バナナさん

9 件の小説
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バナナさん

バナナ日記書いてます

揺らぐ

※これは僕の脳内妄想や、潜入思考を文章化  したものです。人によっては気持ち悪いとおも  う人がいるかもですがご了承ください。    太陽が僕を食べようとする。だから僕は逃げた 野良犬は僕を殺すから近くにいた人を差し出た。  野良犬は差し出したその人の腕を噛みちぎった。血が吹き出していたそうだけど僕は逃げなきゃいけない。  地面が揺れる視界がぼやける、助けて助けて僕は逃げるよ。  コンクリートに顔が浮かんで僕に言う。  「いっしょにいこう?いっしょに行こう?」  僕は叫んだ  「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」  やだやだ壊れる、僕が壊れるぅぅぅ。ほら早く幸せになるよそう語りかけて来るのは空にかかる虹だった。虹は言う  「#@#@#÷◯÷◯$5◯〆」 は?、何言ってるんだ?虹は言う、僕らはみんなハッピーなんだよ?君もハッピーになろうよ!。  やめろやめろ!僕は僕は死にたくない。 そう言って僕は虹に命を奪われた。

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揺らぐ

最高の親友

   僕は泣けなくなった。いつからだろうか、泣けなくなった。  小さい時兄弟にいじめられて辛くて泣いた。それでもあなたは僕のことを助けてくれなかった。  押し入れに入れられて、泣いたときも兄弟と一緒に笑ってたあなた。  習い事の柔道で監督から罵声を浴びせられて泣いても。あなた助けてくれなかった。何か言ってほしかったわけじゃない。ただ少しでいいからサポートがほしかった。  僕が中学3年に上がる頃。僕はすでに涙が出なくなっていた。悲しくても、辛くても涙が出なくなっていた。  数年経ってそんな僕を救ってくれた君。僕は君が大好きだ。君の前なら涙を出せた。安心できた。嬉しかった。今まで出なかった涙が溢れ出たから。辛かったこと、苦しかったことが胸からスっと消えていく。僕は君が大好きだ。  君を幸せにしたい。僕は君の栄養でありたい。大切な君を笑顔にしたい。  こんなことを言っても。死にたがりで頼りのない僕。  だけど君が大好きで大切な親友で話すと楽しくて。嬉しくて。こんな僕で良ければこれからも親友でいたいよ!!     「君は最高の親友だよ。」

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最高の親友

バナナ日記4

 最近は精神状態があまりよくなく、バナナ日記をストップしていました。皆様申し訳ありませんでした。  私はずっと前から悩みがありました。  それは自分の脳に逆らうような、暴力的な衝動が強くはたらく現象に悩まされておりました。  調べてみたところそれは「潜入思考」と言い、自分の意志とは関係のない衝動が強くなるというものでした。私はこの長年の悩みが「潜入思考」と言う言葉を知ることで腑に落ちたのです。  皆様も、何年も悩んでいたり、気になっていることなどが、調べたり、考えることで腑に落ちるときがあります。是非気になっている自分の症状などを調べてみてください。自分理解への一歩になると思います。

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 僕は生きる勇気がない。  消えたほうがいいとも思う。  だけど死ぬ勇気もない。  結局僕は死ねない。  海に行っても落ちれない。  ロープを天井にかけ首を通しても  土台を外せない。    死にたい。消えたい。  僕はもうすでに頑張ったと思うから。

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共におちる。

        第一章    僕は深夜、ふと目を覚ました。隣にいるはずの君がいないことに気づいたからだ。僕は急いでマンションの屋上へと向かった。  屋上の鉄柵に、君は足をかけていた。気づけば、僕は君の手首をグッと握っていた。それは反射だった。体が勝手に動いていた。  七月の風が、梅雨明けの湿った空気を僕と君に吹きつけた。君の髪が風になびき、微かに君のシャンプーの匂いが鼻をくすぐる。  君はそっと僕の手を振りほどき、鉄柵から足を下ろして、屋上の地面にそっと降り立った。  僕は、震える声を殺して言った。  「とりあえず、部屋に戻ろうか。」  君は無表情のまま、首を縦に振った。僕は君の手を握り返し、二人で部屋に戻った。  部屋に戻ると、君はリビングの椅子に腰を下ろし、黙ってうつむいていた。僕は台所で、少し熱めのコーヒーを淹れ、君と向かい合って飲んだ。  僕は君に何も言えなかった。かける言葉が、見つからなかった。  数分の沈黙の中で、時計の秒針が「カチ、カチ、カチ」と音を刻み、君の気持ちを理解もできず、自殺未遂も止められない悲しみがゆっくりと僕の心に染みていった。  君との出会いは、大学三回生の哲学講義のときだった。  その講義では、グループをいくつか作り、テーマである「自信」について話し合うというものだった。  僕と君は同じグループになり、自信について意見を交わした。君の考えは僕の興味を強く引いた。  講義が終わると、すぐに僕は君に話しかけた。ちょうど趣味も合ったこともあり、僕たちはすぐに意気投合した。  僕は大学を出てすぐに就職し、君は大学院へ進学した。  そして、僕たちはマンションで同棲を始めた。同棲して半年が経った頃だった。君が急に、僕に言った。  「死にたい」 僕は、君が何を言っているのか分からなかった。      僕は、君がうつ状態なのだと思い、心療内科にも連れて行った。でも、精神には何の異常もなかった。  僕は、どんどん君のことが分からなくなった。 そして、今に至る。君がなぜそこまで死に執着するのか。 それが分からなかった。理解できずに、ただ苦しかった。  僕は君のことがたまらなく好きで好きでたまらないのに、心から愛おしいと思うのに、君は僕より死に魅力を感じているようだった。         第二章  深夜ニ時ごろ、私はふと目を覚ました。 彼氏は隣で静かに眠っている。  そっと布団を抜け出して、身なりを整える。 机には、遺書を置いた。 「これで、何回目だろう。」 そんなことを思いながら、私は静かに部屋を出て、屋上へ向かった。  私がこうなったのはいつからだろうか、思えば物心がついたときから死ぬことへの執着があったような気がする。生は私にとって捨ててもいいプレゼントボックスと同じようなものなのだ。  小学生のときに一度自殺未遂をして、小児の精神病棟にいれられたが、その時母親にこっぴどく叱られそれ以来死ぬことを諦めていた。  大学に入り哲学講義で「自信」についてのグループでの話し合いがあったその時私の意見に興味を持ってくれた子がいた。それが今の彼だ。  私は屋上の1メートルほどの鉄柵にあしをかけた。そして彼との思い出を息をするごとに思い出した。クリスマスの夜、お正月、記念日、どれも私にとって宝物だ。だけど私にとって死はそれよりも魅力的で輝いていた。  そして私が飛び降りようとしたときだった。後ろから彼氏が私の手首をグッと握ってきたのだ。私がこうやって飛び降りようとするたび、彼は気づいて、こうやって止めてくる。私は彼が私の気持ちを理解できないないことに少し苛立ちを感じた。  私はその時また、死ぬのを諦めた。わたしは彼の悲しむ顔を見るのが嫌だったからだ。  私は彼が嫌いな訳ではない。とても愛しているし、愛おしく思っている。  だが、私にとって死は、それよりも魅力的なのだ。私が死ぬ直前は彼に笑っていてほしいと思うから、彼が悲しい顔をしている時は死を魅力的に思えないのだ。  到底彼には理解できないのだろう。         第三章  その日は少し蒸し暑い日だった、君は僕のためにスイカを切って渡してくれた。二人でベランダでスイカを食べながら談笑をしていた。  最近の君はどこか僕に興味を失いつつあるように思えた。でも僕はそれほど悲しくなった、  僕の気持ちは少しずつ疲弊していた。正直疲れた、君の理解できない考えにはうんざりしていた。だけれど結局僕は君がとても愛おしく好きなのだ。  その日私は決めていた。今夜私は死ぬと、 確実に死んでやると。彼が悲しい顔をすることを想像するととても苦しかったが、私にはもう明日を生きるのがとに耐えられなかったのだ。  深夜私は彼と一緒に寝ていたベッドからそっと出て彼の頬にキスをした。そして前まで用意していた遺書ではなく、私の言葉、私の字でしっかりと書き直した遺書を机の上に置いた。そして私は部屋を出ようとした。  その時だった。私の後ろに彼氏が立っていた。 彼は私の方を見ながら言った。  「僕も一緒に行きたい。」 私は少し嬉しさを感じた。彼はそう言ったあとに続けた。    「僕は君と一緒がいい、僕は君がすだから。君が死ぬときに辛くなるなら僕も一緒に行きたい。」  私の目には涙が溢れた。私は    「ありがとう」 と涙を流しながら彼に言った。  そして僕と彼女は部屋を一緒に出て屋上へ行き、思い出話をしながら歩き、鉄柵に足をかけ、二人手を繋いで夜の空に飛んでいった。          

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バナナ日記3

🍌月🍌日 🍌時🍌分  私はカクテルをのんでいた。 カクテルは甘ったるいものから、苦いもの、酸味の強いものまで幅広く種類が存在する。  その日私はオリジナルでノンアルコールカクテルを作っていた。グレープジュースを60ミリ、パインを30ミリ、ミントのシロップを少々、黄色い色をしたカクテルだ。味わいはとてもスッキリしていて飲みやすく、グレープのフルーティーな苦味がとても美味しかった。  カクテルグラスを月光に重ねるとカクテルの色と合わさりカクテルが美しく輝いた。そして一口、また一口と今日1日の辛さを流し込むようにカクテルを喉に通してゆく。  その日のカクテルはいつもより苦味があった。

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バナナ日記3

部屋の中

 6月某日僕はカーテンが締め切られた暗い部屋で目を覚ました。時刻は午前10時、外では掃除機の音や鳥の声が聞こえた。  今日は平日、なんで僕は学校にも行かず部屋で何もせず生きているのだろうか、我ながら存在に価値を感じない。体は鉛のように重く、心はトンネルに霧がかかったように暗くモヤモヤしている。今日も何もせず遅くに起きてこんなゴミのような生活をするのか、自分のことが嫌になる。  僕は中学の時に鬱状態と言われそのまま高校に進学、入学してすぐ医者に抑鬱と診断され、自宅療養中だ、毎日が暗く何もする気が起きない。 早く死んでしまいたい。そんな気持ちが心にはずっとある。僕だって思う  「なんで僕が、鬱にならなきゃいけないんだ」 僕は小さいときから大人や、兄弟の顔色を見て育ってきた。だからといって暗い家庭だったわけではない。父親と母親は飲食店を経営していて僕は4人兄弟の末っ子だった。長男、長女、次女、僕 のような感じだ。上3人が年子で僕だけ次女と4歳離れていた。  父親はよく家に知り合いが来ると僕や、兄を呼んで挨拶をするように言った僕は正直嫌だった、だが当時の父は食事中水をこぼすだけで頭を叩いてくるような人だったのでとても逆らえなかった。そしてお客さんの前では笑顔で 「こんばんわぁー」と元気よく挨拶をした、そのおかげで年上の人との話し方やコミュニケーション力がついたと思う。だけど僕の幼少期の地獄は家に帰ってからだった。  家に帰り兄弟全員が2階の子供部屋に行くとまず僕が3対1でいじめられた。枕で頭を殴られたり蹴られたりお腹にパンチを食らわされたり、僕はまだ力もなかったので全く抵抗ができなかった。 そして僕が泣き、下の階の母親に言いつけようとすると兄と姉たちは私の口を抑え部屋に引きずり込み僕に毛布や、羽毛をかぶせ僕を布団に閉じ込めその上から乗っかってきた。特に兄は二段ベッドか飛び降りて私にダイブしてきた。私は暗く狭い布団の中で泣いていた。呼吸も苦しくて、何度も何度も 「助けて、助けて、出して出して」と 叫んだおかげで今も狭い場所はとても苦手だ。  そして僕が少し成長し、小学校に入学した。 その頃には兄は中学1年、長女は小学校6年、次女は小学校5年、兄は中学生になると友達や部活に夢中で、僕は兄にいじめられることは少なくなった。当時の僕の兄弟間での呼び名はクソチビでとても辛かった。上3人は、僕をいじめることでストレスを発散していたのだろう。小学校では長女は猫を被っていてとても優しかったので私に手を上げることはなかった。次女は下校時に僕のランドセルを蹴ってきて、僕は膝を擦りむいたりもした。僕が通っていた小学校は坂の上にあったので坂から少し転がり落ちたこともある。とても痛かった。母親にそれを言っても次女は僕が勝手に転んだと言うのだ。私はその時母親からの信頼が上の兄弟たちよりはなかったため、母親は次女を信じたそして僕が2階で兄弟にいじめられている時に来てもただ遊んでいるだけだと思っていたようで軽く注意して終わりで僕へのいじめは終わらなかった。でも僕も悪いのだ、母親に心配をかけまいと子供ながら笑顔を作り遊んでいる風に見せた。そのせいもあるだろう。  僕が小学校中学年になると習い事の柔道をやめたいと思うようになった。なぜなら僕は本を読んだり絵を描いたり友達と遊ぶ方が楽しかったからだ。そして私は母親にそのことを相談した。そうすると母親は父親を呼び父親は僕を叱った。 「お前はなんのために柔道をやっているんだ💢」 と、僕は泣きながらいつものように言った 「心を強くするためです。」 と言った父親はそうすると、分かればいいんだ、と思わせるような顔で説教をやめた。僕はとても怖かった頭も叩かれ痛かった。それから僕は度々柔道をやめる話を持ち出したが、その度母親に父親を呼ばれ、怒られた。その度に僕は決まったように父親に 「お前は心を強くするために柔道をやっているんだ!」 と言われた。何度も怒鳴られる内に私は父親が嫌いになった。そして僕はやめたかったはずの柔道を心を強くするためにやっているだと思いこむようにして。精神を安定させていた。それは8歳の時だ。  僕は小学校6年になった。6年生になると長女が高校2年になり、長女からのいじめはもっとひどくなった。長女もまた、ストレスを溜め込みやすい人だった、なぜなら人前で猫を被る人だったからだ、そして学校で溜まったストレスを僕の体に発散する。確かに僕もやり返したりはしていたから一方的に攻めることはできないがとても僕は辛かった。特におやすみと言うと、姉には 「うるせぇ黙れ死ね」と 毎回のように言われた。僕は姉と仲良くしたかっただけなのに、、とても苦しかった  そして小学校時代の暴力はそれだけではない、 同級生の女子に無理やりキスをされたり他校の高学年の生徒に無理やりトイレに連れ込まれて陰部を見せられたりと、僕の小学校自体は辛く苦しいことが多かった。  僕が中学生になると兄弟からのいじめはなくなり柔道がメインの部活になった。  特に柔道は中2からが辛かった。3年になれば最後の試合だと監督に急かされ必死で練習をしたか言われたことができないと監督に怒鳴られ、蹴られ殴られた。とても痛かった。心にヒビを入れられた気持ちになった。監督には 「やる気がないなら帰れ!」や 「お前なんかやめちまえ!」と 怒鳴られた。そして家に帰れば兄から 「お前今日みたいな練習するなら来なくていい」と 言われた。兄は正しいことを言っているから言い返せず辛かったのを覚えている。  そして月日は流れ中学生最後の大会が終わり 僕は部活を引退した、その頃からだ、いきなり今まで我慢していたことが崩れるようにまともな学校生活が過ごせなくなった。ストレス性胃腸炎になり、授業中に涙を流し、家に帰り自分の太ももをカッターで切りつけた。だけど私は親を心配させたくなくて、言えなかった。太ももは傷だらけ、太ももが乾燥して痒かったのを覚えている。  そして私はなんとかスポーツ推薦を貰い今に至る。  さて話を今に戻そう。僕は今は腕を切っている。腕には無数の切り傷がある。毎日暗い部屋で1人死ぬことばかり考えている。精神科でもらった眠剤効き目はあまりなく、腕を切らないとやつまで行けない日々だ死にたい、死にたい、死にたい、ここまで僕を病ませたのは兄弟、親、自分、柔道、といろいろな理由がある。もう誰も助けてくれない。僕は感情が麻痺してあまり泣けなくなった。唯一泣けるのは兄弟からのいじめのことを思い返すことくらいだ、僕は明日も学校に行けずゴミのような生活をすることだろう。 もう消えてしまいたい。いなくなりたい。 そうして僕は暗い部屋の中でまだ一つ手の傷を増やした。

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部屋の中

バナナ日記2

🍌月🍌日  僕は雨の中裸足で散歩をしていた。 僕は訳あって学校に行けておらず、毎日を無気力に憂鬱に過ごしていた、雨が地面に落ち、アスファルトに染みるたびに僕の心にも憂鬱がしみた。体がとても重かった。こんなものでは到底バナナになれない。そんな時に後ろから話しかけてくるものがあった。 カタツムリさんだった。 カタツムリさん「少年、どうしたんだいそんなに下を向いて。」 僕「僕はみんなのように学校にも行けず、ただ朝遅くに起きて、ご飯を食べてお風呂に入る。これでは到底バナナになんてなれないよ。」 カタツムリさん「少年、君はバナナが最初からバナナだと思っているのかい?」 僕「何が言いたいの?」 カタツムリさん「君はまだバナナじゃないと言うこと、そしてバナナに最初からなれるわけがないと言うかことさ、バナナだって長い成長過程を経てバナナになる。未熟なバナナは酸味のある味になってしまう。追熟後のバナナは甘みが増す。私の言いたいことがわかるかね少年。」 僕「焦らないでいいってこと?」 カタツムリさん「その通り。焦らず成長過程を経るんだ。そうすれば君はきっととてもいい味のバナナになれる。」 僕「カタツムリさん、、ありがとう。」 僕はカタツムリさんにタッチしてカタツムリさんと別れた。 僕の足取りはさっきより軽くなった。 明日からまたバナナになるまでの長い成長過程が始まる。 僕は大きく空にジャンプした。

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バナナ日記

私の将来の夢はバナナである。 それはなぜか、理由は意外と単純で、 バナナは栄養が豊富であり、好きな人が多いからだ。 私は人々の心の栄養になりたいと思い バナナになりたいのだ。 ここには私がバナナになるまでに、 成長になったことや、経験、思ったこと、 考えたことを書き込んでいく。 そのたびにこの投稿は増えていく。 まー、題名通り私の日記みたいなものだ。 ぜひ目を通してあげてほしい。

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