中沢@紙ひこうき
5 件の小説なぜわかってくれない?
人は、共有したがる。 人は、共存したがる。 悩みを共有して。 自らが思う答えが帰って来なければ、理解されないと嘆く。 人は、それぞれ。 わかり合うことばかり求めてもそこには発展性はない。 共有し、共感された場所で共存するのは心地よいが、枠にはまりきりの心になっていく。 人はそれぞれ。 わかり合うことばかり求めない。 わかってもらえないと感じるあなたもまた、理解していな。 共有、共感、共存。 分かち合うことで、硬直してしまわぬように。
ユメカナウ…その後
いつか、自分の店を持とう。 心があったかくなるようなレストランを作ろう。 それは夢。 料理や、サービスの勉強した。 少ない休みでも頑張った。 そして 月日が流れ夢は叶った。 嬉しかった。 自分に自信も出来た。 誇らしい気持ちにもなった。 しかし… そこにゴールテープはなかった。 そこにはスタートラインが引いてある。 あれ? 目指していたのは、ゴールのはず… まさか、ここからが本番? そう。 夢はゴールではなかった。 そこから、走り出さないと、そこからこそ頑張らないとならないと… 夢を持つことは素敵である。 そこにたどり着く為の努力もまた、素晴らしい。 しかし そこはゴールではない。 君がプロ野球選手になりたくて血豆をつくりながらがんばって夢が叶っても、そこには、血豆以上の血反吐を吐くくらいのがんばりが必要になる場所かもしれない。 夢が叶って気がつくこと。 薄々知ってはいても実感が湧くのはその時が来てからなんだ。 そもそも。 生きてる間はゴールはないのだ。
一人が寂しい?
一人が寂しい ゆえに他者を求める 一人の寂しさに耐え 心から欲す一人に出会うまで 我慢が出来る人は多くはない ゆえに すれ違う ゆえに 苦しむ 一人の寂しさに耐える そこが出来ず 恋しさに 愛と履き違えたとて その後にまた、 寂しさは顔をだす。 寂しさは虚しさを引き連れ 現われる 自分以上に大切に思える人に出会うまで耐えることはできますか? 自分の為の愛になっていませんか?
夢
保育園のころ 大きくなったらなにになりたい? と聞かれたことがある。 小学生の時 将来の夢ってタイトルで何度か書かされたことがある。 中学生の時も夢を聞いてきた大人がいた。 僕になりたいものや夢を聞いてきた大人は、その時なにを夢見ていたのか?そもそも彼、彼女らは夢があったのだろうか? 夢を何度聞かれただろう… 夢を何度答えただろう… 夢を何度変えただろう… そして、子供と言うには難しい年齢になると、夢をたずねてきていた大人の大半は現実を見ろといい始めた。 大きな夢を見ろと言っていたのに、夢は趣味程度にとどめるよう勧めたり僕の「身の丈」を分かりきったかのように「現実」を見るよう言ってくる。 あなたが伝えたかった「夢を見ることの大切さ」は、 いつしか「愚かな夢」に変わってしまった。 いつのまにか「夢」は「現実」になりはしないものと決めた大人は今日も、子供に夢をたずね、今日も、子供と言うには難しい年頃には「現実を見ろ」と語りかける。 大人と言われる歳になったあなたは、今 夢がありますか?
迷惑
あれから20年が経ち、人々は、当たり前のように人生の終わりを自らが決めている。 私もあと十年またず自らの意思を問われるということになる。 私が33の時だった。 内閣は、安楽死をみとめ、さらに60歳から十年ごとに自らの意思で死を選ぶことが出来る、『自由人生選択法案』を成立した。 つまり元気なまま、自らの意思で安楽死を希望し、それが叶うという法案だ。 しかし、自らの意思を問われるのは10年ごと、60で死を選択しなければ、自ら命を断つことは、大罪となり、家族や親戚などが罪を被らなければならない。60の次は70、次は80… そして、その選択の出来ないものもいる、犯罪を犯したものは死を選ぶことは出来ない、基本的に医療のサンプルにされ、苦しくても生きなければならない。 この法案は、表向きは、元気なまま生涯現役というやる気を作るといっていた、それに若年自殺者減少を訴えていたが、実際は、高齢化に伴う医療費の削減や、年金捻出の危惧ということだ。 年々広がる貧富の差に60で死を選ぶことは珍しいことではなくなっている、しかもこの近年医療費の補助は減る一方だ、生きようとする意思を阻害しているかのように思ってしまう。 『俺は、まだまだ大丈夫だ、まぁ80までは生きようと思ってるよ』 猛さんは、フライパンを煽りながらそういった。 『猛さん、次も見送るってこと?まだやりたいことでもあるんですか?』 『別にそんなもんありゃしないよ、でもな、俺はよ、どうしても、納得出来ねぇんだよ、最後まで生きるってことがよ人の一番大事な権利で、義務なんじゃねぇか?なんでもかんでも自分の思い通りになるなんてこたぁおかしいんだよ、苦しくてもよ、最後まで生きるてのが当たり前なんじゃねぇか?』 『今時そんなこと古いって言われますよ?誰にも迷惑かけないで死ねるって悪くないじゃないですか?』 猛さんはちょうど10歳上だから63だ、定食屋のカウンターで全く年を感じさせることなく元気に働いてる、奥さんは早くに事故でなくし、子供はもう成人して、離れた場所で公務員をしてるといっていた。 『猛さんだって呆けて息子さんの世話になったりしたら、嫌じゃないですか?』 『嫌じゃないわきゃねぇがな、それも味わうのが生きるってことだとおもうんだよ』 『人間なんてやつは一人じゃ生きようにも出来やしねぇんだよ、なのによぉ、迷惑かけたくねーからって理由なんか通してるのも、気にいらねぇんだよ、誰かに迷惑かけてよ、誰かに迷惑かけられてよ、情けなさもひっくるめて生きるってことなんじゃねぇか?』 猛さんとちょうど10違うということは、猛さんと一緒に死ねるということだ。僕には家族がいない、結婚は昔していた、子供はいない、直接的ではないがそれも離婚の原因だ、不妊治療をしていた、費用はかさみ、結果は出ない、それにより、夫婦間には、花の咲き乱れる時期も、汗が溢れ出す日も、冷え切った空気しか漂わなくなった。 両親も早くに亡くし、親戚も遠縁しか残っていたい。おそらく僕が自ら今命を絶っても迷惑をかけることがない親戚筋だ。 僕は猛さんの店に通いもう、25年が経つ、お互い立派なおじさんだ。 誰かに迷惑をかけてはいけない。 そんな風に教育されてきた。 しかし、人は、誰かに頼られることで、喜びを感じたりする。迷惑だと思うことがあっても思い切って頼ることも必要なのではないか? 承認欲求があふれかえる時代、誰かが必要としてくれることは、むしろ喜ぶべきではないか? 誰かに頼られる社会が消えていきそうの中猛さんを見て、迷惑かけることも生きることなんではないか? 誰かに頼られた時喜べる自分になりたいと、初老の心に老人を見て思う。