここが本当に、自分の居場所になったと感じた。 ⸻ 部屋の中は、相変わらず整っていた。 シンプルで、落ち着いた空間。 大人の男性の家。 けれど、これからは―― 二人の家になる。 「荷物、ここでいい?」 「うん。あとで一緒に整理しよう」 自然に「一緒に」という言葉が出る。 それだけで幸せだった。 あやは、そっと靴を脱いだ。 その時。 後ろから、優しく抱きしめられた。 「……うじくん」 驚いて振り返ろうとすると、彼の腕が少し強くなる。 「少しだけ、このままでいさせて」 低く、甘い声。 あやは、抵抗しなかった。 背中に感じる体温。 大人の男性の、安心できる温もり。 「本当に……一緒に暮らすんだな」 彼が、小さく呟く。 その声には、喜びと、少しの不安が混ざっていた。 「うん」 あやは、彼の腕に手を重ねた。 「ずっと一緒だよ」 その言葉に、彼の腕が少し震えた。 「ありがとう……」 それは、45歳の男の、素直な声だった。 ⸻ その夜。 二人は、同じベッドに並んでいた。 部屋の明かりは消えている。 静かな空間。 隣に、彼がいる。 それだけで、眠るのがもったいないと思った。 「……眠れない?」 うじくんが、小さく聞いた。 「少しだけ」 正直に答える。 「緊張してる?」 「ううん……」 あやは、彼の方を向いた。 暗闇の中でも、彼の輪郭が分かる。 「幸せすぎて」 その言葉に、彼は静かに息を吐いた。 そして―― 優しく、あやの髪を撫でた。 「俺もだよ」 その仕草は、愛そのものだった。 「こんな日が来るなんて、思ってなかった」 彼の声は、深くて優しい。 「君が、俺の隣で眠ってる」 あやは、そっと彼に近づいた。 胸に顔を寄せる。 「ここが……好き」 彼の鼓動が聞こえる場所。 安心できる場所。 うじくんは、あやを優しく抱き寄せた。 「ずっと、ここにいていい」 その言葉は、約束だった。 未来の約束。 永遠の約束。 ⸻ 次の朝。 あやは、先に目を覚ました。 隣を見ると、うじくんが眠っている。 穏やかな顔。 仕事をしている時の、しっかりした表情とは違う。 無防備な顔。 自分にだけ見せてくれる顔。 あやは、そっと彼の頬に触れた。 温かい。 「……うじくん」 小さく、名前を呼ぶ。 彼はゆっくりと目を開けた。 「あや……」 寝起きの低い声。 その声を聞くだけで、胸がときめく。 「おはよう」 微笑む。 彼も、微笑み返した。 「おはよう」 それは―― 二人で迎える、初めての朝だった。 同じ家で。 同じ空間で。 同じ未来の中で。 あやは、この人と結婚する。 この人と、人生を歩いていく。 そう、改めて強く思った。 うじくんは、あやの額に優しくキスをした。 「今日も、愛してる」 その言葉に、あやは笑った。 「私も、愛してる」 何気ない朝。 けれど、それは奇跡のような朝だった。 二人で生きる日々が、始まった。 第十七章「結婚式という現実」 「結婚式……どうする?」 ある日の夜。 ソファに並んで座りながら、あやは小さく聞いた。 うじくんは少し考えてから、優しく答えた。 「君は、したい?」 その聞き方が、彼らしかった。 自分の意見を押し付けず、いつもあやの気持ちを大切にしてくれる。 あやは、少し迷った。 「……本当は」 正直に言う。 「ドレス、着てみたい」 小さな頃からの夢。 真っ白なウェディングドレス。 好きな人の隣で、笑っている自分。 うじくんは、静かに微笑んだ。 「じゃあ、着よう」 迷いのない言葉。 「君の一番綺麗な姿を、ちゃんと見たい」 その一言で、胸がいっぱいになる。 ⸻ 数日後。 二人は、式場の見学に来ていた。 大きな窓。 差し込む光。 静かで、神聖な空間。 あやは、少し緊張しながら歩いた。 「緊張してる?」 うじくんが、小さく聞く。 「うん……」 素直に答える。 「まだ、実感なくて」 彼は、そっとあやの手を握った。 「俺もだよ」 その言葉に、あやは驚いた。 「うじくんも?」 「ああ」 彼は少し笑った。 「まさか、自分が結婚式場を見に来るなんて思ってなかった」 その横顔は、どこか少年のようだった。 45歳の大人の男性。 けれど、恋をして、愛を知って、変わった人。 それが、愛しかった。 ⸻ 「では、ドレスの試着も可能ですが……」 スタッフの女性が、優しく言った。 あやの心臓が大きく跳ねる。 「……着てみる?」 うじくんが聞く。 あやは、小さく頷いた。 ⸻ 数分後。 カーテンの向こう。 鏡の前に立つ自分。 真っ白なドレス。 胸元の繊細なレース。 広がるスカート。 まるで、夢の中みたいだった。 「……綺麗」 思わず、自分で呟く。 「準備できました」 スタッフに促される。 カーテンが、ゆっくりと開く。 うじくんが、そこに立っていた。 その瞬間。 彼の表情が止まった。 言葉を失ったように。 ただ、あやを見つめている。 「……どう?」 不安になって聞く。 すると、彼はゆっくり近づいてきた。 そして―― 「あや」 名前を呼ぶ。 その声は、震えていた。 「……綺麗だ」 それだけだった。 けれど、その一言に、すべてが込められていた。 彼の目が、少し潤んでいる。 「こんな日が来るなんて……」 小さく呟く。 あやの胸が締め付けられる。 「後悔してる?」 思わず、聞いてしまった。 年の差。 周囲の目。 自分の若さ。 すべてが、彼の負担になっていないか、不安だった。 うじくんは、すぐに首を振った。 「逆だよ」 そして、優しく言った。 「君と出会えて、俺の人生は初めて完成した」 その言葉に、涙が溢れた。 「君が、俺の妻になる」 その響きが、こんなにも幸せだなんて。 うじくんは、そっとあやの手を取った。 「一生、大切にする」 あやは、泣きながら笑った。 「私も……一生、隣にいる」 24歳の差。 それは、消えることはない。 けれど―― 愛は、それを越えていた。 年齢では測れない絆。 深く、静かで、揺るがない愛。 結婚式は、もうすぐだった。 二人の人生が、本当に一つになる日が。 第十八章「永遠を誓う日」 結婚式の朝。 窓から差し込む光が、優しく部屋を包んでいた。 あやは、鏡の前に座っていた。 白いドレス。 整えられた髪。 胸の奥で、心臓が静かに、けれど確かに高鳴っている。 「本当に……今日なんだ」 小さく呟く。 21歳の自分が、結婚する。 しかも―― 愛しているのは、24歳年上の人。 少し前まで、想像もしていなかった未来。 それなのに今は、それが当たり前のように感じていた。 それが、“運命”なのだと思った。 ⸻ 「とても、お綺麗ですよ」 スタッフが優しく言った。 あやは、少し照れながら微笑んだ。 けれど、その心は、彼のことでいっぱいだった。 うじくん。 今、何を考えているのだろう。 緊張しているのだろうか。 それとも―― 自分と同じように、幸せを感じているのだろうか。 「準備が整いました」 その言葉に、あやは立ち上がった。 いよいよ、この瞬間が来た。 ⸻ 扉の前。 その向こうに、彼がいる。 深呼吸をする。 怖くはなかった。 なぜなら―― 扉の向こうにいるのは、愛している人だから。 扉が、ゆっくりと開く。 光が差し込む。 そして―― 彼が、そこにいた。 タキシード姿のうじくん。 いつもより、少し緊張した表情。 けれど、その目は、優しくて、まっすぐだった。 あやを見た瞬間。 彼の目が、大きく揺れた。 息を飲む音が、聞こえた気がした。 その表情を見て、あやの胸が熱くなる。 この人は、本当に自分を愛してくれている。 そう、確信できた。 ⸻ 一歩、歩き出す。 バージンロード。 一歩ずつ。 彼の元へ向かって。 ドレスの裾が、静かに揺れる。 時間が、ゆっくりと流れている気がした。 うじくんの目から、視線が離れない。 彼も、同じようにあやを見ていた。 21歳の花嫁と、45歳の花婿。 24年の時間を越えて。 二人は、ここに立っている。 ⸻ 彼の前に、たどり着く。 目の前に立つと、彼の手が少し震えているのが分かった。 あやは、そっと微笑んだ。 うじくんも、微笑み返す。 言葉はいらなかった。 ここまで来るまでに、すべてを伝え合ってきたから。 ⸻ 誓いの時間。 「健やかなる時も、病める時も――」 静かな声が、空間に響く。 あやは、うじくんの目を見つめた。 この人と、生きていく。 この人の隣で、歳を重ねていく。 「――死が二人を分かつまで、愛し続けることを誓いますか?」 うじくんは、迷わず答えた。 「誓います」 低く、力強い声。 あやの番。 胸がいっぱいになる。 それでも―― しっかりと答えた。 「誓います」 その瞬間。 二人は、正式に夫婦になった。 ⸻ 指輪の交換。 あの日、海で渡された指輪。 今度は、みんなの前で、正式に。 うじくんが、あやの薬指に指輪をはめる。 その手は、温かかった。 あやも、彼の指に指輪をはめた。 45年生きてきた、その手に。 これからは、自分の人生も重なる。 ⸻ 「新郎、新婦。誓いのキスを」 静かな声。 うじくんが、あやを見つめる。 優しく、愛おしそうに。 そして―― そっと、キスをした。 優しくて、深いキス。 それは、愛の証。 永遠の始まり。 ⸻ 拍手が響く。 祝福の音。 あやは、涙を流しながら笑った。 うじくんも、笑っていた。 二人で。 同じ未来を見ながら。 21歳のあやと、45歳のうじくん。 年の差なんて、もう関係なかった。 二人は、夫婦になった。 本当の意味で、家族になった。 愛が、すべてを繋いだ。 第十九章「夫婦になった夜」 結婚式が終わった夜。 祝福の声も、拍手も、すべてが夢のように過ぎていった。 静かなホテルの部屋。 扉が閉まった瞬間―― 世界には、二人だけになった。 あやは、少しだけ緊張しながら、窓の外を見た。 夜の街の灯りが、遠くに輝いている。 「……終わっちゃったね」 小さく呟く。 うじくんが、後ろからゆっくり近づいてきた。 「終わりじゃないよ」 低くて優しい声。 「始まりだ」 その言葉に、あやの胸が熱くなる。 始まり。 夫婦としての、人生の始まり。 ⸻ 「……あや」 名前を呼ばれる。 振り向いた瞬間―― 彼の腕に、優しく包まれた。 強くはない。 けれど、離れられないほど、深い抱擁。 「今日の君は、本当に綺麗だった」 耳元で囁かれる。 その声は、愛で満ちていた。 「ずっと見ていたかった」 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 「緊張してた……」 正直な気持ち。 「でも、うじくんがいたから、大丈夫だった」 彼の心臓の音が聞こえる。 落ち着いた、安心できる音。 「これからは」 彼が、静かに言った。 「毎日、隣にいる」 その言葉は、誓いだった。 あやは、彼を見上げた。 優しい目。 大人の男性の目。 けれど、その奥には、少年のような純粋な愛があった。 「……うじくん」 名前を呼ぶ。 それだけで、想いが溢れる。 彼は、あやの頬にそっと触れた。 指先が、優しくなぞる。 「愛してる」 低く、深い声。 あやの目に、涙が浮かぶ。 「私も……愛してる」 その瞬間。 彼は、優しくキスをした。 式の時のキスとは違う。 もっと近くて、もっと深いキス。 夫婦としてのキス。 これからの人生を共にする、誓いのキス。 彼の腕が、あやを優しく引き寄せる。 その温もりに、すべてを委ねた。 怖くなかった。 なぜなら―― この人は、一生、自分を守ってくれる人だから。 ⸻ ベッドに並んで座る。 少しだけ、照れくさい沈黙。 けれど、それさえも幸せだった。 うじくんは、あやの手を握った。 「これから先」 静かに言う。 「楽しいことばかりじゃないかもしれない」 現実的な言葉。 大人の男性の言葉。 「それでも、俺は君の隣にいる」 まっすぐな目。 「どんな時も、守る」 あやは、彼の手を握り返した。 「私も、隣にいる」 強く。 「ずっと」 その言葉に、彼は微笑んだ。 そして―― あやを優しく抱きしめた。 同じベッドで、同じ未来の中で。 夫婦として、初めての夜。 それは、激しいものではなく―― 深く、静かで、満ち足りた夜だった。 愛に包まれた夜だった。 ⸻ 夜が更けていく。 あやは、彼の胸の中で目を閉じた。 「……幸せ?」 彼が、小さく聞く。 あやは、微笑んだまま答えた。 「うん」 そして、続けた。 「世界で一番、幸せ」 彼の腕が、少し強くなる。 「俺もだよ」 その声を聞きながら、あやは眠りについた。 夫の腕の中で。 安心できる場所で。 21歳の妻と、45歳の夫。 24歳の差を越えて。 二人の愛は、永遠になった。 第二十章「二人の帰る場所」 「ただいま」 結婚式とホテルでの夜を終え、二人は家に戻ってきた。 その言葉の響きが、今までとは違って聞こえる。 もう、恋人同士ではない。 夫婦としての「ただいま」。 「おかえり」 あやは、微笑みながら答えた。 その瞬間、うじくんの表情が柔らかくなる。 「この言葉を、毎日聞けるんだな……」 彼は、静かに呟いた。 45歳の彼が、こんなふうに幸せそうな顔をするのを見るたびに、あやの胸は温かくなる。 ⸻ ドレスも、タキシードもない。 普段着の二人。 それなのに―― それが一番、自然で、幸せだった。 あやはキッチンに立った。 「何か作るね」 そう言うと、うじくんが少し驚いた顔をする。 「無理しなくていいよ」 「無理じゃないよ」 あやは振り返り、微笑んだ。 「うじくんの奥さんだもん」 その一言で、彼の目が優しく揺れた。 奥さん。 その響きが、二人の関係を現実にする。 ⸻ 簡単な料理。 特別なものじゃない。 けれど―― 「美味しい」 うじくんは、本当に嬉しそうに言った。 「こんな幸せがあるなんてな」 あやは、少し照れた。 「大げさだよ」 「大げさじゃない」 彼は真剣だった。 「君がいるだけで、全部が変わった」 その言葉に、あやは胸がいっぱいになる。 ⸻ 夜。 ソファに並んで座る。 テレビはついているけれど、見ていない。 ただ、隣にいるだけで満たされていた。 あやは、彼の肩に頭を乗せた。 「ねえ」 「うん?」 「結婚して、よかった?」 少しだけ、不安だった。 彼にとって、自分は本当に正しい選択だったのか。 うじくんは、すぐに答えなかった。 代わりに、あやの手を握った。 そして―― 「俺の人生で、一番正しい選択だった」 その言葉は、重くて、温かかった。 あやの目に、涙が浮かぶ。 「ありがとう……」 小さく呟く。 彼は、あやを優しく抱き寄せた。 「ありがとうは、俺の方だよ」 低い声。 「俺を選んでくれて」 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 ここが、自分の居場所。 ここが、帰る場所。 ⸻ それからの日々は、静かに流れていった。 一緒に朝ごはんを食べて。 一緒に出かけて。 一緒に眠る。 特別なことはない。 けれど―― すべてが特別だった。 ⸻ ある朝。 あやは、少しだけ違和感を感じていた。 体が、いつもと違う。 ぼんやりする。 「大丈夫?」 うじくんが、心配そうに聞く。 「うん……ちょっと疲れてるだけ」 そう答えたけれど、自分でも分からなかった。 この感覚の意味を。 けれど―― それが、二人の人生をさらに変える“奇跡の始まり”だとは、 まだ、知らなかった。 第二十一章「あなたの子を、愛してる」 朝。 目が覚めた瞬間、胸の奥が少しざわついた。 理由は分からない。 けれど、昨日から続くこの違和感が、気になっていた。 隣では、うじくんがまだ眠っている。 穏やかな顔。 その顔を見ると、自然と心が落ち着く。 あやは、そっとベッドから起き上がった。 左手の薬指には、結婚指輪。 それに触れるたびに、ここが現実なのだと実感する。 ⸻ 洗面所で顔を洗いながら、ふと考えた。 「……もしかして」 その考えが浮かんだ瞬間、心臓が強く打つ。 まさか。 でも―― 可能性は、ある。 手が少し震える。 嬉しいのか、不安なのか、自分でも分からなかった。 ⸻ その日、あやは一人で外に出た。 薬局の前で、立ち止まる。 扉を開けるまでに、何度も深呼吸をした。 中に入り、目的のものを手に取る。 小さな箱。 けれど、それは人生を変えるかもしれない箱だった。 レジで会計を済ませる時、心臓の音がうるさいほど響いていた。 ⸻ 家に戻る。 うじくんは、まだ仕事でいない。 静かな部屋。 あやは、その箱を見つめた。 「……大丈夫」 自分に言い聞かせる。 そして―― 確かめた。 ⸻ 数分後。 結果を見た瞬間。 世界が止まった。 手が震える。 目に涙が浮かぶ。 信じられない。 でも―― 確かに、そこに答えがあった。 あやは、そっとお腹に手を当てた。 「……いるの?」 小さく呟く。 まだ、何も感じない。 けれど―― 確かに、ここに、新しい命がある。 うじくんとの、愛の証。 涙が、頬を伝った。 嬉しくて。 怖くて。 そして―― 幸せで。 ⸻ 夜。 「ただいま」 うじくんが帰ってきた。 いつもの声。 いつもの姿。 けれど今日は、すべてが違って見えた。 「おかえり」 あやは、少し緊張しながら答えた。 「どうした?元気ない?」 すぐに気づく。 優しい人。 あやは、彼の前に立った。 「うじくん……」 声が震える。 「大事な話があるの」 彼の表情が、真剣になる。 「どうした?」 あやは、彼の手を取った。 そして―― 自分のお腹に、彼の手をそっと重ねた。 うじくんは、驚いた顔をする。 「あや……?」 あやは、涙を浮かべながら、言った。 「赤ちゃん……できたの」 沈黙。 時間が止まる。 彼の手が、わずかに震える。 「……本当に?」 かすれた声。 あやは、涙を流しながら頷いた。 「うん……」 その瞬間。 うじくんの目から、涙が溢れた。 45歳の彼が、声を失って泣いている。 「あや……」 彼は、あやを強く抱きしめた。 震えていた。 「ありがとう……」 何度も繰り返す。 「ありがとう……」 その声には、すべての感情が込められていた。 喜び。 驚き。 愛。 そして―― 守りたいという、強い決意。 彼は、あやのお腹にそっと手を当てた。 まるで、壊れ物を扱うように優しく。 「俺たちの……子ども……」 信じられないというように、呟く。 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 「一緒に……育てようね」 彼は、強く頷いた。 「ああ」 迷いのない声。 「俺の命をかけて、守る」 その言葉に、あやは涙を流しながら笑った。 二人の愛が、新しい命になった。 夫婦から、家族へ。 人生が、また新しく動き出した。 第二十二章「守ると決めた命」 「無理しちゃダメだ」 それが、うじくんの口癖になった。 朝、起きる時も。 キッチンに立とうとした時も。 少しでも疲れた顔を見せた時も。 「俺がやるから」 そう言って、すぐに動いてくれる。 あやは、少し申し訳なくなって言った。 「大丈夫だよ。まだ普通に動けるし……」 すると彼は、真剣な顔で首を振った。 「君一人の体じゃない」 その言葉に、あやの胸が静かに震えた。 「俺たちの、大事な命がある」 そう言って、そっとあやのお腹に手を当てる。 その手は、相変わらず大きくて、温かかった。 ⸻ 数日後。 二人は、病院へ向かった。 初めての検診。 待合室で、あやは少し緊張していた。 隣に座るうじくんは、静かだった。 けれど、よく見ると、手を強く握っている。 「……うじくん?」 声をかけると、彼は少し笑った。 「俺の方が緊張してるかもしれない」 その言葉に、あやは微笑んだ。 いつも落ち着いている彼が、こんなふうに緊張している。 それだけ、この命を大切に思っている証だった。 ⸻ 診察室。 「順調ですね」 医師の優しい声。 「ちゃんと育っていますよ」 その言葉を聞いた瞬間、あやの目に涙が浮かんだ。 隣を見る。 うじくんは、画面をじっと見つめていた。 小さな、小さな存在。 まだ形もはっきりしない。 それでも―― 確かに、そこにいる。 彼の子。 二人の子。 うじくんの目から、静かに涙がこぼれた。 あやは、初めて見た。 彼が、こんなふうに泣くのを。 「……生きてる」 彼は、小さく呟いた。 その声は、震えていた。 ⸻ 帰り道。 車の中。 しばらく、二人とも何も話さなかった。 言葉にできないほどの想いが、溢れていたから。 やがて、うじくんが言った。 「俺……」 少し、間を置く。 「父親になるんだな」 その言葉は、重くて、温かかった。 あやは、彼の手を握った。 「うん」 微笑む。 「一緒に、なるんだよ」 彼は、あやを見つめた。 そして、優しく微笑んだ。 「あや」 名前を呼ぶ。 「産んでくれて、ありがとう」 まだ、生まれていないのに。 それでも、彼はもう、感謝していた。 その言葉に、あやの涙が溢れる。 「こちらこそ……」 声が震える。 「うじくんの子を、愛せて幸せ」 彼は、車を止めた。 そして―― あやを優しく抱きしめた。 「絶対に守る」 耳元で、静かに言う。 「君も、この子も」 その言葉は、誓いだった。 夫として。 そして―― 父としての誓い。 ⸻ 家に帰ると、うじくんはあやをソファに座らせた。 「ちゃんと休んで」 まるで、宝物を扱うように。 あやは、彼を見上げた。 「ねえ」 「うん?」 「うじくんが、パパになるんだね」 そう言うと、彼は少し照れたように笑った。 「実感、まだないけどな」 そして―― あやのお腹に手を当てる。 「でも、守りたいって気持ちは、もうある」 その手の温もりが、すべてを物語っていた。 愛は、また一つの形になった。 夫婦から、家族へ。 そして―― 父と母になる日が、近づいていた。 第二十三章「大きくなる愛」 季節は、ゆっくりと進んでいた。 窓から入る風が、少しずつ暖かくなっている。 あやは、鏡の前に立っていた。 そっと、自分のお腹に手を当てる。 前よりも、少しだけ膨らんでいる。 「……大きくなってる」 小さく呟くと、胸の奥がじんわり温かくなった。 ここに、命がある。 自分の中で、確かに育っている。 それは、奇跡だった。 ⸻ 「無理してない?」 後ろから、うじくんの声。 振り返ると、心配そうな顔で立っている。 「大丈夫だよ」 あやは微笑んだ。 「この子、元気みたい」 そう言って、お腹を優しく撫でる。 うじくんは、少し遠慮するように近づいた。 「……触ってもいい?」 その言葉が、愛しくてたまらなかった。 「うん」 あやが頷くと、彼はそっと手を当てた。 大きくて、温かい手。 まるで、命に挨拶するように。 「……すごいな」 彼は、小さく呟いた。 「ここにいるんだな」 その目は、父親の目だった。 もう、ただの恋人でも、夫でもない。 父になる人の目。 ⸻ 「最近、無理してないか?」 ソファに座りながら、彼が聞く。 「してないよ」 「本当か?」 疑うような目。 あやは少し笑った。 「心配しすぎ」 すると彼は、真剣な顔で言った。 「心配するよ」 その言葉には、迷いがなかった。 「君は、俺の一番大切な人だから」 そして―― 「その中に、俺の子がいる」 あやの胸が、強く締め付けられる。 この人は、本当に守ろうとしている。 全力で。 ⸻ 夜。 ベッドに並んで横になる。 あやは、彼の腕の中にいた。 最近、彼は以前よりも優しくなった。 いや―― もっと深く、愛するようになった。 「ねえ」 あやが、小さく呼ぶ。 「うん?」 「もし、この子が女の子だったら?」 彼は少し考えてから、微笑んだ。 「君みたいな子がいい」 その答えに、あやの心臓が跳ねる。 「優しくて、強くて」 そして―― 「愛を知ってる子」 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 「男の子だったら?」 そう聞くと、彼は少し笑った。 「君を守れる男になってほしい」 その言葉が、嬉しかった。 この人は、本当に家族を大切にする人だ。 ⸻ ある夜。 あやは、彼の手を自分のお腹に当てた。 「ねえ……」 「うん?」 「パパだよ」 そう、優しく言った。 うじくんの手が、わずかに震えた。 「……パパ」 その言葉を、静かに繰り返す。 そして―― 涙を流した。 声を出さずに。 ただ、静かに。 「守るからな」 お腹に向かって、優しく言う。 「絶対に守る」 その姿を見て、あやも涙を流した。 この人と結婚してよかった。 この人の子を、愛せてよかった。 21歳の妻と、45歳の夫。 そして―― 新しい命。 愛は、確実に未来へと続いていた。 第二十四章「あなたに会える日」 お腹は、もうはっきりと大きくなっていた。 初めて会った頃、華奢だった自分の体。 今は、その中に新しい命を宿している。 あやは、ソファに座りながら、お腹を優しく撫でた。 「もうすぐだね……」 小さく話しかける。 すると―― ポン、と小さく動いた。 「あ……」 思わず声が漏れる。 「うじくん!」 キッチンにいた彼が、すぐに駆け寄ってきた。 「どうした!?」 心配そうな顔。 あやは、彼の手を取って、自分のお腹に当てた。 「今、動いたの」 彼の手の下で、もう一度、小さく動く。 その瞬間。 うじくんの目が、大きく見開かれた。 「……動いた」 信じられないというように、呟く。 もう一度。 小さな命が、そこにいると伝えるように。 彼の目に、涙が浮かぶ。 「すごい……」 その声は、震えていた。 「本当に……いるんだな」 あやは、彼を見上げた。 こんなにも、優しい顔をする人。 父になる人の顔。 ⸻ 「ありがとう」 彼は、あやのお腹に手を当てたまま言った。 「ここまで、守ってくれて」 あやは、首を振った。 「ううん」 そして、彼の手に自分の手を重ねた。 「一緒に守ってきたんだよ」 彼は、静かに微笑んだ。 ⸻ 出産予定日が近づくにつれて、彼はさらに優しくなった。 仕事から帰ると、必ず体調を確認する。 「苦しくない?」 「痛くない?」 何度も、何度も。 あやは、少し笑いながら言った。 「大丈夫だよ」 「俺が大丈夫じゃない」 真剣な顔。 「怖いんだ」 その言葉に、あやは驚いた。 「怖い?」 彼は、正直に頷いた。 「君を失うかもしれないって、少しでも考えると……」 声が止まる。 あやは、彼の手を握った。 「大丈夫」 優しく言う。 「私、強いよ」 彼は、あやを見つめた。 「知ってる」 そして―― 優しく抱きしめた。 「でも、守りたい」 その言葉は、愛そのものだった。 ⸻ そして―― その日は、突然やってきた。 夜中。 あやは、違和感で目を覚ました。 「……っ」 下腹部に、鈍い痛み。 今まで感じたことのない感覚。 隣で眠っている彼を見た。 起こすべきか、一瞬迷う。 けれど―― 「うじくん……」 小さく呼ぶ。 彼は、すぐに目を覚ました。 「どうした!?」 あやの表情を見て、顔色が変わる。 「痛いの……」 その言葉だけで、すべてを理解した。 「……来たんだな」 彼の声が、震えている。 けれど、すぐに立ち上がった。 「すぐ、病院行こう」 落ち着こうとしているのが分かる。 あやは、彼の手を握った。 その手は―― 冷たくなっていた。 怖いのは、自分だけじゃない。 彼も、同じだった。 ⸻ 車の中。 あやは、彼の手を握っていた。 痛みが、少しずつ強くなる。 けれど―― 怖くなかった。 隣に、彼がいるから。 「大丈夫」 彼は、自分に言い聞かせるように呟く。 「俺がついてる」 その言葉に、あやは微笑んだ。 「うん……」 涙が、静かに流れる。 もうすぐ、会える。 自分たちの子に。 二人の愛の結晶に。 21歳の母と、45歳の父。 人生で、一番大きな瞬間が、始まろうとしていた。 第十三章 ― 約束の重さと、愛の深さ(続き) キッチンの静かな空気の中で、あやはうじくんの胸に顔を埋めたまま、しばらく動けずにいた。 うじくんの鼓動が、ゆっくりと、でも確かに伝わってくる。 大人の男の人の心臓の音は、どうしてこんなに安心するんだろう。 強くて、温かくて、全部を包み込んでくれるみたいで。 「……あや」 低くて優しい声が、すぐ頭の上から降りてくる。 「はい……」 「怖くないか?」 少しだけ、迷いを含んだ声だった。 あやは顔を上げた。 「何がですか?」 「俺と生きていくこと」 その言葉は、想像していたよりずっと重かった。 軽い意味じゃない。 “これから先の全部”を指している言葉だった。 あやは、うじくんの目をまっすぐ見た。 深くて、優しくて、そして少しだけ不安そうな目。 きっと、この人は本気で考えてる。 年齢差も、世間の目も、未来のことも。 全部。 その上で、それでも一緒にいたいと思ってくれている。 胸が、ぎゅっと締め付けられた。 「……怖くないです」 あやは、ゆっくりと言った。 「うじくんがいない未来の方が、怖いです」 その瞬間、うじくんの表情が、わずかに崩れた。 驚きと、そして、深い感情。 「……あや」 「私、子供ですけど」 あやは少し笑った。 「でも、うじくんといる時だけは、ちゃんと大人になりたいって思うんです」 守られるだけじゃなくて。 隣に立てる人になりたい。 支えられるだけじゃなくて。 支えたい。 「一緒に年を取っていきたいです」 その言葉を聞いた瞬間、 うじくんは、もう我慢できないみたいに、あやを強く抱きしめた。 「……ありがとう」 その声は、震えていた。 あやは気づいた。 この人も、怖かったんだ。 失うこと。 傷つけること。 そして、愛すること。 それでも、 それでも、この人は自分を選んでくれた。 「うじくん」 「ん?」 「約束してください」 「何を?」 あやは、彼の胸に手を当てた。 「ずっと、一緒にいてください」 うじくんは、少しも迷わずに答えた。 「約束する」 その声は、静かで、強かった。 「一生、離さない」 その言葉を聞いた瞬間、 あやの目から涙がこぼれた。 悲しい涙じゃない。 幸せで、胸がいっぱいになった涙だった。 うじくんは、その涙を指でそっと拭った。 「泣き虫だな」 「……うじくんのせいです」 「俺のせいか」 「はい」 あやは笑った。 涙で少し濡れたままの笑顔。 うじくんは、その顔を見つめて、優しく額にキスを落とした。 軽くて、でも深い意味を持ったキス。 「愛してる」 初めて、はっきりと言葉にしてくれた。 あやの呼吸が止まった。 ずっと聞きたかった言葉。 夢みたいな言葉。 「……私も」 声が震えた。 「愛してます」 その瞬間、 二人の距離は、もう完全になくなった。 年齢差も、 不安も、 迷いも、 全部、 この愛の中に溶けていった。 うじくんは、あやの髪を撫でながら言った。 「なあ、あや」 「はい」 「これから先の話、少しずつしていこう」 未来の話。 一緒に住むこと。 毎日同じ家に帰ること。 同じ朝を迎えること。 「はい」 あやは、迷わず頷いた。 もう怖くない。 だって、 隣に、うじくんがいるから。 彼の腕の中で、 あやは静かに思った。 この人となら、 どんな未来も、 きっと幸せだ。 ――そして、 この日から、 二人の未来は、 確かに動き始めた。 第十三章 ― 約束の重さと、愛の深さ(続き・2) 夜は、ゆっくりと深まっていった。 リビングの灯りだけが柔らかく二人を包んでいる。 あやはソファに座り、うじくんの肩に頭を預けていた。 大きな肩。 温かい体温。 隣にいるだけで、胸が満たされていく。 何も話さなくても、幸せだった。 うじくんの指が、あやの髪をそっと撫でる。 優しくて、まるで壊れ物に触れるみたいな手つき。 「……あや」 低く、落ち着いた声。 「はい」 「一緒に住むこと、考えないか」 その言葉に、あやの心臓が強く跳ねた。 「……え」 一瞬、理解が追いつかなかった。 一緒に住む。 それはつまり、 毎日一緒にいるということ。 朝も、夜も。 帰る場所が同じになるということ。 あやは、ゆっくり顔を上げた。 うじくんは真剣な目で、あやを見ていた。 冗談じゃない。 本気だ。 「……いいんですか」 思わず、そんな言葉が出た。 うじくんは少しだけ眉を下げて笑った。 「いいんですか、じゃないだろ」 そして、あやの頬に触れた。 「一緒にいたいから言ってる」 その言葉は、まっすぐだった。 飾りも、迷いもない。 ただ純粋な気持ち。 あやの胸が熱くなる。 「……私も」 声が小さく震えた。 「一緒にいたいです」 その瞬間、 うじくんはあやを抱き寄せた。 強く、でも優しく。 「無理はしなくていい」 耳元で、静かに言う。 「生活も変わるし、責任も増える」 大人の男の人の言葉だった。 甘さだけじゃない。 現実もちゃんと見ている。 それでも。 「それでも、俺はあやと一緒に生きたい」 その一言で、 あやの迷いは全部消えた。 「……はい」 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 「一緒に住みたいです」 うじくんの腕に、少しだけ力がこもる。 「ありがとう」 その声は、深くて、温かかった。 しばらくして、 うじくんは少し冗談っぽく言った。 「朝、弱いんだろ?」 「……弱いです」 「起こしてやるよ」 「本当ですか?」 「ああ」 「優しく?」 「……どうだろうな」 少し意地悪そうに笑う。 あやは、くすっと笑った。 「じゃあ、私が先に起きて、朝ごはん作ります」 うじくんは驚いた顔をした。 「料理できるのか?」 「練習します」 真剣に言うと、 うじくんは優しく目を細めた。 「無理しなくていい」 「無理じゃないです」 あやは言った。 「うじくんのために、やりたいんです」 その言葉に、 うじくんは一瞬、言葉を失った。 そして、 静かにあやの頭にキスをした。 「……幸せだな」 ぽつりと漏れた、本音。 あやの胸が、ぎゅっとなる。 「私も、幸せです」 二人は、もう一度見つめ合った。 年齢差なんて、 もう関係なかった。 ただ、 愛している人が目の前にいる。 それだけで十分だった。 窓の外では、夜の街が静かに光っている。 これまで、別々の場所で生きてきた二人。 違う時間を歩いてきた二人。 でも、 これからは、 同じ時間を生きていく。 同じ家で。 同じ未来を見ながら。 うじくんは、あやの手を握った。 大きくて、温かい手。 「少しずつ、準備しよう」 「はい」 「焦らなくていい」 「はい」 「でも――」 うじくんは、あやの目を見て言った。 「本気だからな」 その言葉は、 プロポーズではない。 でも、 それと同じくらい重くて、 それと同じくらい愛に満ちていた。 あやは、涙を浮かべながら笑った。 「私も、本気です」 二人の手は、 もう離れなかった。 ――こうして、 二人の同棲への物語が、 静かに始まった。 第十三章 ― 約束の重さと、愛の深さ(続き・3) ― 同棲初日 ― その日、あやは少し大きめのバッグを抱えて、うじくんの家の前に立っていた。 中には、 服と、 少しの化粧品と、 そして、 勇気。 何度も深呼吸をする。 ――本当に、始まるんだ。 インターホンを押そうとして、少しだけ手が止まった。 もう、 「遊びに来る」んじゃない。 「帰ってくる」になる。 その意味の違いが、 嬉しくて、 でも少しだけ緊張して。 ピンポーン―― 音が鳴った。 すぐに、ドアが開いた。 「……あや」 うじくんが立っていた。 いつもと同じなのに、 なぜか今日は違って見える。 「来たか」 その一言が、 胸の奥に優しく響いた。 「……はい」 あやは、小さく笑った。 うじくんは、あやのバッグを見て、 そして、あやの顔を見た。 何も言わず、 そっとバッグを持った。 「重いだろ」 「大丈夫です」 「大丈夫じゃなくていい」 その言葉は、 これからの関係そのものみたいだった。 一人で無理しなくていい。 頼っていい。 そう言われているみたいで。 部屋に入ると、 もう見慣れたはずの空間なのに、 今日はまるで違う場所みたいに感じた。 ここが、 自分の居場所になる。 そう思った瞬間、 胸がいっぱいになった。 うじくんは、バッグを部屋の奥に置いた。 「ここ、使っていい」 クローゼットを開けて見せる。 半分、空いているスペース。 あやのために空けてくれた場所。 その優しさに、 胸がぎゅっとなる。 「……いいんですか」 「当たり前だろ」 うじくんは自然に言った。 「これから、ここはあやの場所でもある」 その言葉を聞いた瞬間、 あやの目に涙が浮かんだ。 「どうした」 「……嬉しくて」 うじくんは、 何も言わずにあやを抱き寄せた。 大きな腕の中。 もう、 遠慮しなくていい場所。 「おかえり」 その一言。 その一言だけで、 あやの世界は変わった。 「……ただいま」 初めて言う言葉。 でも、 不思議なくらい自然だった。 うじくんは、あやの髪を撫でた。 「これから、毎日言うことになるな」 あやは、彼の胸の中で笑った。 「はい」 幸せが、 静かに、 でも確かに、 二人の間に積み重なっていく。 この日が、 二人の本当の意味での 「始まり」だった。 第十三章 ― 約束の重さと、愛の深さ(続き・4) ― 初めて一緒に迎える夜 ― 夜は、思っていたより早く訪れた。 同じ部屋にいて、 同じ空気を吸って、 同じ時間を過ごしているだけなのに、 胸の奥がずっと落ち着かない。 嬉しさと、 少しの緊張と、 そして―― 言葉にできないほどの幸福感。 あやは、ソファに座りながら、ちらりとうじくんを見た。 キッチンに立って、水をグラスに注いでいる後ろ姿。 広い背中。 長い腕。 落ち着いた動き。 大人の男の人。 その人が、 今、 自分と同じ家で暮らしている。 「はい」 うじくんがグラスを差し出した。 「ありがとうございます」 指が触れる。 その一瞬だけで、 体温が伝わって、 胸が熱くなる。 うじくんは、あやの隣に座った。 距離は近い。 でも、 まだ少しだけ、遠慮が残っている距離。 沈黙が流れる。 気まずいわけじゃない。 むしろ、 満たされている沈黙。 「……あや」 「はい」 「無理してないか」 その言葉に、 あやは首を横に振った。 「してないです」 本当だった。 緊張はしている。 でも、 それ以上に安心している。 うじくんが隣にいるから。 「……そっか」 うじくんは、小さく頷いた。 そして、 ゆっくりと、 あやの手を握った。 大きくて、 温かい手。 包み込まれる感覚。 「こうしてると」 うじくんが、静かに言った。 「本当に始まったんだって実感する」 あやは、彼の肩に頭を預けた。 「私もです」 心臓の音が聞こえる。 一定で、 落ち着いていて、 安心する音。 しばらくして、 うじくんが低く言った。 「……眠るか」 その一言に、 あやの胸が小さく跳ねた。 眠る。 一緒に。 同じベッドで。 うじくんは立ち上がり、 あやに手を差し出した。 「おいで」 あやは、その手を取った。 寝室に入る。 何度か入ったことはある。 でも、 今日は意味が違う。 ベッドが、 やけに大きく見える。 うじくんは、先に座った。 そして、 あやを見上げた。 その目は、 優しくて、 でも少しだけ緊張しているようにも見えた。 「……怖いか」 あやは、ゆっくり首を横に振った。 「怖くないです」 本当は、 少しだけドキドキしている。 でも、 怖くはない。 この人だから。 うじくんは、あやの手を引いて、隣に座らせた。 距離が近い。 呼吸が感じられるほど。 彼の手が、 あやの髪に触れる。 ゆっくりと撫でる。 「綺麗だ」 小さな声で言った。 あやの頬が熱くなる。 「……うじくん」 名前を呼ぶと、 彼は優しく微笑んだ。 そして、 額にキスをした。 触れるだけの、 優しいキス。 大切にされていると、 はっきりわかるキス。 あやは、彼の胸に顔を預けた。 うじくんは、そっと抱きしめた。 強すぎず、 弱すぎず、 守るように。 「……眠ろう」 「はい」 ベッドに横になる。 同じ布団の中。 隣に、 うじくんがいる。 彼の腕が、 自然にあやを引き寄せる。 あやは、 その胸に顔を埋めた。 温かい。 安心する匂い。 心臓の音。 全部が、 自分の居場所だと教えてくれる。 「おやすみ、あや」 「……おやすみなさい、うじくん」 静かな夜。 でも、 孤独じゃない夜。 初めて、 本当の意味で一緒に眠る夜。 あやは思った。 これから、 毎日、 この人の隣で眠るんだ。 それは、 奇跡みたいな幸せだった。 彼の腕の中で、 あやはゆっくりと目を閉じた。 うじくんの温もりに包まれながら―― 深く、 穏やかな眠りへと落ちていった。 第十三章 ― 約束の重さと、愛の深さ(続き・5) ― 初めて一緒に迎える朝 ― カーテンの隙間から、柔らかな朝の光が差し込んでいた。 静かな部屋。 時計の針の音だけが、かすかに響いている。 うじくんは、ゆっくりと目を開けた。 隣には、 あやがいた。 小さな体が、自分の腕の中に収まっている。 規則正しい寝息。 無防備な寝顔。 長いまつ毛。 少しだけ開いた唇。 その全部が、 愛しくて仕方なかった。 ――本当に、ここにいるんだ。 夢じゃない。 現実だ。 昨夜、 「ただいま」と言ってくれたことを思い出す。 あの瞬間の胸の感覚が、まだ残っている。 うじくんは、そっとあやの髪を撫でた。 起こさないように、 優しく。 すると、 あやが小さく動いた。 「……ん……」 ゆっくりと目を開ける。 まだ少し眠そうな目。 そして、 うじくんを見つけた瞬間、 ふわっと笑った。 「……うじくん」 その声は、 朝の光みたいに柔らかかった。 「おはよう」 うじくんは言った。 あやは、少しだけ照れながら言った。 「……おはようございます」 その言葉が、 胸の奥まで染み込んでいく。 こんな朝を迎える日が来るなんて、 昔の自分は想像もしていなかった。 あやは、彼の胸に顔を埋めた。 「本当に、一緒にいるんですね……」 小さな声。 信じられないみたいな、 でも嬉しさが溢れている声。 うじくんは、あやの背中を撫でた。 「ああ」 それだけで十分だった。 しばらくして、 あやが少し慌てたように起き上がった。 「朝ごはん……!」 うじくんは、思わず笑った。 「いいよ、まだ」 「でも……」 「無理するな」 あやは少し迷ってから、 小さく頷いた。 「……はい」 その素直さが、 また愛しかった。 あやはベッドの端に座り、 窓の外を見た。 朝の街。 新しい一日。 そして、 新しい生活。 「……うじくん」 「ん?」 あやは振り返った。 「これから、毎日一緒ですね」 その言葉は、 確認みたいで、 願いみたいだった。 うじくんは、 ゆっくり頷いた。 「ああ」 そして、 続けて言った。 「毎日一緒だ」 その言葉を聞いた瞬間、 あやは泣きそうな顔で笑った。 その顔を見た時、 うじくんの中で、 何かがはっきりと形になった。 守りたい。 この子の、 この笑顔を、 一生。 誰にも渡さず、 ずっと隣で。 その瞬間、 心の奥で、 一つの決意が生まれていた。 まだ言葉にはしない。 でも、 確実に。 ――この子と、結婚する。 静かで、 でも揺るがない決意だった。 うじくんは、 あやを引き寄せた。 「どうしたんですか?」 「いや」 少しだけ笑って、 言った。 「幸せだなって思っただけだ」 あやは、 彼の胸の中で、 安心したように目を閉じた。 新しい朝。 新しい未来。 そして、 これから始まる、 二人の本当の人生。 第十四章 ― 年の差と、揺れる心 同棲を始めてから、数日が過ぎた。 あやは少しずつ、うじくんの家での生活に慣れてきていた。 朝、先に目が覚めて、 隣で眠るうじくんの寝顔を見て、 静かにベッドを抜け出す。 キッチンに立ち、 慣れない手つきで朝ごはんを用意する。 トーストと、 簡単な目玉焼きと、 コーヒー。 完璧じゃない。 でも、 うじくんは必ず言ってくれた。 「うまいよ」 その一言が、 何より嬉しかった。 「本当ですか?」 「本当だ」 そう言って笑う顔を見るたび、 あやは幸せを実感した。 夜も、 同じソファに座って、 同じテレビを見て、 同じ時間を過ごす。 特別なことは何もない。 でも、 それが一番幸せだった。 ――ずっと、このままでいたい。 そう思っていた。 あの日までは。 その日、あやは一人で買い物に出かけていた。 夕飯の材料を買うために、 近くのスーパーへ。 野菜を選びながら、 自然と顔が緩む。 ――うじくん、喜んでくれるかな。 そんなことを考える自分が、 少しだけ誇らしかった。 その時だった。 「あれ……あや?」 聞き慣れた声。 振り返ると、 そこには、 同級生の女の子が立っていた。 「久しぶり!」 「……久しぶり」 少しだけ緊張しながら答える。 「元気だった?」 「うん」 普通の会話。 普通の再会。 でも、 次の質問で、 空気が変わった。 「ねえ、最近どうしてるの?彼氏とかできた?」 あやの心臓が、ドクンと鳴った。 一瞬、迷った。 でも、 隠す理由はない。 「……うん」 「えっ、本当!?」 嬉しそうに身を乗り出してくる。 「どんな人?」 あやは、少しだけためらってから答えた。 「年上の人」 「どれくらい?」 その質問に、 少しだけ声が小さくなった。 「……24歳上」 一瞬、 沈黙が落ちた。 「……え?」 信じられない、という表情。 「それって……何歳?」 「……45歳」 その瞬間、 相手の顔が変わった。 驚きと、 戸惑いと、 そして、 理解できないという表情。 「……本気?」 その一言が、 胸に刺さった。 「うん……」 「だって、それ……」 言葉を選んでいるのがわかる。 でも、 その沈黙が、 すべてを物語っていた。 普通じゃない。 おかしい。 そう思われている。 「……ごめん、ちょっとびっくりしちゃって」 悪気はない。 それはわかっている。 でも、 胸が苦しくなった。 「優しい人だよ」 思わず言った。 守るみたいに。 「すごく優しくて……大事にしてくれる」 相手は、少し困ったように笑った。 「……そっか」 その反応が、 逆に痛かった。 応援でも、 祝福でもない。 ただ、 理解できないという距離。 買い物を終えて、 家に帰る道。 夕方の空が、 やけに広く感じた。 ――私たちの関係は、 やっぱり普通じゃないのかな。 胸の奥に、 小さな不安が生まれていた。 家の前に着く。 ドアを開けると、 うじくんがいた。 「おかえり」 その一言。 その声を聞いた瞬間、 張り詰めていた心が、 少しだけほどけた。 「……ただいま」 うじくんは、 あやの顔を見て、 すぐに気づいた。 「どうした」 優しい声。 あやは、 少しだけ笑おうとした。 でも、 うまく笑えなかった。 「……なんでもないです」 そう言った瞬間、 涙が溢れそうになった。 うじくんは、 何も言わず、 あやを抱きしめた。 強く、 でも優しく。 「無理に言わなくていい」 その言葉で、 心の奥の何かが、 静かに崩れ始めた。 第十四章 ― 年の差と、揺れる心(続き) うじくんの腕の中は、いつもと同じ温もりなのに、 あやの胸の奥だけが、静かに揺れていた。 「……あや」 低くて優しい声。 責めるでもなく、 急かすでもなく、 ただ、そこにある声。 あやは、彼の胸に顔を埋めたまま、小さく息を吐いた。 「……今日」 声が震える。 「友達に会ったんです」 うじくんは、何も言わずに聞いていた。 「彼氏いるの?って聞かれて……」 少しずつ、 言葉を紡いでいく。 「年上だって言ったら……何歳?って」 胸が苦しくなる。 思い出すだけで、 心が締め付けられる。 「……45歳って言ったら」 あやの指が、うじくんの服をぎゅっと掴んだ。 「驚かれて……」 その先は、 言葉にならなかった。 うじくんの手が、 あやの背中をゆっくり撫でる。 「……そうか」 責めるでもなく、 悲しむでもなく、 ただ受け止める声。 それが逆に、 あやの涙を引き出した。 「……怖くなりました」 本音だった。 初めて口にする、 本当の気持ち。 「今はいいけど……」 声が、かすれる。 「これから先、どうなるんだろうって……」 10年後。 20年後。 自分はまだ若い。 でも、 うじくんは―― そこまで考えて、 胸が痛くなった。 「周りに、変だって思われるのかなって……」 涙が、 静かにこぼれた。 「私たち……普通じゃないのかなって……」 沈黙。 長い沈黙。 でも、 怖くなかった。 うじくんが、 そこにいるから。 しばらくして、 うじくんは、あやの肩に手を置き、 ゆっくりと体を離した。 そして、 あやの目を見た。 まっすぐに。 逃げずに。 「……あや」 その声は、 今までで一番、深かった。 「正直に言う」 あやは、 涙で滲む目で彼を見つめた。 「年の差は、なくならない」 優しい嘘は言わなかった。 現実から逃げなかった。 「俺は、お前より先に年を取る」 胸が、締め付けられる。 でも、 うじくんは続けた。 「でもな」 その目が、 強くなる。 「それでも、お前を一人にはしない」 言葉の意味が、 ゆっくりと心に届く。 「生きてる限り、絶対に守る」 その声に、 迷いは一切なかった。 「後悔させない」 一つ一つの言葉が、 重くて、 深くて、 そして―― 愛に満ちていた。 あやの涙が止まらなくなる。 「周りがどう思うかなんて関係ない」 うじくんは言った。 「俺が大事なのは、お前だ」 その一言で、 胸の中の不安が、 音を立てて崩れていく。 「……あや」 彼は、あやの頬に触れた。 温かい手。 「お前は、どうしたい」 未来を、 選ぶのは、 あや自身。 逃げ道も、 強制も、 何もない。 ただ、 選択だけを委ねてくれる。 あやは、 涙を拭いた。 そして、 彼の目を見た。 この人の目は、 ずっと変わらない。 優しくて、 強くて、 そして、 自分だけを見ている目。 「……一緒にいたい」 迷いはなかった。 「ずっと」 その瞬間、 うじくんは、 深く息を吐いた。 まるで、 長い間抱えていた何かが、 ほどけたみたいに。 そして、 あやを強く抱きしめた。 「……ありがとう」 その声は、 わずかに震えていた。 あやは、 彼の胸の中で思った。 年の差があってもいい。 周りに理解されなくてもいい。 この人と、 生きていきたい。 それが、 自分の本当の気持ちだから。 第十四章 ― 年の差と、揺れる心(続き・2) ― 決意の夜 ― その夜、 あやは、うじくんの腕の中で眠っていた。 泣き疲れたのか、 小さな子供みたいに、静かな寝息を立てている。 うじくんは、眠れずにいた。 暗い部屋の中、 天井を見つめながら、 あやの温もりを腕の中に感じていた。 ――一緒にいたい。 そう言ってくれた。 迷いながらも、 怖がりながらも、 それでも、 自分を選んでくれた。 その事実が、 胸の奥に深く響いていた。 あやの髪に、そっと触れる。 柔らかい感触。 守りたい。 この子を、 この先の人生すべてで。 今までは、 「一緒にいられたらいい」と思っていた。 でも、 もう違う。 「一緒に生きていく」 そう思っている自分がいた。 年齢差。 現実。 責任。 全部わかっている。 それでも、 この手を離したくない。 いや、 離さない。 うじくんは、 静かにあやの顔を見つめた。 安心しきった寝顔。 無防備で、 信じきっている顔。 その信頼に、 応えたいと思った。 中途半端な関係じゃなく。 曖昧な未来じゃなく。 ちゃんとした形で、 この子の隣にいたい。 ――結婚する。 その言葉が、 心の中ではっきりと浮かんだ。 その瞬間、 迷いは消えた。 怖さも、 不安も、 全部、 覚悟に変わった。 うじくんは、 あやの額に、そっとキスをした。 「……あや」 小さく呟く。 「幸せにする」 それは、 誓いだった。 誰に向けたものでもない。 ただ、 自分自身への誓い。 その後、 うじくんは静かに目を閉じた。 腕の中の温もりを感じながら。 これから始まる未来を思いながら。 そして、 翌朝。 あやがまだ眠っている時間に、 うじくんは静かにベッドを抜け出した。 起こさないように、 そっと。 着替えて、 玄関へ向かう。 ドアを開ける前に、 一度振り返った。 ベッドの中で眠るあや。 朝の光に包まれて、 まるで、 自分の人生そのものみたいに見えた。 ――待っててくれ。 心の中で、そう言った。 そして、 静かにドアを閉めた。 その日から、 うじくんは、 ある準備を始めた。 あやには、 まだ秘密の準備。 それは、 二人の未来を形にするための準備。 一生に一度の、 大切な準備だった。 第十五章 ― 形にする愛 ― 指輪 ― ガラス越しに並ぶ、小さな光。 静かな店内。 外の喧騒が嘘みたいに、落ち着いた空気が流れている。 うじくんは、ショーケースの前に立っていた。 宝石店なんて、 これまでの人生で、何度も入ったことはない。 いや、 正確には、 「本気の意味で」入ったことはなかった。 店員が、柔らかい笑顔で声をかける。 「何かお探しですか?」 うじくんは、少しだけ息を吸って答えた。 「……婚約指輪を」 その言葉を口にした瞬間、 胸の奥が、静かに震えた。 婚約指輪。 それは、 覚悟の形。 店員は優しく頷いた。 「お相手の方は、どのような方ですか?」 その質問に、 自然とあやの顔が浮かんだ。 笑った顔。 照れた顔。 泣いた顔。 そして、 「一緒にいたい」と言ってくれた時の顔。 うじくんは、静かに答えた。 「……優しい子です」 少しだけ笑った。 「すごく、素直で」 守りたくなる存在。 でも同時に、 自分を強くしてくれる存在。 店員は、いくつかの指輪を見せてくれた。 小さなダイヤ。 繊細なデザイン。 どれも美しい。 でも、 うじくんは、 一つ一つを真剣に見つめた。 妥協はできない。 これは、 あやの人生に渡すものだから。 その時、 一つの指輪が目に留まった。 シンプルなデザイン。 無駄な装飾はない。 でも、 中心のダイヤが、 静かに、強く光っている。 派手じゃない。 でも、 確かな存在感。 ――あやみたいだ。 控えめなのに、 誰よりも強く、 誰よりも温かい光を持っている。 「こちらを、見せていただけますか」 店員は、丁寧にケースから取り出した。 手のひらの上で、 小さな光が輝いている。 うじくんは、それを見つめた。 これを、 あやの指にはめる日を想像する。 驚く顔。 泣く顔。 そして、 笑う顔。 胸が、 熱くなった。 「……これにします」 迷いはなかった。 店員が微笑む。 「ありがとうございます」 サイズの確認。 受け取りの日の説明。 すべてが、 現実として進んでいく。 店を出た時、 空は、澄んだ青だった。 うじくんは、 ポケットの中の小さな箱を想像した。 まだ手元にはない。 でも、 もう決まっている。 あとは、 渡すだけ。 ――あや。 心の中で、名前を呼ぶ。 もうすぐ、 伝える。 言葉だけじゃなく、 形として。 一生を共にしたいと。 その覚悟を。 うじくんは、 静かに歩き出した。 愛する人の元へ帰るために。 第十五章 ― 形にする愛(続き) ― プロポーズの前夜 ― 指輪を受け取った日から、 うじくんの心は、静かに、でも確実に変わっていた。 ポケットの中にある、小さな箱。 それは、 ただの物じゃない。 未来そのものだった。 家のドアを開けると、 キッチンから、いい匂いがした。 「……おかえりなさい!」 あやが、少し照れながら顔を出した。 エプロン姿。 まだ慣れていない手つきで、 でも一生懸命作ったのがわかる夕飯。 その光景を見た瞬間、 胸が強く締め付けられた。 ――この子を、幸せにしたい。 心の奥で、 何度も繰り返してきた言葉が、 さらに強くなる。 「ただいま」 うじくんは、優しく答えた。 「今日、頑張って作ったんです」 「そうか」 テーブルに並ぶ料理。 完璧じゃない。 少し形が崩れた卵焼き。 少し焦げた野菜。 でも、 それが愛しかった。 「どうですか……?」 不安そうな目。 うじくんは、一口食べた。 そして、 まっすぐあやを見て言った。 「うまい」 あやの顔が、 一瞬で明るくなる。 「本当ですか?」 「ああ」 その笑顔を見た瞬間、 うじくんは確信した。 ――明日、伝えよう。 もう、 迷う理由はない。 食事の後、 二人はソファに座っていた。 あやは、うじくんの肩にもたれている。 小さな体。 温かい重み。 「……あや」 「はい?」 うじくんは、 できるだけ自然に言った。 「明日、出かけないか」 「お出かけ?」 「ああ」 「どこに?」 少し首を傾げる仕草。 可愛くて、 愛しくて、 胸が痛くなる。 「内緒だ」 あやは、少しだけ頬を膨らませた。 「気になります」 「明日になればわかる」 そう言って、 あやの頭を撫でた。 あやは、 少し照れながら笑った。 「……楽しみにしてます」 その言葉を聞いた瞬間、 うじくんの胸の鼓動が強くなる。 明日、 この子の人生が変わる。 自分の人生も変わる。 怖くないわけじゃない。 でも、 それ以上に、 確信がある。 この子となら、 どんな未来も歩いていける。 その夜、 あやはいつものように、 うじくんの腕の中で眠った。 安心しきった顔。 何も知らずに眠っている。 うじくんは、 その髪を静かに撫でながら、 心の中で言った。 ――明日、 伝える。 愛していると。 一生、 隣にいてほしいと。 その覚悟と共に、 静かな夜は、 ゆっくりと過ぎていった。 第十五章 ― 形にする愛(続き・クライマックス) ― プロポーズ ― その日、 空は、どこまでも澄んでいた。 冬の終わりを感じさせる、少し冷たい空気。 でも、 うじくんの心は、不思議なくらい静かだった。 「準備できたか」 玄関で待ちながら声をかけると、 「はい……!」 あやが、少し緊張した顔で出てきた。 淡い色のワンピース。 控えめな化粧。 でも、 どんな宝石よりも綺麗だった。 「……どうですか」 不安そうに聞く。 うじくんは、 一瞬、言葉を失った。 そして、 静かに言った。 「綺麗だ」 あやの頬が、すぐに赤くなる。 「……ありがとうございます」 その反応が愛しくて、 胸が締め付けられる。 車に乗り、 少しだけ遠くへ向かった。 あやは、窓の外を見ながら、 時々、うじくんの方を見る。 「どこに行くんですか?」 「もう少しだ」 それ以上は言わなかった。 やがて、 車は小さな丘の上に着いた。 街が見渡せる場所。 夕暮れが近づき、 空がオレンジ色に染まり始めている。 「……わあ」 あやが、小さく声を漏らした。 「綺麗……」 風が、 二人の間を静かに通り抜ける。 うじくんは、 あやの隣に立った。 しばらく、 何も言わずに景色を見ていた。 この時間を、 心に刻むように。 そして、 ゆっくりと、 あやの方を向いた。 「あや」 その声は、 少しだけ低かった。 「はい」 あやも、 彼の方を向く。 その目を見た瞬間、 何かを感じ取ったみたいに、 少しだけ息を止めた。 うじくんは、 ポケットに手を入れた。 小さな箱。 この日のために用意した、 覚悟の形。 「初めて会った時」 静かに話し始める。 「あやは、ただの可愛い子だった」 あやが、少しだけ驚いた顔をする。 「でも、一緒に過ごすうちに」 言葉を選びながら続ける。 「気づいたら、俺の中で一番大事な存在になってた」 風が、 優しく吹く。 「年の差もある」 現実から、 目を逸らさない。 「不安もあると思う」 それでも、 目を見て言った。 「それでも、俺は」 箱を開く。 中には、 小さな光。 「一生、お前と一緒にいたい」 あやの目が、 大きく見開かれる。 「守る」 「支える」 「愛し続ける」 一つ一つの言葉が、 重く、 深く、 そして、 真実だった。 「……結婚してください」 静かな空の下で、 その言葉が、 確かに響いた。 あやの目から、 涙が溢れる。 手で口を押さえ、 信じられないという顔。 「……うじくん……」 声が震えている。 涙が、 止まらない。 うじくんは、 ただ、 待った。 答えを。 強制しない。 急かさない。 ただ、 信じて。 あやは、 何度も涙を拭いた。 そして、 震える声で言った。 「……はい」 涙と一緒に、 笑顔が溢れる。 「……よろしくお願いします」 その瞬間、 うじくんの中のすべてが、 報われた。 指輪を、 あやの左手に、 ゆっくりとはめる。 ぴったりと収まる。 まるで、 最初からそこにあったみたいに。 あやは、 指輪を見つめながら泣いていた。 「……嬉しい……」 うじくんは、 そっとあやを抱きしめた。 強く、 深く、 一生離さないと誓うように。 夕焼けの中で、 二人は、 新しい未来の扉を開いた。 第十六章 ― 婚約という、永遠の約束 指輪をもらってからの帰り道。 あやは、助手席で何度も左手を見つめていた。 小さな光が、 街の灯りに反射して、静かに輝いている。 「……本当に、夢じゃないですよね」 小さく呟く。 うじくんは、ハンドルを握りながら微笑んだ。 「夢じゃない」 その一言が、 現実を優しく肯定してくれる。 あやは、そっと指輪に触れた。 「……うじくんの奥さんになるんですね、私」 まだ少し照れた声。 うじくんの胸が、静かに熱くなる。 「ああ」 短い返事。 でも、 そこにはすべてが込められていた。 信号待ちで車が止まる。 うじくんは、 そっとあやの手を握った。 指輪のはまった手。 これから一生、 守っていく手。 あやは、 その手を握り返した。 「……幸せです」 その言葉は、 まっすぐで、 純粋で、 胸の奥まで届いた。 「俺もだ」 それ以上の言葉は、 必要なかった。 ⸻ 家に帰ると、 いつもの部屋なのに、 まるで違う場所みたいに感じた。 ここはもう、 「恋人の家」じゃない。 「未来の夫婦の家」。 あやは、 玄関で靴を脱ぎながら、 少しだけ笑った。 「ただいま」 自然に出た言葉。 うじくんも答える。 「おかえり」 そのやり取りが、 これからの人生を象徴しているみたいだった。 リビングに入り、 あやはソファに座った。 そして、 改めて指輪を見つめる。 涙が、 また溢れそうになる。 うじくんが隣に座った。 「後悔してないか」 静かな声。 あやは、 すぐに首を横に振った。 「してません」 そして、 彼の目を見て言った。 「一度も」 その言葉に、 うじくんの胸の奥が、 強く締め付けられる。 あやは続けた。 「これから先も、ずっと一緒にいたいです」 迷いは、 もうなかった。 うじくんは、 あやを抱き寄せた。 「一緒にいよう」 低く、 優しく、 でも確かな声。 あやは、 彼の胸に顔を埋めた。 ここが、 自分の未来。 ここが、 帰る場所。 ⸻ それからの日々は、 静かに、 でも確実に変わっていった。 結婚式の話。 新しい生活の話。 未来の話。 「どんな式にしたい?」 「小さくてもいいです。うじくんがいれば」 「ドレス、見に行くか」 「はい……!」 そんな何気ない会話一つ一つが、 かけがえのないものだった。 夜、 ベッドの中で、 あやは小さく呟いた。 「……うじくん」 「ん?」 「私を選んでくれて、ありがとうございます」 うじくんは、 あやの髪を撫でた。 「選んだんじゃない」 静かに言う。 「出会った時から、決まってた」 運命みたいに。 あやは、 涙を浮かべながら笑った。 そして、 彼の胸の中で、 静かに眠りについた。 結婚まで、 あと少し。 二人の未来は、 もうすぐ、 永遠になる。 第十六章 ― 婚約という、永遠の約束(続き) ― 結婚式前夜 ― 結婚式の前日。 部屋の中は、静かな緊張に包まれていた。 ドレスは準備できている。 指輪も、 式場も、 すべて整っている。 あとは、 明日を迎えるだけ。 それなのに、 あやの胸は、少しだけ落ち着かなかった。 ベッドの端に座り、 自分の手を見つめる。 左手の指輪。 あの日、 うじくんがはめてくれたもの。 あれから、 ずっと一緒に過ごしてきた。 笑った日も、 泣いた日も、 全部、 この人の隣だった。 それでも、 明日は、 今までとは違う日になる。 「……奥さん」 小さく呟く。 自分が、 うじくんの奥さんになる。 その現実が、 嬉しくて、 そして、 少しだけ怖かった。 年の差。 24歳。 この先の未来。 全部、 理解しているつもりだった。 でも、 「妻」という形になることで、 それが現実として、 はっきりと目の前に立つ。 その時、 ドアが静かに開いた。 「……あや」 うじくんだった。 優しい声。 いつもと同じ声。 「起きてたのか」 「……はい」 うじくんは、 ゆっくりと隣に座った。 何も言わずに、 あやの手を取る。 温かい手。 それだけで、 少しだけ不安が消える。 「緊張してるか」 あやは、 正直に頷いた。 「……少しだけ」 うじくんは、 小さく笑った。 「俺もだ」 その言葉に、 あやは驚いた。 「うじくんも……?」 「ああ」 少しだけ照れたように、 目を逸らす。 「怖いんですか?」 その質問に、 うじくんは、 ゆっくり答えた。 「怖いというより……」 少し考えてから言った。 「大事すぎて、失いたくないだけだ」 その言葉が、 胸の奥に深く響く。 あやの目に、 涙が浮かんだ。 「……大丈夫です」 小さく言う。 「私、どこにも行きません」 うじくんの手を、 強く握る。 「ずっと、うじくんの隣にいます」 それは、 誓いだった。 うじくんは、 あやを優しく抱きしめた。 「……ありがとう」 その声は、 深く、 そして、 愛に満ちていた。 あやは、 彼の胸の中で思った。 この人となら、 どんな未来でも、 歩いていける。 年の差も、 不安も、 全部、 二人で越えていける。 「……うじくん」 「ん?」 「愛してます」 その言葉に、 うじくんは、 少しだけ息を止めた。 そして、 静かに答えた。 「俺も、愛してる」 その夜、 二人は、 互いの温もりを感じながら眠った。 恋人としての最後の夜。 そして―― 夫婦になる前の、 最後の夜。 第十四章 ― 覚悟の夜 ―(続き) あやは、うじくんの胸に顔を埋めたまま、しばらく動けなかった。 心臓の音が聞こえる。 ゆっくりで、落ち着いていて、でも確かに生きている音。 (この音が好き……) そう思った瞬間、涙がまた溢れてきた。 「……泣きすぎ」 うじくんが、少し笑いながら言った。 その声も、あやの知っている声だった。 「だって……」 あやは顔を上げた。 「もう会えないと思った」 うじくんの表情が、わずかに揺れた。 「俺も……」 言葉が途中で止まる。 代わりに、彼はあやの頬に触れた。 「会いに来るつもりだった」 「え……?」 「ちゃんと話さなきゃいけないと思ってた」 あやは、驚いて目を見開いた。 「逃げるつもりはなかった」 うじくんは真っ直ぐに言った。 「ただ……怖かった」 その言葉は、とても静かだった。 「君の未来を奪うことが」 あやは首を横に振った。 「奪われてない」 即答だった。 「私は、うじくんを選んでる」 その言葉に、彼の瞳が揺れた。 「誰に何を言われても」 あやは一歩近づいた。 「年の差があっても」 もう一歩。 「全部わかってて、選んでる」 そして、彼の手を取った。 「うじくんがいいの」 沈黙。 夜の空気が、二人を包む。 うじくんは、その小さな手を見つめた。 そして、ゆっくりと握り返した。 強く。 逃がさないように。 「……本当に」 彼は言った。 「後悔しない?」 あやは微笑んだ。 涙で濡れたままの笑顔。 「うじくんは?」 質問で返す。 彼は少し驚いた顔をしたあと、静かに笑った。 「……しない」 その答えを聞いた瞬間、 あやの胸の奥で、何かがほどけた。 ずっと絡まっていた不安が、 ゆっくりと消えていく。 うじくんは、あやの額にキスをした。 優しく。 深く。 そして、少し離れて、言った。 「俺は君と生きたい」 その言葉は、 これまでで一番重くて、 一番優しかった。 あやの目から、また涙が零れた。 でもそれは、 悲しい涙じゃなかった。 「私も」 あやは言った。 「うじくんと生きたい」 その瞬間、 二人の未来が、 はっきりと一つになった。 夜風が吹く。 でももう、寒くなかった。 彼の手が、 ずっと繋がれているから。 ⸻ その夜、 二人は長い時間、一緒に歩いた。 特別なことは何も話さなかった。 ただ、 これからのことを、 同じ歩幅で考えていた。 別れ際、 うじくんは言った。 「……あや」 「うん?」 少し迷ってから、 彼は続けた。 「もう、離れない」 あやは笑った。 「うん」 「離れないよ」 そして、 二人はもう一度、 静かに抱きしめ合った。 それは、 終わりじゃなくて、 本当の始まりの抱擁だった 第十五章 ― 人生の約束 ― 数日後の夕方。 あやは、鏡の前で自分の姿を見つめていた。 白いワンピース。 特別に高価なものじゃない。 でも、うじくんに「似合う」と言ってもらった服だった。 (なんでこんなに緊張してるんだろう……) 胸が、落ち着かない。 今日は、うじくんに「話がある」と言われていた。 その一言だけで、 ずっと心が揺れている。 嬉しいような、 怖いような。 でも――逃げたくなかった。 彼と向き合うと決めたから。 スマホが震えた。 『着いたよ』 短いメッセージ。 それだけで、 心臓が跳ねる。 あやは深呼吸して、家を出た。 外は、少しだけ暖かい夜だった。 冬の終わりと、春の始まりの間。 二人の関係と、同じ季節。 待ち合わせの場所に着くと、 うじくんはすぐに見つかった。 背の高い、落ち着いた背中。 あやに気づいて、振り向く。 その瞬間、 彼の表情が柔らかくなる。 「……来てくれてありがとう」 「うん」 それだけの会話なのに、 胸がいっぱいになる。 しばらく並んで歩いたあと、 うじくんは静かに言った。 「少し、座ろうか」 ベンチに腰掛ける。 隣同士。 触れそうで、触れない距離。 でも、心はもう離れていなかった。 うじくんは、しばらく黙っていた。 何かを考えている顔。 そして、 ゆっくりと口を開いた。 「……あや」 「うん」 彼はまっすぐ前を見たまま言った。 「俺は、ずっと考えてた」 その声は、 静かで、 強かった。 「君の未来のこと」 あやは何も言わず、聞いていた。 「俺といることで、君はきっと」 彼は続ける。 「普通の恋愛とは違う道を歩くことになる」 年の差。 周りの目。 これから先の現実。 全部を含めた言葉だった。 「それでも」 彼は、あやの方を見た。 その瞳は、迷っていなかった。 「それでも、君の隣にいたい」 あやの呼吸が止まる。 時間が、ゆっくりになる。 「守りたい」 彼は言った。 「君の笑顔も」 「涙も」 「全部」 その瞬間、 あやの目に涙が浮かんだ。 うじくんは、ポケットに手を入れた。 そして、 小さな箱を取り出した。 あやの心臓が、大きく跳ねた。 箱が開く。 中には、 シンプルな指輪があった。 派手じゃない。 でも、 とても綺麗だった。 彼は立ち上がった。 そして、 あやの前に立つ。 少しだけ、 緊張している顔。 でも、 逃げていない顔。 「……あや」 名前を呼ぶ声が、震えていた。 「俺と――」 一瞬、言葉が止まる。 でも、 彼はちゃんと続けた。 「結婚してください」 世界が、 静かになる。 音が消えたみたいだった。 あやは、何も言えなかった。 ただ、 涙が溢れて、 止まらなかった。 「……こんな俺だけど」 うじくんは言った。 「君と生きていきたい」 その言葉は、 これ以上ないほど、 まっすぐだった。 あやは立ち上がった。 涙で滲む彼の姿。 でも、 はっきり見えていた。 あやは、 何度も頷いた。 言葉が出ない。 でも、 伝えたかった。 「……はい」 やっと出た声は、 震えていた。 「よろしくお願いします」 その瞬間、 うじくんの表情が崩れた。 安心した顔。 泣きそうな顔。 そして、 心からの笑顔。 彼は、 あやの左手を取った。 優しく。 大切に。 そして、 指輪をはめた。 ぴったりだった。 まるで、 最初からそこにあるべきものだったみたいに。 あやは、 指輪を見つめた。 涙が止まらない。 でも、 ずっと笑っていた。 うじくんは、 あやを抱きしめた。 今までで一番強く。 「ありがとう」 彼の声が、耳元で震えた。 「生まれてきてくれて」 あやは、 彼の胸の中で言った。 「出会ってくれて、ありがとう」 夜空の下、 二人は、 人生を約束した。 それは、 恋の終わりじゃない。 永遠の始まりだった。 最終章 ― 永遠の隣 ― プロポーズの日から、 世界は少しだけ変わった。 景色が変わったわけじゃない。 街も、空も、何も変わっていない。 でも、 あやの左手には、指輪があった。 それだけで、 すべてが違って見えた。 朝起きて、 その指輪を見るたびに、 胸の奥が温かくなる。 (本当に……夢じゃないんだ) 指でそっと触れる。 あの日の、彼の声。 「結婚してください」 その言葉が、 今も心の中で響いていた。 ⸻ 結婚までの道のりは、 決して簡単じゃなかった。 年の差。 周りの視線。 家族の心配。 現実は、 優しいことばかりじゃなかった。 それでも、 うじくんは、いつも隣にいた。 逃げなかった。 あやの手を、離さなかった。 「大丈夫」 何度も言ってくれた。 その言葉に、 何度も救われた。 あやも、 彼の隣で強くなった。 守られるだけじゃなく、 支えたいと思うようになった。 それが、 恋人から夫婦へ変わっていくということだった。 ⸻ そして、 春。 桜が咲いた日。 二人は、 夫婦になった。 派手な式じゃなかった。 大きな会場でもなかった。 でも、 十分だった。 彼が隣にいる。 それだけで。 役所を出たあと、 二人は並んで歩いた。 まだ、 少し照れくさい距離。 でも、 もう恋人じゃない。 夫婦だった。 「……あや」 うじくんが呼ぶ。 「うん?」 「これから、よろしくな」 その言葉は、 シンプルで、 でも、 とても重かった。 あやは笑った。 「こちらこそ」 そして、 彼の手を握った。 自然に。 当たり前のように。 彼も、 握り返した。 その手は、 初めて触れた日と同じで、 温かかった。 ⸻ 新しい生活が始まった。 同じ家で、 同じ朝を迎える。 同じテーブルで、 同じご飯を食べる。 特別なことじゃない。 でも、 すべてが幸せだった。 ある夜。 ソファで並んで座りながら、 あやは彼の肩に寄りかかった。 「……ねえ」 「ん?」 「幸せ?」 少しだけ不安で、 でも、 聞きたかった。 うじくんは、 迷わず答えた。 「幸せだよ」 そして、 続けた。 「君が隣にいるから」 あやの胸が、 ぎゅっと締め付けられる。 嬉しくて、 愛しくて、 泣きそうになる。 「私も」 あやは言った。 「うじくんの隣が、一番幸せ」 彼は、 あやの頭を優しく撫でた。 「ありがとう」 その声は、 あの日と同じだった。 でも、 もう違った。 恋人としてじゃなく、 夫としての声だった。 ⸻ 年の差なんて、 もう関係なかった。 21歳だったあやと、 45歳だったうじくん。 出会った時は、 遠く感じた距離。 でも今は、 誰よりも近い。 心も、 人生も、 すべてが重なっている。 これから先、 嬉しい日も、 悲しい日も、 きっとある。 それでも、 二人は知っている。 隣にいれば、 乗り越えられることを。 あやは、 彼の手を握った。 彼も、 握り返した。 その手は、 もう二度と離れない。 ⸻ 恋は、 いつか形を変える。 でも、 愛は、 ずっと続いていく。 これは、 21歳のあやと、 45歳のうじくんが出会い、 恋をして、 人生を選び、 夫婦になった物語。 終わりじゃない。 ここからが、 本当の始まり。 永遠に、 隣で。 ― 完 ―

0
0