枯れた鈴蘭
鈴蘭の花言葉を知っているか
『再び幸せが訪れる』
花言葉など知らずに好きになった花だったが、それは私の人生を表現するにはピッタリな花だと思っていた。
しかし、私の鈴蘭はとうの昔に枯れていたらしい。
私がまだ5歳くらいの頃だろうか。
祖母の家の庭に咲いていた花があまりに綺麗で、美しくて、私はその時初めて植物に興味を持った。
「おばあちゃん、これなぁに?」
無邪気な私の問いかけに祖母は優しく答えた。
「それはね、鈴蘭って言うお花だよ。綺麗だねぇ。」
私はこの時のことをずっと覚えている。18歳になった今もあの時見た鈴蘭の花は、私の脳裏に強く焼き付いているのだ。
花言葉を知ったのは中学の時だ。
国語の授業で俳句を作ることになり、私は大好きだった鈴蘭を季語に使おうとしたのだ。
やはり俳句に使うのならば花言葉と繋げたら素敵だろう。そう思って調べた花言葉は、あまりにも綺麗であの時見た鈴蘭の花そのものだろうと思った。
『再び幸せが訪れる』
他にも、純粋、純潔、謙虚という言葉もあったが、私は最初の言葉を選んだ。
この時私は、小学校低学年の時に父を亡くしていて、母子家庭だった。
それまで母と父、私と妹の4人で幸せに過ごしていた日々はあっという間に奪われてしまった。
父を亡くしてからも私たちには涙ひとつ見せず、女手1つでここまで育ててくれた母には感謝してもしきれない。
だから、この俳句には私の願いも込められていたのかもしれない。
『鈴蘭よ 私に幸せ 持ってこい』
書いただけで幸せが巡ってくることはない。そんなことは分かっていたけれど、私にまた幸せが訪れればいいな、なんて考えていた。
人生を生き抜くにおいて、いちばん大切にするべきなのは家族なのではないかと私は思う。
愛し合う人を見つけ、子供と幸せな家庭をはぐくんでいくのだ。
だが、私には到底それが出来るとは思えなかった。
小学生の時、好きな男の子がたくさんいて、ころころ変わっていた。まぁ小学生なんてそんなものだろうと、周りを見ても同じだったからそう思っていた。
中学に入った。最初に好きになった人に勇気を出して告白したものの、振られてしまった。諦めようと思ったが、3ヶ月は引きずったか、次第にその人への思いは忘れていった。
その後の2年間も、好きな人は出来たが告白することはなかった。どうせ振られるのだと決めつけて行動しなかった。自分の気持ちを拒絶されるのが怖かったのだろう。
高校に入り、1つ上の先輩と付き合うことができた。だが、何故だろう、好きという気持ちが分からなくなってしまった。先輩はいい人だと思っているし、たくさん遊びたいとも思っている。だが、好きとは違うような気がしてきていた。
このまま、不安定な気持ちのまま付き合いたくない、そう思って私から離れた。
それからというもの、私は好きとは何なのかが分からなくなってしまった。
かっこいい、優しい、スポーツができる
私は気になった人の良いところを見つけるたびに、この人が好きなのかもしれない、と思った。
だが違うような気もした。だから好きではないのだろうと勝手に決めつけて、それを繰り返していた。
そしてそれは、いつしか私の癖になっていた。
私の『好き』は、どんどん分からなくなる一方だった。