とやまる
16 件の小説○○な人
どんな時もその人のことを考えちゃう 一緒にいるとドキドキしてしまう どう接していいか分からなくなってしまう その人のことばかり見てしまう どんなことしてるんだろうと気になってしまう これらのことを見て何を思いましたか? 嫌いな人、怖い人への感情です。
正解
私には苦手な人がいる。 私と何もかもが合わないし 思ったことを全て口にしてしまう性格の子。 至って普通の子なんだけど 私が苦手ってだけで皆からは多分好かれてる。 この間友達と遊ぶ時に私はあえてその子を誘わなかった。 でもその事を当たり前だけど不服に思われてしまい 私が避けてることもバレてしまった。 だから私はあえてその子と1体1でお話して 今回なんで誘わなかったのか なんで避けてしまっているのか事情を説明した。 弁明みたくなってしまったのは申し訳なかったけど 私が今できるのはこれしかなかった。 申し訳ないとは思うけど苦手なものは苦手だ。 私ととことん合わない性格の子だから 一緒に遊べばどちらかは満足出来ない。 今まで結構遊んでたけど 私が面白くないなって思うことが多かった。 今回友達と遊ぶのが私は3ヶ月ぶりぐらいで とても久しぶりだった。 だからめいいっぱい楽しみたかった。 その子がいると私は楽しめないから誘わなかった。 でも思い返してみれば これはハブってることと同じだよね・・・ そう思うととても罪悪感が生まれてくる。 次は誘うって言ったけど 正直私は嫌なんだよな・・・ 友達とは遊びたいけど楽しめないなら もう友達とも遊ばなくていいかな・・・ 遊ぶことが原因なら遊ばなきゃ原因が生まれない。 こうしてまた私はひとつ縛りをつけていくんだな。 解決法がわからないんだもん・・・
頑張り
「頑張る」ってなんだろ。 頑張るって自分視点でも他人視点でも 「評価」の枠組みだと思うから なんだろうもなにもないのかもしれないけど。 例えば自分視点は頑張ってても 他人視点で見れば頑張ってないことだってあるし 逆に自分視点は頑張ってなくても 他人視点で見れば頑張ってることだってある。 頑張るって自分と比べて相手が頑張ってるとかなのかな。 でも絶対自分のほうが忙しかったりするのに 頑張ってるねって言ってくれる人もいるし・・・ どの程度頑張れば頑張ってるって言われるものなんだろ。 それは観測する人の感性にもよるのかもしれないけど。 じゃあ観測する人の感性が自分とあってなかったら どれだけ頑張っても頑張ってない判定になるのかな。 そうだとするとちょっと悲しいな。 承認欲求がずば抜けて高いから ほんのちょっとの頑張りでも頑張ってるねって言ってほしいし 逆に頑張ってるねって言われないと じゃあ私は今頑張ってないんだって不安にかられる。 つまり私が何が言いたんだろうね
今日はお休みの日
たまにはお休みもいいよね。 水曜日が終わり明日は木曜日。 折り返し地点だ。 明日も頑張ってこー
「悪」
人を1人でも殺せば悪。 あまたを救う殺人であれ 誰も救わない快楽的殺人であれ 人を殺せば悪になる。 それ以外にも世界には悪が蔓延っている。 容易に想像されるのは犯罪と呼ばれる悪。 人を騙したり物を盗んだり等々。 犯罪ではなくても誰かが不快になれば悪だ。 罪の重みに差は出るけど同じ悪であることに変わりは無い。 では善はどうだろうか。 100%の善は存在するのか。 いや・・・存在はするだろうが希少なんだろうな。 悪を成すのに善を成すなんてよく言ったものだ。 悪事を働く前提で善を働いたのならこの善は 本当に善なのか。 観測する視点にもよる。 悪事を働くために善を働くというこの工程を全て 見ているのなら悪であるし 悪事を働くとこだけみればこれも勿論悪。 でも悪事を働くことを知らないで善だけを見た場合 これは善になるのでは無いだろうか。 つまり何が言いたいかって? さっき言ったじゃんか。 100%の善は存在するのかって。 善を成すために善を成す人はいるのか。 答えはNO...いや限りなくゼロに近いはず。 そもそもこの問いに対して答えを出すことが不可能。 シュレディンガーの猫ってやつだ。 善を成すために善を成す人は心の底からの善であるかどうかを証明することが出来ない。 善を成すために悪事を働くことだってあるかもしれない。 可能性のことを考えてしまえば終わりは無いのだが。 アニメや小説の登場人物だって 純正の100%善人なんてそうそういないだろう。 登場人物ですらいないような人物なんて この世界に存在するのだろうか・・・
空と海
ウミネコが鳴いてる。 海なのに猫・・・でも鳥さんの名前なのよね。 太陽が真上に昇り日差しが痛いな。 でも不思議と暑さをあまり感じない。 海の透き通る青さと心地よい波の音が 暑さを軽減してくれてるのかな。 滅多にしないお出かけに海に来てみたけど たまにはいいかもしれないな。 海の景色はとても好きだけど潮の香りが少し苦手。 小さい頃に潮干狩りに行った時に そこの海が少し汚かったのかな・・・ 潮の香りがキツかったのを今でも覚えてる。 気分転換に海を見に行くってのは よく言ったものだな・・・ ただ海を見てるだけで心が浄化されていくような感覚。 今まで海に苦手意識があったけど こんな気持ちになれるなら定期的にくるのも いいかもしれない。 定期的に来てしまえば今感じてるこの感覚も 段々と薄れてしまうのだろうか・・・ そうだとしたら頻繁に来るのはやめたいな。 そうだ、今日みたいな気分転換をしたい時に 雲一つない空の時に海に来よう。 空の青と海の青。 どちらも青だけどそれぞれの良さがある。 海と空、青と青。 2つの青に囲まれてみる海と空は格段に綺麗だ。 我ながら今日はいい日に来れたな。 今日重い腰を上げて外に出た私を褒めてあげたい。 こんな素晴らしい景色に出会えたのだから。 さ、アイスでも買って帰るか。
寂しい
大丈夫なフリをしてるけど寂しいものは寂しい。 達観してるように大人の私を演じるけど 実際は私が1番子どもでわがままだ。 でも1人でいるのが好きなのも事実なの。 寂しい時にかまって欲しくて 1人でいたいときは放って置いて欲しいの。 わがままでしょ? これはわがままだって私は分かってる。 だから色んな気持ちを押し込めて大丈夫なフリをする。 抑えた気持ちを全部出せば嫌われるのを知っている。 なんなら私だってこんなやついたら嫌だし。 幸いにも周りには優しい友人がいっぱいいる。 でもだからこそその優しさに縋ってはダメ・・・ 優しい人たちだけど脆い人達でもあるから。 自分か他人だったら他人を優先する人たちだから。 私も人のことは言えないけどね。 でも寂しいのは変わらない。 寂しい時は連鎖反応の如く思考がマイナスに寄る。 マイナスに陥るのはマズイのは知ってる。 でも・・・ だからといって友達に助けを求めるのは・・・ 要するに私がこの寂しさを我慢すればいいだけの話。 簡単な話。 被害者は自分だけでいい。 本来私だけの被害に周りを巻き込むわけにいかない。 そう、我慢。 昔から得意分野じゃん我慢。 得意な我慢で乗り切ればいい話。 そんなことか。 今日も私は気持ちを封じ込める。
twilight song for me
「今は悲しき黄昏に歌う歌」 そこはただ夕暮れ時の丘 聴いたものの意識をこの心象風景に落とし込むだけ。 時に生物は弱音を吐く。 ここはただ弱音を吐くのに適した場所を提供しているに過ぎない。 聴いたものの弱音を、本音を、本心を... 独り言のように促すだけの私のステージ。 強き生物、迷いのない生物にとっては なんの力も発揮しない歌。 「どうだった?私のステージは。 少しは気楽になったのなら良いのだけれど。」 「今ハ悲しキ▅▆▅ニ歌ウ歌」 世界の色も聞こえる音も物体も 何もかもが曖昧で不気味な心象風景 唯一まともに確認できるのは こんな不気味な世界で平然としている人間。 さもこの世界が当たり前かのように。 これがこいつの本当の心象風景・・・ 表は丘のステージなのに・・・ あの風景の裏側・・・? どこまでもぐちゃぐちゃしているこの世界は 居るだけでも心を蝕んでくる。 恐怖を産みつけようとしてくる。 この人間は常にこの世界にいるのか。 「どうだっタ?私ノすてーじは。 少しハ気楽にナったのなラ良イのだけレど。」
努力
「努力すれば報われる」 この言葉が嫌いだ。 結局成功者の言葉でしょ・・・? 努力して報われない人の方が世の中 圧倒的に多いでしょ。 もちろん努力が無駄とは言わない。 なんなら得るものはかなりあるよ。 でも何か得るために努力した結果その努力が 報われることは少ないよね。 その努力が別の場所に発揮された結果 報われたって話だったらそれは報われた事になるのかな。 こればっかりは本人しかわからないけれど。 私は努力が嫌いだ。 これだけ言えばただ怠惰に見えるかもしれないけど 実際怠惰なだけだ。 努力しても報われないことを知っている。 努力して傷つくことを知っている。 努力して失うことを知っている・・・ だったら努力なんてしない方がマシ。 努力をした方がいいことなんて知っている。 努力をした方が未来が見えることなんて知っている。 努力をした方が現状をどうにかできるかもなんて知っている。 私はただ現実に怯えている。
皮膚むしり症
「皮膚むしり症」って知ってますか? その名の通り皮をむしってしまう行為のこと。 カサブタとかできた時に そのカサブタを取ろうとしたことありませんか? それとほぼ一緒です。 私は幼稚園生の頃からこの皮膚むしり症でした。 私の場合は基本的に指の皮や爪です。 幼稚園生の頃から大人になった今でも変わりません。 もう無意識下でやってしまっていることだから やめようと思ってもやめられないでいます・・・ だから私の手の指や爪はいつまでも醜いです。 お風呂とかはいると指がふやけると思うんですけど 常に指の皮が剥けてる状態なのでふやけると もっと悲惨な見た目になってしまいます。 小さい頃はこの行為に関してあまり気にしてませんでした。 でも高校生ぐらいになって 他の人の手と比べた時あまりにも自分と違いすぎて その時やっと自分がおかしいんだと気づけました。 調べたら「皮膚むしり症」とでてきて さらに調べていくとストレスを抱えるほど この行為をしてしまう方が多いみたいです。 1種の自傷行為ですね。 リストカットの軽い版と思えば想像しやすいですかね。 でも調べた内容に私は疑問を抱いた。 ストレスを抱えるとなるのはわかるけど そしたら幼稚園生の頃から私はストレスを感じていたのか ということ。 私の精神状態が大きく変わったのは 小学5年生の頃。 それから発症したのならわかるけど なぜ幼稚園生の頃に・・・ 未だに答えは得られません。 自傷行為と聞くと辞めなければと思うけど やめられない現状に嘆いています。 おそらくこれはもう一生ついていくのだろうと 渋々覚悟してます。 皮膚むしり症、周りにそんな人がいたら お話を聞いてあげるのもいいかもしれません。