歯磨き粉

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歯磨き粉

歯磨き粉と申します。初心者です 食べる事が大好きです 大体エッセイを書きます

卒業式、泣きながら母を肘で小突く。

春、それは出会いと別れの季節。 これはその日記だ。 ぜひ、読んでいって欲しい。 卒業式は意外にもあっさり終わった。 もっと、 “先生たちとの涙の別れ” みたいなのを想像していた。 想像していたものと違う。 気温も、もっと暖かいものだと思っていた。 けれど実際は、すごく肌寒くて感傷に浸る間もなかった。 ただ、予想通りだったものは来賓の偉い人の話が長かったことだ。 正直のところ、ほとんど聞いてない。 時計を何度も確認したぐらいだ。 しかもあくびが沢山出た。 ここで謝ります。 ごめんよ、来賓の偉い人。 ただ、泣いてないかと言われれば、ちゃんと泣いた。 けれど、私には同じ学校の友達はいない。 いうならば、ぼっちというやつだろう。 友達との涙の別れもなかった。 とても胸が寂しくなる。 私は、式典には参加したのだが、実際は体育館の上の階から見ていた。 なので他の子からしたら、卒業式に来ていないやつ認定されているのかも知れない。 本当は上で見ていたよ、君たちのことをね。 涙もろい私、 すでに卒業生入場で胸がいっぱいになる。 泣くぞ!泣くぞ! 初っ端からハンカチをクシャクシャに握りしめて涙を出す準備。 だが、その野望は来賓の偉い人によってかき消された。 そう、涙が引っ込んだのだ。 それから、涙くんは出てくる様子がなく、少し心配になった。    それも、卒業式で泣かないとスッキリしない気がしていたからだ。 どうしても涙を捻り出すために、これまでの思い出を頑張って思い出していた。 けれどその不安は卒業生の答辞で払拭された。 泣きながら読む様子に心を打たれ、一緒にもらい泣きをしてしまった。 ハンカチで涙いっぱいになった目を拭う。 横にいる母と目が合った。 なんだか恥ずかしくなって目を逸らす私。 卒業生の合唱だ。 歌い出してすぐに、涙がボロボロと頬を濡らしていく。 この三年間いろいろなことがあった。 学校には沢山迷惑をかけてしまったし、 その度に沢山お世話になった。 感傷に浸っていると、隣にいる母が卒業生と共に小声で迷惑にならない程度に歌い出した。 なぜだ?なぜそこで歌うんだ。 泣きながら肘で小突く私。 それでも、小さな声で歌うのをやめない母。 そう、母に卒業式で歌う曲を教えたら、 その曲をすっかり気に入ってしまった。 「これ、職場の送別会で歌おうかな」 と言い出し、家で練習していた。 それくらい、気に入っていた。 それまでは良かった。 問題はここからだ。 母はたびたび私にこう言っていた。 「卒業式のときに、歌い出したらごめんね」 笑いながら言っていたため、冗談だと思っていた。 本当に歌い出すとは思いもしなかった。 そうだ、母はこういう人だった。 横にいる母に目をやると一滴も涙を流していなかった。 母いわく、私が泣いているのを見た時、代わりに歌おうという心に火がついたようで…… 歌うので必死で涙が引っ込んだそうだ。 じゃあ歌わなければいいのでは…?と思ってしまったが、それは母なりの優しさなのだろう。 そんな母の優しさを感じることができて、 私は幸せ者だ。 たくさん迷惑をかけてしまったけれど、母や父の協力のおかげでここまで来れたのだ。 ありがとう、母、父。 私はこれからも頑張ります。

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空気が読めないわたしと社会の縮図

一斉に拍手が起こる。 客席は照明が落とされ暗くなっている。 その目の前には一際目立つ光に照らされたステージ。 眩しい、輝いている。 演者がそれぞれ、楽器をもって舞台に登場。 そう、私は見てわかる通りミュージックコンサートに来ているのだ。 お母さんの職場の付き合いで今、私はさまざまな楽器の音色を聴きに来ている。 正直言って私はクラシックとは縁がない人間だ。 昔、ピアノを習っていたのだが、なんと自分には合わずに挫折し今に至る。 みんなに釣られて拍手をして周りに合わせる。 最初の一曲が始まる。 ヴァイオリン、すごいぞ。 迫力のある音を出して、こちらも圧倒される。 これはなんだ? 真ん中に位置する演奏者がアコーディオンらしきものを演奏している。 膝を使って演奏している。 凄いなと素直に感心すると同時に足は痛くならないのか?と膝の心配をする私。 後で分かったのだがアコーディオンらしき楽器はバンドネオンと呼ぶらしい。 演奏者いわく、MacBookとWindowsくらい違うらしい。 なるほどよく分かった。 実はこのコンサートは年配の方が八割を超えている 若い人は、 私と、あと親に連れられた子供、 20代くらいの楽器を習ってそうな女性。 ぐらいなのだ。 あぁ、言い忘れていた。 あと私のお母さん。 ここだけの話、入れないと怒られそうなので入れました。 話に戻るが、大半は年配の方たちなのでMacBookと Windowsの違いがわかるのか……と失礼に当たるのかもしれない、けれど思わずそう思ってしまった。 実際、私の周りで反応していたのは首に最新のiPhoneをぶら下げているおじいちゃんくらいだったのかも。 最初の曲が終わった。 実のところいうと私は分からなかったのだ。 演奏者のスピーチで 「この曲、有名ですよね!知ってる人は拍手!」 と言って次々にみんなが拍手している中、私だけ拍手できずにいた。 そんな私を見て横にいる母が拍手をしながらニヤニヤしながらこちらを見ているではないか。 まるで「この有名な曲をご存知ない?」とでも言いたげな顔だ。 うるさい、知らないものは知らないのだ。 言い訳をさせてくれ。 だって、この曲の映画は私が生まれる前に登場したもので私が知っているはずないのだ。 まぁこんな有名な映画を知らない私も悪いのだが…… 結局、コンサートは宅配が午後から届くので全部は聞けなかった。 けれど、素人の私でも分かるくらい凄まじい迫力の音色が素晴らしかった。 もし私がクラシックヲタクだったら…… と想像してみたが、そんな世界線絶対にあり得ないのでやめた。 けれども、クラシックを聞くのが趣味だったら凄くかっこいいと思う。 コンサートは私が空気を読めない人間だということを教えてくれるものだとも同時に思った。 演者がボケたところで笑う。 いいことを言った後で合わせて拍手をする。 普段、空気が読めていないことが分かった。 みんなに合わせて拍手をするとき、どうもこわいのだ。 ズレていないかとか、 どのタイミングでやめればいいのだろう、とか。 拍手のズレが、私の人間性のズレを表しているみたいで、こわいのだ。 正直、大人が笑っているところで笑えなかった自分はまだまだお子ちゃまなのだと思う。 それらも、私が空気を読めていないのではないか、そんな風に感じてしまう原因でもあった。 学校では、大事な式典の時など拍手の練習をしたり、お辞儀の長ささえ全て練習をする。 コンサートの時も練習ができればいいのに。 私はどうも応用が使いこなせない人間らしい。 演奏者が笑いを取ろうとしているのを上手く読み取り、 笑い、拍手をする。 それらが私には難しいものなのだ。 「まるでコンサートは社会の縮図だ。」 たった拍手の一つをそのように考えてしまう自分がいた。 まだ、社会というものを知らないのに。

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チーズハンバーグボロネーゼに挑む。

スカートの腰の位置を少し下げてお腹を楽にしてやる。 そう、まさしく戦闘体制に入ったのだ。 目の前にあるのは、チーズハンバーグボロネーゼ。 名前を聞くだけなのにありもしない覇気が感じられる。 強い、強すぎる。 ボロネーゼの上にチーズハンバーグが乗せられていて、その上には、半熟の目玉焼き。 ツヤツヤと輝きを放っている。 やっぱり、強い。 多分、私が食べ物だったら冴えないもやしだろう。 スーパーで仲間とぎゅうぎゅうに詰められた袋の中で静かに買われることを夢見るもやしに違いない。 そんなもやしが、 今、目の前に覇気を放ちながらどっしりと鎮座しているチーズハンバーグボロネーゼに勝てるとは到底思えない。 いや、勝ってやる。 今ここにいる私は、もう冴えないもやしではない。 チーズハンバーグボロネーゼを食べる捕食者だ。 けれど、正直言って目玉焼きはあまり得意とは言えない。 なので、プレゼントと称して横にいる母に目玉焼きをお裾分け。 母は目玉焼きが大好きだ。 朝ごはんに家族が飽きてしまうほど何回も目玉焼きを登場させてきた。 とても喜んでいる。 よかった。 私は親孝行をしたと錯覚して押し付けがましく目玉焼きをあげたのだ。 さぁここからは、私とチーズハンバーグボロネーゼとの一対一の勝負だ。 ファミレスで食事をしている人のガヤガヤ音。 それらが、私とチーズハンバーグボロネーゼの戦いを見届けているような気がした。 勝手に心の中でお礼を伝える私。 「いただきます。」がバトル開始の合図だ。 聞こえもしないコングの音が、店内に鳴り響いた気がした。 カトラリーからフォークを手に取る。 緊張感が漂う中、私はハンバーグに切れ目を入れた。 そう、私の作戦は、ハンバーグから倒そうという魂胆だ。 切れ目からはチーズが見え隠れしている。 隠れているつもりかい?この強いもやしにはバレバレだぞ。 そんなことを思いながらハンバーグにフォークを突き刺す。 チーズが伸びると食べにくいかもしれないから困るな、なんてチーズが伸びることへの淡い期待をしてしまった自分。 数秒前の自分をしばき倒したい。 結論から言う。 チーズは伸びなかった。 いいんだ、いいんだ。 私はその方が良かったし、なんなら今頃チーズが伸びていては、食べにくかっただろう。 店員さん、ありがとう。 緊張が私の身体を駆け巡る。 一口をパクリ。 うまい。うますぎる。 私はやはり、この肉の塊ことハンバーグが大好きだ。 私はそう思いながらようやくハンバーグを食べ切ることができた。 問題はこの下に隠れているボロネーゼだ。 思わず生唾を飲む。 私は自分の胃袋と相談をしなければならない。 「大丈夫かい?まだ食べれる?」 そう、心の中で胃袋に問いかけると まだまだいけるみたいだ。 注文する前に覚悟は決めていた筈だが、もう一度、決意の再確認をする。 そうして私は店員さんが置いてくれたパルメザン粉チーズの蓋を開ける。 もちろん、多く出る方の蓋を開けた。 少しの遠慮をして、控えめにかけていく。 まるでトマトソースに降り注ぐ粉雪みたいだ。 くるくるとフォークに巻きつけていく。 やはり、うまい。 ファミレスは侮れない。 どんどん鉄板の銀色の底が見えていく。 「ごちそうさまでした。」 勝者は、言わなくてもわかる。

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アホ、そして愛おしく繊細。

おばあちゃん家の犬は正直言ってアホだ。 ドッグフードは気に入らなければ全てひっくり返し、それをゲージに敷かれている犬用毛布で隠す。 罪悪感があるのだろうか、様子を見に行くと、とても申し訳なさそうな顔をしたり、何も無かったかのような清々しい顔で居たりする。 その顔を見るたびに「この子はアホだ。」と思うと同時に思わず口角が緩んでしまう。 私は小学生の頃ピアノを習っていた。 ピアノの練習をしていると、そのピアノの音色に合わせて遠吠えをする。 正直うるさい。でも私のピアノに合わせて歌っている様で愛おしさを感じる。 私はパニックを起こしやすい特性を持っている。 おばちゃん家で発作を起こした時、私の叫び声に合わせてまた遠吠えをして、歌ってみせた。 私が遠吠えをしていると思ってそれに合わせて遠吠えをしていたのか未だソフィーに聞けず仕舞いだが、 その遠吠えで、正気に戻れたと言っても過言ではない。 私が叱られて泣いていた時もあった。 その時にソフィーはいつも慰めてくれた。 こちらに寄ってきてゲージ越しで必死に私を舐めようとしていた。 なんて愛おしいのだろう。 また口角が緩む。 家の空気が冷たくなった時も、ソフィーは誰よりもそれを感じ取り、とても悲しそうな目で私を見つめた。 まるで今にも泣き出しそうな真っ黒な瞳で。 あの子はあの真っ黒な瞳で全てを訴えてくる。 嬉しいときも、悲しいときも、全てあの瞳から読み取れる。 そんなソフィーはジャックラッセルテリアの女の子だ。 もうおばあちゃんになったけれど、そんなアホで繊細なソフィーのことは、誰よりも大好きだ。

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群れると人は強くなる

「これってどういう意味?」 そう言った彼女の言葉には嘲笑と疑問が含まれている。 それらが私の胸に酷く突き刺さる。 彼女一人が言い出すと、同じグループのメンバーが次々に私を揶揄ってきた。 あぁ、人間とは群れなければ生きていけないのだな。 なんて、自分を守る為、達観したふりをして心の中で毒づく。 いや、嘘だ。 本当は頭が真っ白で、愛想笑いしか出来ない弱っちい人間、それがわたしだ。 国語の授業で、小説の続きを書く単元があった。 わたしは昔から、文章を書くことが大好きだ。 だから、「わたしの書く文章は凄いんだ。」なんて確固たる証拠もない自信を持っていた。 彼女たちが嘲笑しているのは、紛れもない私の使う比喩たちだ。 たしか、「目が痛くなるほどの眩しい光」なんて比喩をカッコつけて使ったのがいけないんだ。 恥ずかしいやら怒りやらで私の頭はぐちゃぐちゃだ。 笑っても誤魔化しきれないこの状況。 もう二度と味わいたくない。 それが、わたしの心からの本音だった。 そのわたしにとって地獄と言える出来事から、あまり日が経たないうちにそれは訪れた。 いつもの様に大好きなハリーポッターを読んでいたら、ある比喩が気になった。 あまり覚えていないが、たしか 「目が痛くなるほどの眩しい光」 とよく似た比喩が使われていた。 わたしはその時、酷く安心したのを覚えている。 なんだ、ハリーポッターにも出てくる様な比喩なのか。 だったらわたしは間違っていなかった。 間違っていたのはその場にいたグループの人達だ。 それで、わたしは自分が間違っていなかったことに気づき自分の心が幾分か楽になった。 でも今になって思う。 わたしの比喩を揶揄ってきた子は、わたしよりもうんと賢くて成績上位にいる様な子だった。 そんな子がわたしの比喩をおかしいと言った。 その子の言うことは中学生の中で絶対である。 中学生の世界では、何かに優れている人の言葉こそが全てだったのかもしれない。 その時のわたしは何も優れているところはなかった。 成績は真ん中より下、かと言って運動ができる訳ではなく、コミュニケーション能力が高い訳でもなかった。 言ってしまえばカーストの低い人間が使った言葉なんて、信じて貰えないだろう。 結局、言葉とはそれらしい人が使うからそれらしくなるのだろう。 あくまで、これはわたしの勝手な持論だけれど。

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変えられない慣れ

「今日はどんな感じにしますか?」 この言葉を聞くのは二ヶ月ぶりで、長年通い詰めている筈なのに、答えることに少しドギマギしてしまう。 「あー………」 その長く自分の口から発せられたものは、結局はその場しのぎでしかない。 それと、自分の話すことを脳の中でまとめる時間でもある。 何度もシミュレーションした筈の髪型の注文は長年お世話になっている美容師の一言によって消し去ってしまった。だから組み直す必要があるのだ。 やっとの思いで思い出した。 そうだ、私は髪を伸ばしたいのだ。 だから、切ってもらうのは少しでいい、ばっさり切ってもらう必要はない。 その旨をゆっくり、辿々しく伝える。 美容師は丁寧に私の言いたいことを整理してくれた。 さすが、長年通い詰めているだけある。 実のところいうと、私がこの美容院に行っているのは紛れもない母の影響だ。 母は長年通っているためか居心地がいいそうで、 私は、ひょこひょことそれについて行っているだけなのだ。 美容院終わりに必ず母はこう言う。 「ここの美容院いいでしょ?今更変えられないし変えたくないわ。」 たしかに、と思う。 私もこの美容院には小さい頃からお世話になっている。 実は前に、別の美容院に浮気をしたことがある。 それも後にも先にも一回きりで、 いつもの美容院が自分にとって、過ごしやすいということに気付くことができて良かったなと思う。 なんでも、いつものとこよりも、浮気した美容院に流れていたBGMが大きくて、しかも洋楽が流れてるものだからとても落ち着かないのだ。 美容師の言葉とハサミの金属が重なり合う音の背後に聞こえる洋楽のBGMたち。 その全てが私の身体を強張らせるには充分すぎる要因だった。 やはり、慣れというものはあなどれない。 きっと私がいつもの美容院に足を運ばなくなる日は、その美容院が潰れた日だろう。

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