大森 百華

7 件の小説
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大森 百華

私が生きた証を作りたくて書いています

メイドにご注意

この屋敷には暗殺専門のメイドが仕えている 主人の命令は絶対なので、どんなに危険でもターゲットになった者は暗殺される

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メイドにご注意

My Song

あらすじ 交通事故で失語症になってしまった高校1年の詩音 この世界に絶望した詩音は同じ様に失語症になった歌手の奏の存在を知り歌手を目指す様になった そしてアコギ一本で路上ライブを始め半年が経った頃、詩音の運命を変える歌姫 凛 が現れた それから2人で一つのアーティストになった 第一話  桜の花びらが夜の闇を包み込む頃、詩音は交通事故で失語症になった 最初は命が助かればいいと思っていたがこの後遺症は詩音にとってとても重たいものだった 詩音は意識を取り戻したが、声を出す事が出来ない苦痛に襲われた 失語症 治るのに時間がかかると言われたが、詩音にとって 高校生活を奪われた としか考えられなくてとても辛かった それから無事退院日を迎えとても暗い顔をしたまま退院した 学校も通信制の学校に転校した 第二話 楽しみだった高校生活を奪われた悲しみは詩音の心にぽっかりと穴を空けた 一日中部屋に篭る生活をしている そんなある日、両親は詩音と買い物に一緒に連れて行こうと部屋の前にいた 「あの、さ。一緒に買い物行かない?」 退院してから余り会話をしていなっかたため、何処となくぎこちない声になった。 ドアの向こうにいる詩音にかけた声は少し震えていたがはっきりと伝わった。 行く ドアを開けた詩音はタブレットのメモ画面を見せた

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My Song

自己紹介です

名前 大森 百華 年齢 ご想像にお任せします 職業 就労移行支援B型利用 病状 高次脳機能障害 など色々あります 趣味 読書(エッセイ小説など)時々ゲーム 執筆内容 主に実体験を書いています       偶にフィクションを書きます 私が高次脳機能障害者なので実体験を元に書くつもりです なので、少しでも多く人に見て頂けると嬉しいです ただ今就労移行支援B型を辞めたいと思っています 色々ありますが気楽にメッセージ待っています よろしくお願いします

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自己紹介です

いじめ

16歳で自殺をしようと思った 誰も助けてくれなっかた 助けて 「奏音、今日学校行くの?」 母親が呆れた様な声で朝食を作りながら聞いてきた 「行かない」 本当は行きたいけど行くことが出来ない いじめられているなんて言えないし、悔しいから私は 「嫌だから」 としか言わないで部屋に篭った 今父親は海外出張の為、家に居ない 「ご飯、作ったの置いておくから後で食べるのよ」 母親の声が2階の奏音の部屋まで聞こえた 後ろめたい気持ちで涙が込み上げてきた 「ごめんね」 誰も居ない部屋で1人泣きながら答えた きっかけは、ほんの些細な事だった いじめなんて私には無縁だと思っていたのだが 周りのクラスメイトが私の事を無視するのだった

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いじめ

生きるためにリスカをする。

死にたい そう何度も思っている

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失ったひかり、手に入れた奇跡

この小説は、実話を元にした物語 高次脳機能障害 他の人からこれを理解をするは中々難しいようだった 私自身、この障害を持つまでしらなかった 怠けている サボっている そんな事ばっかり思われている 私はとても苦しいんだ 生きている理由が分からない 高次脳機能障害を持っている人は全国で約25万人いると言われている その一人である私はちっぽけな存在 ほんの些細な事で怒っては、泣いて 周りの人は私の事を呆れてしまい、私と距離を開けるようになった 高次脳機能障害になった私のきっかけは、自殺だった オーバードーズで幸い私は見た目での後遺症は無いが、脳に障害が残ってしまった 感情を抑える事、記憶力の低下などパッと見た感じでは分からない後遺症が私にはある 約2ヶ月の入院期間を終えてからの私は別人の様になった 退院後、家に戻った私はほんの些細な事でイライラをして自分を上手くコントロールする事が出来なくなってしまった 毎日家族に暴言を吐いては、自分を責めてリストカットをして 私辛いんだ、助けて とアピールをして、両腕から大量の血を垂らして、親を困らせた そして、両親は私を精神科病院に入院させた 泣きながら私を送ったあの時の顔を私は忘れたくても忘れられずにいる

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私の世界

高次脳機能障害になった私 周りの人からは中々理解してもらえない 見えない障害 これは、この障害に苦しんでいる一人の私の話の本 私は18歳の時に自殺未遂を犯した 理由といえば、所謂 いじめ にあっていた 当時通っていた専門学校で、そのクラスの女子全員から毎日いじめにあっていて 我慢すればいいと思っていた私はひたすら耐えた しかしその我慢も限界が来て、勇気を振りしぼって親に相談をしたが 厳しい両親は 「それくらい耐えなさい。社会に出たらもっと辛くて厳しい事が沢山あるからそんなんで逃げたら駄目だ」 その言葉が私の心を酷く壊した そっか、この両親は私の心の叫び声が聞こえないんだ ならいっその事私が死んだら聞いてくれるかな そう思った私は買い込んだ薬でオーバードーズをした もう死のう その想いでひたすらに身体に薬を服用した 次に気が付いた時、私の体は拘束されていた パニック状態になり体全部に管が挿れられていた 意識が朦朧となり目が覚めては暴れ、自分で歩く事すら出来ずひたすらパニック状態か意識が無い時間を繰り返した その状態がおよそ1ヶ月間続き、やっと落ち着いた頃私は別の病室に移って両親が見舞いにきた 正直会いたくなかったが私のベットのカーテンを開けて会いにきた そして、こう言った 「ごめんね。ちゃんと見てなくて、本当にごめん」 そう言いながらひたすらが泣いた両親は目を真っ赤にしてこう言った 「これからは、ちゃんと見るから死なないで」 そう言って面会時間終了まで私の側に居た それから毎週土曜には見舞いに来るようになった きっとそれが親としての継ぐないだと思っているのだと思うが私にとって苦痛でしかなかった 朝、昼、晩 毎日同じ時間に運ばれる食事 この食事で毎日の時間が分かる カーテンで締め込んでいて外の天気なんて分からない 今何月何日 分からない 親と何を話したのか 直ぐに忘れてしまう 身体が少し動くと看護師はみんな喜んでくれた きっと医者は 「動かない」 と言っていたらしい そんな身体が少しでも動いたことは、私を見ていた看護師にとって嬉しかったのだろう それでも食事だけは点滴とゼリーしか食べることが出来なかった 原因は身体に管を長い期間入れたせいで舌の動きが悪くて物を飲み込む力に影響しているから 一度試しに少し硬い物を飲み込もうとしたら、咽せてしまい飲み込めなくなってしまった それでも私は不思議と怖くはない きっと周りの患者の人がとても優しかったからだと思う 私は4人部屋の入って直ぐ右側のベッドで、入院理由は違くても他の人達は優しい 凄く居心地は良かった

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私の世界