Ri.

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Ri.

はじまして。Ri.です。 趣味で「無名の侍たち」を書いております。 温かい目で見守っていただければと思います。 言葉の足りないところは読者様のご想像にお任せします。

無名の侍たち

-湿熱気- ミーンミンミンミン……! 蝉の声が本格的に鳴き始めた頃。 パァンッッ…!! バシィッ……!! 「はい次〜!」 舞花は楽しそうに竹刀を振るっていた。 以前道場で男たちに話していた、一列に並び、 一人ひとり打ち抜いていくという鍛錬を舞花は実現させていた。 「…宜しくお願い申し上げます!」 男は竹刀を構え、向き合った。 「こちらこそ!」 舞花は一礼をして、竹刀を構える。 バッ……!! 互いに間を詰めた後、直ぐに踏み込む。 舞花は瞬時に回転を効かせ…… パァンッ……!! 男の左肩目掛けて打ち抜いた。 「……参りました…。」 男は悔しそうに一礼し、次の者に回した。 「次〜!」 舞花はニコニコしながら足踏みをする。 「……舞花。」 竹刀を構え、次の相手をしようとした時、横から声が聞こえた。 「…!」 「ひぃおじいちゃん!」 そこに居たのは、蒼士郎だった。 「…久しいな。」 蒼士郎はほんの少し穏やかな声で舞花に言う。 「うん、本当!久しぶり!」 「どうしたの?」 男たちの空気が張り詰めている中、舞花は嬉しそうに微笑む。 「……以前に、団子を食べに往く話をしたであろう?」 蒼士郎は腕を組み、舞花に尋ねる。 「うんうん!した!」 舞花は思い出し、頷く。 「…その…明日はどうだ?」 蒼士郎は視線を逸らし、誘いに慣れない様子で舞花に聞く。 「明日ね!全然いいよ!」 舞花は満面の笑みを蒼士郎に向ける。 「……では明日、迎えに往く。」 蒼士郎はそれだけ言うと、道場を退室しようと舞花に背を向ける。 「待って、ひぃおじいちゃん。一戦やらない?」 舞花は思いつきで蒼士郎を引き止める。 「……」 蒼士郎は振り向き 「……また別の時にな。」 そう言って蒼士郎は立ち去っていった。 (やった…!明日はひぃおじいちゃんとデートだ!) 舞花は嬉しくなり、頬が緩む。 「よーし!じゃあ始めよっか!」 再び竹刀を構え、目を輝かせた。 バシッッ!! 「…ハイや〜!」 (いやー、今日はいい日だなぁ!) 舞花がご機嫌に竹刀を振るうのは、もう一つ理由があった。 (佐倉さんから新しい刀貰っちゃったし!) そう。佐倉は舞花を避けているものの、せめて刀だけは 渡さねばと思い、今朝方、面と向かって手渡したのだった。 バシィッッ!! 「……次〜!」 数人の男たち一人ひとりに舞花は一本取っていく。 「……次は私で御座いまする。」 舞花の前に現れたのは、影義だった。 「よろしくね!影義さん!」 舞花は滴る汗を気にせず、笑う。 バッ……! 「いざっ……!」 影義は先方を切って踏み込む。 ダッ……! 続いて舞花も踏み込む。 バシッ……! 二人は竹刀を交える。 「…舞花殿、正々堂々とは…よいのですか?」 「へへっ…影義さんは他の人と違うから、サービスしちゃう。」 舞花は嬉しそうに笑う。 バッ……! 影義は間合いを取り、小さく微笑む。 「舞花殿は、やはり面白いお方ですね…!」 ダッ…! 瞬時に舞花は間合いを詰める。 「それはどうもっ…!」 クルリと回転を効かせ、舞花は影義の足元を狙う。 ブン……! 影義は飛び上がり、舞花の一振りをかわす。 ブンブンブンブンッッ!! 舞花はそのまま影義の足を狙うように、 地面の方に竹刀の先を向け、左右に振り回しながら接近する。 タッ…!タッ…タッ…! 影義は軽快に交わしていく。 クルッ……! 舞花は流れるように回転し… 「……奥義……!」 「鬼灯(ほおづき)…!」 ドスッ……! ドスッドスッ……! 影義の左肩、鎖骨付近に「突き」を打ち込んだ。 「……かはっ……!」 影義は打撃に耐えられず、噎せる。 「…けほっ…参りました…」 片膝をつき、左胸を抑え、影義は降参した。 影義の左肩には橙色の鬼灯が揺らめき、スゥ…と消えていった。

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無名の侍たち

-二人の朝- チュン……チュンチュン…… 穏やかな日差しが客間を照らし、舞花はゆっくり目を開ける。 「……ん……」 (あれ……ここ、どこ…?) 舞花は寝ぼけ眼のまま起き上がり、部屋を見渡す。 「………。」 (…そういえば私……) 舞花はじわりじわりと記憶を辿る。 はっ…!! (そうだ私…!) 「若菜ちゃん?!」 舞花は寝落ちした事を思い出し、勢いよく振り向く。 そこには…… 「……いない……」 若菜の姿はなかった。 「あれ…?」 舞花は昨夜は掛けていなかった布団が、 自身に掛けられている事に気づく。 「そんな事より、若菜ちゃん探さないと!」 舞花は髪を束ねながら急いで部屋を出た。 タッタッタッ……! 釜の方から、何やらいい香りがした。 「若菜ちゃん?!」 小走りに駆け出した舞花は勢いよく立ち止まる。 「……」 舞花の声に気づき、顔を上げ…… 振り向く。 「……お早う御座います…舞花殿…」 そこに居たのは、朝の日差しに照らされた明継だった。 「…!」 「あ、明継さん…?!」 舞花は一瞬夢かと思い、驚く。 「すみません、屋敷を空けてしまいまして…」 明継は何事もなかったかのように微笑み、鍋へ向き直る。 「いや、それはいいんだけどさ…」 「若菜ちゃんっていう子知らない?えっと、5歳くらいの…」 舞花はドギマギしながら明継に尋ねる。 「あぁ……それでしたら…」 明継は斜め上を見て舞花に言う。 「一刻前にお父上に連れられて、お帰りになられましたよ?」 「えぇ?!若菜ちゃん…帰っちゃったの?」 舞花は驚き、声を上げる。 「えぇ……」 「それより、驚きました…お鶴さんにお願い申し上げて おりましたのに、舞花殿が寝ておられたので…」 明継は土鍋の中を確認しながら、まるでお鶴が来ていると 思っていたかのように話す。 「えっとそれは…」 舞花は明継を目の前にして、落ち着かない素振りで事情を 話していく。 「………。」 明継は背中で舞花の気配を感じながら、目線を逸らしていた。 (よくもまぁ、こんな嘘をすらすらと云えたものですね……) 明継は舞花に嘘を重ね続ける罪悪感に苛まれていた。 しかし何事もなかったように振る舞えている自分に、 呆れつつも心底感心すらしてしまえているのである。 (まぁ…驚きと云えば、目が覚めた時の事 だったのですけれど……) 明継は思い出し、苦笑いをする。 すっかり舞花と一緒にすやすやと寝息を立てていた明継は、 一足先に目が覚めた。 いつの間にか元の姿に戻っていた明継は、自分の姿を見て 本気で驚く。 「……!!」 (これは……かなりまずいです……!) 明継は慎重に素早く部屋から出ていき、自室へと戻ったのだった。 「…それでね……」 舞花の話を他所に、明継は羞恥の念に苛まれていた。 (まさか、全裸になっていたとは……) 衣の大きさが合わず、寝ている間に全て脱ぎ捨てていたようで、 大変驚きました…… あれはあれで、舞花に見られなくてよかったと明継は 心底思ったのだった。 「…つぐさんっ…明継さん!」 「……!」 後ろに居たはずの舞花が明継の横に立っていた。 明継は今までの自分の内情で手一杯で気付かず、驚いた。 「ねぇずっと何も言わないけど、聞いてた?」 舞花は少し膨れっ面をして、明継に聞く。 「…すみません、少々考え事をしていまして…」 「珍しいね。明継さんがそんなに考え込むなんて…何かあった?」 「いえ…大した事では…」 明継が目を逸らすと…… 「そういえば、昨日どこに行ってたの? あんなに小さい子、自分の屋敷に置いといてまで、 なんの用事があったの?」 舞花はふと思い出したかのように、明継に根本的な事を聞く。 はっ…… 「もしかして、明継さん……」 舞花は両手で口を覆い、目を大きく見開く。 「また遊郭街に…?」 「往ってませんから…!」 明継は瞬時に即答する。 「…そうですね…先ずは朝餉に致しましょうか。」 明継は軽く咳払いをし、土鍋の蓋を開ける。 「それで?どこに行ってたの?」 「舞花殿、先ずは食べませんか?」 明継はお膳台に、土鍋で炊いたご飯、余った野菜で作った 味噌汁に、胡瓜の漬物を置いた後、食す前に舞花から 尋問を受けそうになっていた。 「そうだね。いただきます。」 舞花はあっさりと了承し、手を合わせ、明継が作った朝餉を食す。 「……!」 (…そういえば……) 舞花は味噌汁を一口啜り、ご飯を一口食べながら思い出す。 (私がこの時代に来たばかりの時、初めてご飯食べた時も 明継さんが作った料理だったな……) あの時は戦帰りで、簡易的なお粥って言ってたけど…… (やっぱり明継さんが作ったご飯って…) 「美味しい……」 舞花は嬉しくなり、微笑んだ。 「……。」 「……それは何よりです…」 一瞬箸を止めて舞花を見ていた明継は、目を伏せ、嬉しさを隠し、 静かに微笑んだ。 朝餉を食べ終えた舞花はふと我に返る。 (昨日色々あって忘れてたけど… ここって明継さんの屋敷だったんだった…) (…普通に起きて何事もなく朝ごはん食べてたけど……) これって…… (新婚みたいじゃない?!) 舞花は衝撃的な顔をして急に恥ずかしくなる。 (さっきも“おはよう舞花”って言われちゃったし、 どうしよう…!) 舞花は一部記憶が改ざんされた形で記録されてしまっていた。 「…舞花殿、茶をお持ちしましたけど呑みますか?」 「ありがとう!飲みます!」 舞花は勢いよく御礼を言う。 コト…… 明継はゆっくり湯呑みを置く。 「…?」 (先程よりやけに元気ですね?) 不思議に思いながらも、明継は座った。 「それで、どこ行ってたの?」 舞花は熱い茶を冷ましながら、同じ質問をする。 「…それはですね…」 明継は朝餉を食している間に思いついた話をする。 知り合いの行商人が明継の元に訪れて、ここから少し離れた村へ 商売をやりたいと申し出てきた。 その際、移動するのに子どもを連れて歩くのは危険だと 判断した行商人は、明継の屋敷に娘を置いてもらえない だろうかと相談してきた。 元々幾度か屋敷に遊びに来ていたその娘を預かる事に なった明継は、護衛はどうするのかと尋ねる。 行商人は護衛を雇う程の金銭を持ち合わせておらず、 困り果てていた為、護衛は明継が引き受けることに。 ただその間、屋敷を空けて娘の面倒を見る者が居ない為、 佐倉にお鶴を借りられないかと相談をしていた。 「そして佐倉殿は、後でお鶴さんを連れて来ると申して…」 明継は淡々と舞花に話し、事の顛末を話す。 「その際にこちらに戻るのに一日を費やしてしまいました…」 (我ながら自分でも驚く程すらすらと云えてますね…) 明継は内心呆れながらも、完壁なまでに嘘を言えている自分に 感心しつつあった。 「…そうだったんだ…。大変だったね。」 舞花は茶を呑みながら明継に言う。 (舞花殿に嘘は心苦しいですが、ご容赦ください…) 明継は内心心を痛めながら 「えぇ、色々と大変で御座いました…」 一安心して茶を呑み始める。 「てかさ、若菜ちゃんって“男の子”じゃなかったんだね。」 「…っけほけほ!!」 明継は舞花の衝撃的な一言に不意をつかれ、咳き込む。 「大丈夫?!明継さん。」 舞花は明継の隣に歩み寄り、背中を擦る。 「…っけほ…すみません…噎(む)せてしまいました…」 「びっくりしたよ。急に咳き込むから。」 舞花は安心したように、笑いかける。 「それにしても、どうしてその娘が男だと思ったのですか?」 明継は内心ひやひやしながら尋ねる。 「最初は女の子だと思ったよ?すごく可愛かったし、 意外としっかりしてたし…」 舞花は若菜を思い出し、微笑んでいた。 「でも、途中で思ったんだけど…」 舞花は斜め上を見ながら言う。 「この時代の女の人たちって、“私”じゃなくて “わたくし”って言ってるでしょ?」 「ほら、小春ちゃんも、夏紀姫も言ってたし……」 舞花は人差し指を立てて、明継に微笑む。 (盲点…!) 明継は内心強く思ったのだった。 「だから、もしかしたら男の子なのかなーって思ってたんだけど…やっぱり女の子だったんだね!よかったー、間違ってなくて…!」 舞花は若菜に言おうか言わないか悩んでいたのだった。 そうとは知らずに明継は…… (舞花殿…恐ろしい程鋭いです…) 舞花の洞察力と、勘の鋭さにただただ驚くばかりであった。 明継と舞花は屋敷を出て、町を歩く。 「いやー、楽しかったぁ!若菜ちゃんと一日過ごせたの。」 舞花は若菜と過ごした日々を思い返し、軽やかに歩く。 (………。) 「それは何よりです。」 明継は目を伏せて、一歩前を歩く舞花に穏やかな声で言った。 「そういえば、明継さんの事“叔父上”って言ってたよ? 親戚じゃなくてもそういう風に言うんだね?」 舞花は振り向いて明継に言った。 「えぇ…以前お逢いした時懐かれまして…それでその様に 呼ばれるようになりました。」 「そっか。明継さん、優しいから若菜ちゃんも明継さんの事 好きになったんだね。」 舞花は再び振り向き、微笑む。 その笑顔は日の光に照らされて、明継には眩しく見えた。 「……。」 (一晩共に過ごしたからでしょうか…) 明継は、何も言わず微笑み返す。 (前よりも、愛おしく見えます……。) そんな明継の気も知らず、舞花は前を向いて歩いた。 暫く歩くと佐倉の屋敷の前に着いた。 明継はそこで足を止め 「では舞花殿、私はこれにて…」 舞花に軽くお辞儀をした。 「うん!あ、今度若菜ちゃんがこっちに来た時、私に教えてね? また会いたいし、飴をあげる約束もしたからさ!」 舞花は若菜に飴をあげるという約束を忘れていなかった。 「えぇ…必ずお伝えします。」 「では…」 そう言って明継は再びお辞儀し、来た道を戻って行った。 カラカラ…… 「…ただいま〜!」 舞花は屋敷の戸を開け、声を投げる。 「……お帰りなさいませ…舞花さん。」 「小春ちゃん、ごめんね?昨日お泊まりしてた。」 舞花は笑顔で小春に言う。 「えぇ、旦那様から伺っております…。」 「やっぱり聞いてた?実はね…!」 舞花は玄関に上がりながら小春に昨日の事を話す。 ザッ……ザッ…… 「〜〜♪」 明継は帰路に就きながら、鼻歌を歌っていた。 まるで昨夜の出来事を忘れないように、 大切に旋律を思い出しながら口ずさむ。 以前とは違い、聞き慣れない低い声が自身の耳に響き…… サラ…… 目を伏せ、長い髪が風でなびいた。

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無名の侍たち

-どうかこのまま…- 「舞花殿…」 「なぁに?」 「その…湯浴みの時に歌っていたお歌を聴きたいのですけれど…」 横になって若菜の胸をポンポンと軽く叩く舞花に、 ひとつ頼みをしてみる事にした。 「いいよ?」 舞花は湯浴みの時、もう一曲歌っていた。 「…あの日 見渡した渚を、今も思い出すんだ…」 「砂の上に刻んだ言葉…君の後ろ姿…」 舞花は若菜の胸の上で、再びリズムよくポンポンと叩く。 舞花は静かに、あの時口ずさんでいた「打上花火」を歌い始めた。 切なさと優しさが混じった旋律が、 月明かりに包まれた客間へ静かに溶けていく。 「ラ〜ラララ〜……」 舞花が最後まで歌い切ろうとした時… 「…ら〜らら…」 はっ……! うっかり口ずさんでしまった明継は、顔を背け、 布団で口元を覆う。 「…? もしかして、若菜ちゃん歌いたいの?」 「いえ…!これは…その…」 若菜は恥ずかしくなり、黙り込んでしまう。 「…もう一回一緒に歌う?」 教えてあげるからさ。と舞花は優しい声で若菜に言う。 「……。」 若菜はちらっと舞花の方に顔を向け… 「…では…少しだけ…」 自信なさそうに小さな声で言った。 「じゃあ歌うよ?間違えてもいいからね。」 明継は舞花を見つめ、小さく頷く。 「あの日見渡した渚を……」 「あの日見渡した……渚を……」 最初は遠慮して声を出す。 「今も思い出すんだ……」 「今も…思い出す……だ…」 「そうそう…!その調子。」 舞花は優しく旋律を教えていく。 (…舞花殿と歌を歌う日が来るなど…) 明継は恥ずかしさに必死に耐え、ゆっくりと口ずさんでいく。 「パッと光って咲いた……花火を見てた」 「パッと光って咲いた…はなびを見てた…」 (若菜ちゃん…すごく綺麗な声……) 舞花は若菜の澄んだ声に感動していた。 最後まで歌い切った二人は互いに嬉しくなり、もう一度 歌う事にした。 「パッと花火が……」 「夜に咲いた…」 しかしここに来て、若菜は黙ってしまう。 (…?) 「夜……」 舞花は不思議に思いながらも歌い続けようとした時…… 「夜に咲いて……」 (…!) 「静かに消えた……」 若菜が一人で歌い始めた。 少し前に、舞花がここは別々に歌うと綺麗に聴こえると 教えた箇所だった。 舞花は悟り、タイミングを見る。 「離さないで……」 「もう少しだけ……」 「もう少しだけ……」 「「このままで……」」 「……!」 若菜は驚き、目を見開く。 「へへ……綺麗にハモったね。」 舞花は嬉しそうに微笑んだ。 「……っ…!」 明継は胸を締め付けられ、少し恥ずかしくなるも…… (このまま…時が止まればよいのに……) 囁かな願いを胸に、小さく微笑んだ。 「……ふわっ…」 舞花は若菜の歌声に癒され、欠伸をする。 「…少し眠りませんか?一睡もしないのは身体に毒です。」 若菜は瞼が半分閉じている舞花に仮眠を提案してみる。 「……ダメだよ。明継さんの帰りを待たなきゃ……」 「………。」 そんな健気な舞花を見て明継は愛おしく思った。 (舞花殿…私は、此処に居ます……) 「……あの日見渡した渚を……今も…思い出すんだ……」 明継は子守唄のように、つい先程まで歌っていた歌を たどたどしく歌った。 (…本当に綺麗な声…) 舞花はうとうと…と、うたた寝をする。 「パッと光って咲いた……はなびを見てた……」 明継は小さな声で歌い続ける。 「きっとまだ……終わらない…夏が…」 (…明継…さん…) 舞花は目を閉じ、明継の名を心の中で密かに呟く。 「曖昧な心を…解かして…繋いだ…」 「この夜が……続いて欲しかった…」 二人を優しく包み込むように月明かりが客間を照らし、 明継は覚えたての歌を寝息を立てている舞花に歌い続けた。

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無名の侍たち

-外は危険なのです!- ぐぅぅぅ…! 安心したのか、舞花は空腹で腹を鳴らす。 「……! あはは〜!お腹空いちゃったみたい!」 舞花は別の意味で恥ずかしくなり、手を頭の後ろに 置きながら笑う。 「ふふ……」 そんな舞花を見て、若菜は笑った。 (可愛い…) 「…ちょっと待ってて!何か買ってくる!」 舞花は客間に入り、自身の荷物を見る。 (確か、佐倉さんからお金貰ってたんだった。) 舞花は小さな巾着を取り出し、中を確認する。 チャリ…… 「え…!」 舞花は声を上げる。 「…どうかなさいましたか?」 後ろから若菜が声を掛ける。 「えっと…」 (どうしよう…佐倉さん…) 二文しか入ってないよ…?! オロオロとしている舞花を見て若菜は 「見せてくれませんか?」 冷静に尋ねる。 舞花は座り、若菜に銭を見せる。 「……!」 明継は一瞬驚く。 「これは…四文銭ですね。」 「え、二文じゃないの?」 不思議に思った舞花は、若菜を見て尋ねる。 「はい。此処に、波の模様があります。」 そう言って若菜は銭の裏面を指さす。 「へー!若菜ちゃん、物知りだね!」 「これも明継さんに教えてもらったの?」 (うぐっ…!) 「はい…そうです…。」 明継は苦笑いした。 「やっぱり明継さんってすごいね!」 「じゃあなんか食べに行こうか、若菜ちゃん!」 「ふぇ…?!」 笑顔で立ち上がる舞花に対して、若菜は拍子抜けした声で驚く。 「え?だって、私お腹空いちゃったし… 若菜ちゃん一人にさせる訳にはいかないでしょ?」 「…だから……」 「しょ…少々お待ちください…!」 明継は再び慌てて広間を飛び出した。 「……はぁ…」 明継は釜戸の方へ駆け出し、軽く息をつく。 先も似たようなやり取りがあった気がすると思いながらも、 迷わず比較的涼しい場所に置いてある棚に手を伸ばす。 ガサ…ガサ…… (よかった…!まだ米はあります…!) ついでに他に野菜や味噌を確認する。 (これならば…) 明継は一度棚から離れ、辺りを見渡す。 「……。」 見上げた先には… (…どうやって取りましょう…) 米を洗う為のざるが置いてあった。 …はっ……! (そういえば……) 明継は何処からか、木の台を取り出す。 (お鶴さんが来られると思い、出しておいたのでした……) 皮肉にも、お鶴の為に用意していた木の台が役に立った。 ……コトッ…… 明継は棚の前に木の台を置く。 「……。」 台の上に乗り、手を伸ばす。 ぐっ……! 「…はぁ…全く届きません…」 明継は脱力し、他に何か使えるものはないか探してみる事に。 すると…… 「……!」 (これは…!) 数年前に朝右衛門が持って来た酒樽だった。 明継が二十五の年を迎えた際に、祝いにと奮発したものだった。 (…殆ど朝右衛門殿と谷口殿が呑んでしまわれましたが…) それでも明継にとって思い入れのあるものだった為、 こうして隅に置いてしまっていたのだ。 そんな酒樽を静かに触れ、フッと明継は笑った。 (これなら、届きそうです。) ズズズ……ズズズ…… 明継は力の限り酒樽を押し、棚の前まで移動させる。 「…ふんっ……!」 お鶴の為に用意して置いた木の台は、樽の上に乗る為に 使用する事にした。 「…よし…これならば…」 明継は木の台の上に乗り、勢いをつけて、樽の上に上がる。 ガタ…… 「よい…しょっ!」 ガタ…ガタ… (…少し、ふらつきますが…) 直ぐに取って降りれば…… 明継がざるに手を伸ばそうとすると…… ミシミシ…… バキッ……! 「……!」 腐っていた樽の側面が崩壊し、明継はバランスを崩す。 「…ぁ……」 (このままでは……) 突然の事に受身が取れず、明継は後ろから落下する。 サァ……… 「…危ないっ!」 ……トンッ……! 舞花は樽の上に登っていた若菜を止めようと思い、 声を掛けるところだった。 「……はぁ……」 舞花は間一髪のところで受け止め、ほっと一息する。 「…大丈夫?若菜ちゃん。」 舞花は抱き締めたまま、若菜に尋ねる。 「…すみません…舞花ど…」 顔を上げようとした明継の後頭部に柔らかいものが当たった。 「……!」 (舞花殿の、む…っ…!) 「どうしたの?もしかしてどこか怪我してる?」 「い…いえ!痛む所はありませんっ!」 (皆まで云うな…!皆まで云うな!皆まで云うな!) 明継は雑念を払うように暫く唱えていたのだった。 結局、明継は舞花に肩車をしてもらい、 ざるを取ることになった。 「…すみません。舞花殿…」 「ご迷惑ばかりお掛けして…」 「いいよいいよ!それより、無事で良かったよ!」 降ろしてもらった明継はしょんぼりした顔で、舞花を見ていた。 「女の子が怪我したら大変だって言うし、本当によかった。」 舞花は若菜の頭を撫でて微笑んだ。 「………。」 明継は、本当の事を言いたい気持ちを抑え… ぎゅ…… 「若菜ちゃん??」 舞花の膝元に抱きついた。 (…女子じゃ、ありません…) 「……これより夕餉の支度をします故、舞花殿も 手伝いをお願いします。」 明継は直ぐに舞花から離れ、釜戸まで歩み寄った。 「うん!何からやればいいかな…!」 「そうですね…まず野菜から……」 舞花は若菜の隣に立ち、二人で夕餉の準備をする。 茜色に染まった光が穏やかに差し掛かり、二人を照らした。 夜…… 日が完全に落ち、月の光が客間を照らす。 「結局、明継さん帰ってこなかったね。」 「…そう…ですね…」 (何故私は此処に居るのでしょう……) 布団の上で呑気に話す舞花を他所に、明継は内心苦笑いをする。 ほんの少し前、明継は舞花を客間まで送った後、 自室で床に就こうとしていた。 「…では舞花殿、私はこれにて。」 そう言って立ち去ろうとした時…… 「え、若菜ちゃんはどこで寝るの?」 舞花は不思議に思い、若菜を呼び止める。 「…叔父上の部屋で床に就こうと…」 「もしかして、一人で寝れるの?」 舞花はあまりにも自立心の高い若菜に、少し引っ掛かりは したものの…… 「はい…」 「うーん、それはすごく立派なんだけど…ほら、まだ明継さんも 帰ってきてないし、危ないと思うんだよね?」 放っておけず、「こっちで寝ない?」と提案する。 そして断り切れず今に至る。 (全く休まる気がしないのですが…) 明継は内心嘆いていた。 「それで、なんで若菜ちゃんは畳の上に座ってるのかな?」 舞花は首を傾げて微笑む。 「…わ、私は畳の上でも寝れるのです。」 明継は特技の一つみたいに言う。 「ダメだよ。一緒に寝よ?」 舞花は立ち上がり、若菜を抱き抱える。 「ま、舞花殿…!」 「一夜限りの一時なんだから…ね?お姫様。」 舞花は少し顔を近づけ、意地の悪い顔をする。 「…っ…!」 (何処でその様な言葉…覚えてきたのですか…) 明継は顔を近づかれて動揺し、視線を揺らす。 それは駿河で舞花が明継に変化した時に身につけた、 対夏紀姫用の言葉だった。 「…おやめください。舞花殿…」 若菜は恥ずかしそうに顔を赤くし、俯く。 「ふふ、可愛い…」 そう言って、舞花は若菜の長い髪を耳に掛ける。 ドキッ…! 「…っ…!」 明継はそれだけで、胸が高鳴った。 「それに私はオールしようと思ってるし。」 舞花は若菜を抱き抱えながら、布団の上に座る。 「おうる?なんですかそれは。」 「一睡もしないで起きてることだよ。」 舞花は笑顔で若菜に微笑む。 「…! そ、それは…」 (それはまずいです…!) 明継はどうにかして、舞花に寝てもらおうと思考を巡らせた。 「だって明継さん、全然帰ってこないんだもん。心配じゃん。」 「それに……」 トス…… 舞花は若菜を優しく押し倒す。 「…良い子は早く寝なさい。」 そう言って頭を撫でた。 「……っ…!」 (なんです…今の…) 明継は耳まで真っ赤になり、掛けられた布団で口元を隠す。 きゅ…… (私は此処に居るというのに……) (私が帰ってこないと、舞花殿は待っていてくれるのですか…?) 明継は今直ぐに伝えたい思いをグッと堪え、胸の内が 熱くなるのを感じ、布団を握り締めた。

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無名の侍たち

-舞花の素顔- 暫くすると明継は風呂から出てきて、舞花の元へ歩みを進める。 「…お待たせしました…」 明継は舞花に声を掛ける。 「ううん!すごい静かに入ってたけど、何も無かった?」 舞花は振り向き、笑顔で首を傾げる。 「はい。何時もの事ですので、お気遣い有難う御座います。」 「そうなんだ?」 「ていうか、若菜ちゃん……」 舞花は肩に掛けていた手拭いを手に取り…… 「髪ビッチャビチャじゃん!ちゃんと拭かなきゃ、 風邪ひいちゃうよ?」 若菜の髪から垂れている水滴を拭き取る。 「…!」 明継は目を見開き、少し恥ずかしそうに目を背ける。 「…火を…消さなければなりません…」 明継は声を絞りながら舞花に伝える。 (あ、今のちょっと可愛かったかも…) 舞花はにっこりと微笑んで 「そうだね。火を消したら、中でやろうか。」 そう言って舞花は若菜の後ろに回り、自身の髪ゴムを使い、 軽くまとめる。 「……!」 「これなら髪が汚れなくて済むでしょ?」 そう言って舞花は再びしゃがみ、若菜に微笑んだ。 釜の火を消し終えた二人は屋敷へ戻り、舞花に案内した客間で 髪を拭いてもらっていた。 「ふふ……」 舞花は若菜の髪を拭きながら、ふと思い出し笑いをする。 「どうかしたのですか?」 「実はね…明継さんも、若菜ちゃんみたいに 髪をちゃんと拭かないで出てきたなーって思ってさ。」 「………。」 明継は… 佐倉の屋敷で風呂を借りて出てきた時も 舞花に同じ事をされた事を思い出した。 そして今も再び居た堪れない気持ちで髪を拭かれている。 「あ、そうだ。」 舞花はちょっと待っててね?と一言言って、荷物の方へ歩く。 「はい。これね、佐倉さんから渡してって言われたの。」 舞花が若菜に手渡したのは、程よい大きさの巾着だった。 あまりにも軽い巾着に、明継は不思議に思いながらも、 開けてみることにした。 カサ…… 「……?」 明継は折り畳まれた油紙をひとつ取り出す。 カサ…カサ…… 「……!」 (これは…!) 広げた油紙の中身は…… 黄金色の小さな飴だった。 「あ、それ私が作ったやつなんだよね〜。」 舞花は若菜の髪を拭きながら、後ろから覗き込んでいた。 「……。」 明継は嬉しさのあまり、言葉を失っていた。 それは野営の時、佐倉から貰った飴だったからだ。 (佐倉殿、ご自分のものを分けてくださったのですね…) 「でもそれ、生姜入ってるから若菜ちゃんの口には 合わないかも……」 ぱく…… 明継は舞花の言葉が耳に入っておらず、嬉しそうに口に運ぶ。 甘く、生姜の香りが鼻から抜けていく感じがする。 コロコロと飴を味わいながら明継は、これは 良いきっかけかもしれないと思い、振り向く。 「舞花殿……」 「この飴、とても美味しゅう御座います…!」 「どうか私にも作って頂けないでしょうか?」 子供のように目を輝かせて、若菜は舞花に一歩近寄る。 「えぇ?」 (どうしよう…) 舞花は驚き、視線を揺らす。 (砂糖にはかなりお金が掛かるし…) 舞花は困ったように少し視線を逸らす。 「銭の事なら心配なさらないでください。」 明継は胸を張り、自信を持って言う。 「佐倉殿が出してくれると云うておりましたから。」 「えぇ?!佐倉さんが?」 舞花は若菜の意外な答えに驚く。 (ほ…本当かなぁ…?それ…) 舞花は流石にそれは無いんじゃないかと疑い始める。 「それいつ言ってたの?」 舞花は確認の為、若菜に尋ねる。 「それはもう……」 明継はふと我に返り、急速に整理する。 (どうしましょう…!勢い余って云ってしまいました…!) 「若菜ちゃん?」 舞花は頭を抱えている若菜を見つめる。 (ま…まずいです…!何か…何か良い策は……) 明継は視線を泳がし、必死に誤魔化す事を考えていた。 「おじ……叔父上が云うていたのです… 佐倉殿から飴を頂いて…大層美味かったと…… それでその時に……」 明継は結局あの時の自分の行いを暴露する形となり、 恥ずかしくなって顔を赤らめさせた。 「え…!明継さんも食べたの?」 「…はい…」 それを聞いた舞花は手で口元を隠し、目を細めて笑っていた。 (もう…佐倉さんってば……) 「わかったよ。佐倉さんにお金…銭を貰ったら若菜ちゃんに 作って持って行ってあげるね。」 舞花は嬉しくなり、はにかんだ。 それを聞いた明継はほっと胸を撫で下ろし、舞花に礼を言った。 「有難う御座います。」 そう言って明継は前を向いて、舞花に背を向ける。 舞花は再び若菜の髪を手に取り、手拭いで挟むように拭き取る。 (そっか……明継さんも食べたんだ…) 舞花は嬉しくなり、必死で緩む頬を抑える。 (大層美味しかったって事は、すごく美味しかったって 事だよね?) どうしよう… 舞花の頬はほんのり赤くなり、明継を想う。 舞花は若菜に気づかれないように、微笑んでいた。 「舞花殿…。」 少し間を置いた若菜が、舞花に声を掛ける。 「ん?」 舞花はなんでもないふりをして、返事をする。 「その…御礼と云ってはなんですが… 屋敷の中を、御案内致しますよ…?」 飴で気を良くした明継は、少し照れながら斜め上を見た。 「え!いいの?…でも明継さん居ないのに、なんか悪くない?」 舞花は驚き、直ぐに気を遣う。 「問題ありません。それに、叔父上なら…お許しになると 思いますよ。」 明継は今の自分が出来る、最大限の御礼だと思って 提案したのだった。 「うーん、じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。」 舞花も見るだけなら明継も怒りはしないだろうと思い、 若菜の御礼を受け取る事にした。 「では、参りましょうか。髪を拭いてくだり、 有難う御座います。」 そう言って若菜は立ち上がり、廊下へと赴いた。 先ず明継が向かったのは…… 「こちら、釜戸に御座います。」 玄関からそのまま通過して入れる台所は、決まった場所に 整理整頓されており、綺麗に片付いていた。 「ほぇ〜!」 舞花は目を輝かせて釜戸を見ていた。 (ここで明継さんが料理してるんだ……) 『お早う御座います…舞花殿…』 振り向く明継を朝日が照らす… 「めっちゃいい…」 舞花は両手で口を覆い、一人妄想に耽っていた。 「…そんなにしみじみとするものでしょうか?」 (釜戸なら、佐倉殿の屋敷にもありますし…) 「へ…?! あ、いや、そうね!」 「明継さん、綺麗にしてるから感動しちゃって!」 「…?」 あはは!と誤魔化し笑いをする舞花に対して明継は首を傾げた。 続いて明継が向かったのは…… 「こちらは叔父上の書斎の間になっております…。」 スッ…… 明継は襖を開ける。 「わっ……!すご…!」 舞花は少し広間に入り、圧巻していた。 そこにはおびたたしい量の書物と巻物が棚やその隅に 置かれていた。 棚に入り切らなかったのか、机の脇にも書物が重なり、 明継がどれだけ沢山の事を学んできたのかが目で見て 分かる程だった。 「…稀に城から対処できぬものをお預かりし、 仕事にしておられるそうです…」 明継は照れ臭そうに頬をぽりぽりとかきながら、 棚に入っている書物を見入っている舞花に話す。 (…だから明継さん、なんでも知ってるんだ……) 「…かっこいい…」 舞花はうっかり呟いて、キョロキョロと棚の中の書物を 覗き込んでいた。 (文字は読めないけど……) すると… ふわっ…… 明継の匂いが舞花の鼻を掠める。 「…っ……」 舞花の胸は高鳴り、締め付けられる。 (あぁ、どうしよう…) ここ、明継さんの匂いでいっぱいだ…… 「………。」 「…舞花殿…?」 明継は舞花の顔を覗き込む。 「……!」 舞花は、耳まで顔を赤くして… 口元を両手で覆い、瞳を揺らしていた。 今まで見た事のない表情を見てしまい、明継は固まる。 スッ…! 舞花はしゃがみ込み、顔を伏せる。 「……。」 「…舞花殿、どうかされたのですか?」 若菜の声に反応して、舞花は少し顔を向ける。 「……!」 真っ赤になった頬… 困ったような顔に潤んだ瞳… 恥ずかしながらも舞花は若菜を見つめた。 「…っ…!」 明継の胸が締め付けられ、高鳴る。 揺らめく瞳が舞花を捉えて離さない。 (ま、舞花殿…そんなお顔…されると…) 明継は舞花の初めて見る顔に戸惑いながらも、愛らしいと 思ってしまう。 「…ごめんね、若菜ちゃん…」 舞花は先程とは違い、ほんの少し高い声で言う。 (やば…顔熱い……) 「ちょっとクラクラしてきちゃって……」 明継はその言葉を聞いて…… そっ…… 「…熱は、無いようですね…」 小さな手で舞花の額に手を当てた。 カァァァ…! 舞花は更に顔を赤くし、開いた口が塞がらなかった。 「もう無理!」 ガバッ……! 舞花は耐えきれなくなり、若菜を抱き締める。 「ま…!舞花殿…?!」 明継の心の臓は高鳴るどころか早くなる一方で、耳に熱が集まる。 (もう無理……この子可愛すぎるし、 ここに居たら明継さんへの気持ちが溢れちゃう…) 舞花はそのまま若菜を抱き上げ、書斎から飛び出した。 舞花は客間の前の廊下で座り込み、悶絶する。 「ま、舞花殿??」 明継は突然の事に驚き、目を丸くしていた。 ぎゅ…… 明継を抱く腕に力が籠る。 …ふ…… 舞花の吐息が、明継の耳元に掛かり…… 「…っ…!」 明継は胸を締め付ける。 「……いで…」 舞花は声を振り絞り、若菜に伝える。 「舞花殿、今なんて……」 「明継さんには言わないで…!」 舞花は身体を離し、面と向かって言った。 「こんな顔してたなんて知られたら私…… これから先、明継さんとまともに話せる自信が、ない……」 「……!」 真っ赤になったまま、舞花は俯いて若菜に言う。 「………。」 「………。」 (………舞花殿…) ドクン……ドクン…… 明継は高鳴る鼓動に抗えず…… そっ…… 無意識に、舞花の頬に触れる。 「……!」 舞花は驚き、若菜を見つめる。 (…なんで…) そんなに赤くなってるの…? 「………。」 (…その様なお顔をされると…平静でいられる訳がありません。) 明継は舞花の目を捉えて見つめる。 (なんだろう…この感じ…) 舞花は火照る顔の熱を感じながら、若菜を見て不思議に思う。 (この仕草……) まるで明継さんみたいな…… 「………。」 明継は、幾度となく女の“そういう顔”を見てきた。 気が無いのに、自身の事を顔で判断し、己のものにしようとする…そんな人間ばかりを見てきた。 (…違う……) 舞花殿のこの顔は…… 必死に自分の想いに蓋をし、隠そうとしている。 (他の者とは、違う……) だから、解ってしまう。 舞花が、自分の事を…… 男として好いてくれているのだと。 明継はふと思い出す。 (…そういえば、あの時……) 駿河の城で、舞花殿が夏紀姫に妙な酒を被された時、 舞花殿は明らかに様子がおかしかった。 顔を真っ赤にして必死で何かを隠す様に、けれど何か 言いたそうにもしていた。 (まさか……) あの時から……? それとも、もっと前から…… 「…若菜ちゃん?」 はっ…… 舞花の声を聞いて、明継は我に返る。 「ふふ…顔真っ赤。お姉ちゃんのが移っちゃったんだね。」 「あ……」 舞花は頬に添えた若菜の手を取り、優しく握る。 「…さっきの事は、内緒だよ?」 人差し指を口元に添えて、舞花は微笑んだ。 「……。」 明継は少し俯き…… 「解り…ました…」 と小さく了承するのであった。

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-一難去ってまた一難- すると、焦げたような匂いが舞花の鼻を掠める。 「…なんか焦げ臭くない?」 はっ…! 若菜は咄嗟に釜の方を見る。 先程つけた火が燃え広がり、釜から黒い煙が立ちのぼっていた。 「まずいです…!」 そう言って若菜は、傍らに置いてあった長い竹の棒を使い、 薪を転がす。 ゴロ…ガコッ… 次第に火は弱まり、若菜は手馴れたように新しい薪をくべる。 ガコッ…ガコッ… ふぅ…と若菜は額の汗を拭い一安心していると…… 「なんか若菜ちゃん、小さいのに手慣れてるよね?」 ドキィッ!! 「い、以前にも此処に来た時、叔父上に教えて頂いたのです…!」 頬杖をして若菜を見つめる舞花に対して、明継は うっかり慣れた手つきで動いてしまった事に動揺していた。 「ふーん…」 ポン…ポン… 「偉いね。若菜ちゃん。」 「……!」 そう言って、舞花は若菜の頭を撫でた。 (……この感じ…) 明継はふと、姉の事を思い出す。 『明継、もう此処も覚えたの? 偉いね。』 幼かった明継を姉が頭を愛でてくれたあの頃の感覚に、似ていた。 (……暫く思い出すこともなかったのに……) (舞花殿に姉上の名を呼ばれたからでしょうか…?) 「……? どうしたの、若菜ちゃん?」 舞花は小さく首を傾げて、微笑んでいた。 「…なんでもありません…。」 (やはり、貴女は……) 明継は胸の内がほっ…と温かくなった。 (どんな時でも私の心を救ってくださるのですね…) ガコッ…… 明継は薪を一つ、釜へ投げ入れた。 パチ…パチ… 釜の火が安定して暫く経った頃。 舞花は若菜に火の番を頼まれ、釜を見ていた。 (おっ風呂!お風呂〜!) (明継さんには悪いけど、入らせてもらうね。) 舞花は内心、明継に申し訳ないと思いながらも、 心底風呂に入れるのを楽しみにしていた。 タッタッタッ……! 「…お待たせしました…」 湯加減の様子を見に行っていた若菜は、 小さな足で舞花に駆け寄った。 「もう湯を張れましたので、何時でも入れます。」 「ありがとう若菜ちゃん。」 舞花は立ち上がり…… 「じゃあ、若菜ちゃん。」 「一緒に入ろうか。」 「……!!!?」 舞花の衝撃的な言葉に明継は目をまん丸に見開く。 「な、何故?!何故です?!」 明継は慌てて舞花に聞く。 「なんでって…そりゃ、そんなに小さいのに、 お風呂に入ったら危ないでしょ?」 「湯船も深いだろうし…」 舞花は腰に手を当て、若菜を見つめる。 悪気のない舞花に対して明継は恥ずかしくなり、 みるみると顔を赤くする。 「だ…駄目です!」 明継は耐えきれず、目を瞑って声を荒らげる。 「ダメなの?」 舞花は首を傾げる。 「いえ、その…一人で入れます!なので、問題はありませんっ!」 それだけは絶対にあってはならないと明継は死守しようとする。 「でも私、護衛として来てるから、何かあったら明継さんに 怒られちゃうよ…?」 (そうなんですけれど…!) 明継は拳を握り、苦し紛れに舞花に伝える。 「…兎にも角にも一人で平気ですから!」 「火の番もありますし、舞花殿は先に入ってください…!」 明継は舞花の腰を両手で押し、先に行くように促す。 「えー?本当に大丈夫なの?」 舞花は若菜を横目に、心配する。 「誠ですから…!お早く…!」 明継は必死に舞花を押す。 それなら…と舞花は折れて、広間へ着替えを取りに 立ち去っていった。 一人になった明継は頭を抱えてしゃがみ込む。 「…はぁぁぁ…」 深い溜息をつき、赤面した顔を何とか落ち着かせようとする。 (誠に、危うかったです…) 明継は手の甲で、口を覆い目を逸らした。 「………。」 明継は炎に包まれている薪を見つめた。 黄金色の瞳に、濡れた肌…… 頬はほんのり朱く、揺らぐ視線…… ふと、駿河の城の風呂の中で鉢合わせた舞花を 思い出してしまう。 キュ……ッ… 明継の心の臓が締め付けられる。 (あれは舞花殿が妖の姿だったからよかったものの……) 長い髪でほとんど肌が見えていなかった為、今となっては 少し遠い記憶に過ぎなかったが…… 明継は再び耳まで真っ赤になり、視線を揺らす。 (此度はそうはいきません…) 明継は両手で顔を覆い、深く溜息をついた。 舞花は客間に戻り、佐倉から渡された風呂敷を広げる。 シュル…… そこに入っていたのは、新しい白の半着と 漆黒の袴が綺麗に畳まれていた。 (五着も買ったのに、一着だけどこに行ったのかと思ったら…) 舞花は佐倉を思い、クスッと笑った。 「佐倉さんが持ってたんだ…」 佐倉は舞花の袴を五着の内、一着のみ自室に保管していた。 何かあった時の為なのか、それとも汚れた時の為かは 佐倉にしか解らない。 舞花は半着と袴を抱き締め、真新しい生地の香りを堪能する。 (……佐倉さん……) ぎゅ…… 舞花は佐倉を思い、生地を少し強く抱き締める。 「…行かなきゃ…。」 舞花は風呂敷に入っていた手拭いも手に取り、広間を後にした。 スッ…… パタン…… (そういえば…) 舞花はふと思う。 (私、若菜ちゃんからお風呂の場所聞くの忘れてた……) 舞花は苦笑いをしながら、風呂を探す。 「…位置的にこっちかな…?」 舞花はそっと戸棚を開ける。 ギ…… 「あ……」 舞花は肩に力が入り、固まる。 そこには…… 戦に赴く為の鎧が掛けられていた。 胴と肩と腕を護る為の漆黒の鎧に、脇には 額を護る鉄の八巻が掛けられていた。 「……。」 舞花は暫くそれを見据えると… ギ…… 静かに戸を締めた。 舞花はその隣の戸が無い入口に入っていく。 スッ…… その先の戸棚を開けると…… 温かい湯気に包まれた空間が広がっていた。 (…ここか…) 舞花は一安心し、若菜に声を投げる。 「若菜ちゃーん!居るー?」 「はい…!こちらに居ます…!」 舞花の声に反応した若菜は大きい声で返事をする。 「ありがとう!今から入るね〜!」 舞花は若菜にそう伝え、一度戸棚を締めた。 ザバァ……! 舞花は髪や身体を洗った後、湯に浸かる。 「ふぃ〜……」 身体の力がすぅっと抜け、思わず大きく息を吐く。 「ぁ……熱くはありませんか……?」 若菜の遠慮がちな声が聞こえる。 「ううん。丁度いいよ〜。ありがとう…。」 舞花は心地よさそうな声で、言葉を返す。 パシャ…… 「……。」 湯を肩に手繰り寄せ、舞花は先程の鎧を思い出す。 「……。」 (明継さんの鎧…久しぶりに見たな……) あぁして鎧だけを見ると… (ちょっと…怖いかも…) 舞花は口元まで湯に沈み、目を細める。 湯煙が舞花の頬を撫で、静かな時間が流れる。 (明継さんも、佐倉さんも…普段は優しいのに…) パシャ…… 舞花は両手で湯をすくい、見つめる。 ポタポタと指の隙間から零れ落ち、その音を聞きながら 舞花は小さく呟く。 「…戦なんか…なければいいのに……」 パチ…パチ…… フー……! 明継は長い竹筒で、微力ながら火に空気を送っていた。 「………。」 (舞花殿、先程何か云っておりましたけど…なんと 云うておられたのでしょうか……?) 「……」 「…〜〜♪」 小さな木格子の窓から、舞花の鼻歌が聞こえる。 「……ラララ〜…!ラララ…ラ、ラ〜ラララ……」 澄んだ声が明継の耳に届く。 穏やかなのにその声は、哀しみも含まれているようだった。 (…舞花殿の声は、落ち着きますね…) 明継は目を伏せ、ほんの少し舞花の歌に心を寄せていた。 「…ら…」 明継は直ぐにハッとして、手で口を覆う。 (今……) 歌おうとした……? 「……。」 明継は恥ずかしくなり、沈黙する。 それでも…… 耳だけは舞花の歌声を追い掛けていた。 風呂から出た舞花は若菜の元へ行き、火の番を代わる事にした。 タッ……! 「若菜ちゃん!」 「火の番、代わるよ。だから、入っておいで?」 顔を上げた若菜は…… 「…有難う御座います。」 立ち上がり、舞花に礼を言う。 「何かあったら言ってね?」 舞花はしゃがんで視線を合わせ、若菜に微笑む。 「解りました。では、往って参ります…。」 若菜は一礼をし、その場を後にした。 カラカラ…… 明継は戸を開け、湯煙の中へと歩き出す。 「……。」 桶を手に取り、湯をすくい…… ザバァ…… 頭から被った。 「……。」 明継は自身の手の平を見つめる。 元に戻る気配が一向に無い小さな手の平を見て、 明継は少し不安になっていた。 (……一晩だけで済むとよいのですが……) もしこのまま元に戻らなければ… その時は…… 明継はそうなったら、いよいよ舞花にも打ち明けなければ ならないと腹を決めるのであった。

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-舞花の任- そして今……… 「そういえば、明継さんは居る?」 「私、佐倉さんって言う人から護衛の任を任され… あ、お願いされてね?」 もうちょっと詳しく知りたいんだけど…と舞花は 再びしゃがみ、若菜に尋ねる。 「…えっと…」 (詳しく知りたいのは私も同じです…) 明継は戸惑いながら思った。 佐倉にはお鶴を連れて来てもらうはずだったのに、 何故か舞花が屋敷に来ている。その事に頭の整理が 追いつかなかったのだ。 (あの時、確かに私は舞花殿には見られたくないと 申し上げたはずなのに……) 「あ、あの……」 明継は視線を揺らしながら、舞花に尋ねる。 「お鶴さんは……」 「あ、お鶴さんね。」 「なんか腰痛めたんだって。」 「なんで痛めちゃったかは知らないんだけど、 佐倉さんがそう言ってたの。」 舞花は笑顔で若菜の問いに答えた。 「そう…でしたか…」 (それならそうと佐倉殿が伝えに来ればよろしかったのに…) 何故、舞花殿を連れて参ったのですか?! 『すまん。明継。』 遠くでうっすらと佐倉の顔が浮かび、声が聞こえた気がした。 「…?」 拳を握りしめ、俯いている若菜を見て舞花は首を傾げていた。 「ねぇねぇ、もしかして護衛してほしいのって 若菜ちゃんなのかな?」 舞花は笑顔で若菜に話し掛ける。 「明継さんも出てこないし、もしかしたらここで 一人でお留守番するから守ってほしいって事なのかもね!」 「……!」 (舞花殿……) 明継は舞花の笑顔に、目を奪われそうになる。 「そ…そうなのです…」 明継は声を振り絞り、ゆっくり話す。 「明…叔父上は私用で、帰りが遅くなるそうで… それでお鶴さんにとお願いしていたのです…。」 (ぐっ……己の事を叔父と云うのは、いささか苦しいもの ですね…) 明継は、一芝居打つことにしたのだった。 (声可愛い…) 「そうだったんだね?」 舞花は優しい声で、続ける。 「遅くなるって言ってたけど、何時くらいになりそう?」 「お姉ちゃん、今日は一晩泊まっていいよって 佐倉さんに言われたのね?」 「だから……」 「へ…!?」 若菜は驚き、声を上げる。 「どうしたの?」 舞花もつられて驚き目を見開く。 「……いえ、なんでもありません…。」 (佐倉殿?!これは一体どういう事なのですか!!) 童とはいえ、私は男ですよ?! それに何時、元の姿に戻るかも解らないというのに…… 明継は頭を抱える。 「あ、もしかして初めて聞いた感じ?」 舞花は若菜の挙動を見て、敢えて尋ねる。 「…はい…。」 「そっかそっか…。佐倉さん、肝心な事言わないから 困っちゃうよね。」 舞花は苦笑いしながら、そのまま話を続ける。 「私も道場って所で鍛錬してたら、突然佐倉さんが来てさ、 突然ここに連れて来られたからびっくりしちゃったよ。」 「明継さんの屋敷だって聞いたのも、着いてからだし。」 舞花はなんだか可笑しくなり、思い出し笑いをする。 「舞花殿も大変ですね…」 明継は独り言のように呟く。 「あれ、私名前言ったっけ?」 舞花は不思議そうに首を傾げる。 ギクゥ…! 「あ…いえ、叔父上から名だけは聞いていて…」 明継は咄嗟に思いついた事を言う。 「そうなんだ?」 舞花はなんの疑いもせず、微笑んだ。 (舞花殿、妙な所で鋭い…) 明継は内心焦っていた。 「と…とりあえず…立ち話もなんですし、中へどうぞ…」 明継はこのままでは嘘がバレてしまうのではないかと思い、 舞花を屋敷に上げることにした。 「え?いいの?」 舞花は少し驚いて若菜に尋ねる。 「えぇ。今は私しか居ないですから。」 そう言って明継は少し先を歩いた。 「えっと、じゃあお邪魔しますね?」 舞花はシューズを脱ぎ、屋敷へと足を踏み入れた。 若菜の小さな背中に案内され、舞花は一人 微笑ましく思っていた。 (背中小さい…) クス… (可愛いなぁ…) ふと、屋敷の中を見渡す。 廊下はよく磨かれ、障子や柱にも埃ひとつ見当たらない。 「……。」 (向こうの時代の家くらいの広さかと思ったけど…) 舞花は廊下を見て思う。 (思ったより広いんだな…) 「…こちら、客間になります。」 若菜は一度振り向き、襖を開ける。 スッ…… 「……!」 舞花は目を見開く。 畳には午後の日差しが柔らかく差し込み、新しい い草の香りが部屋いっぱいに広がっていた。 窓辺には小さな庭園があり、緑と花が風に揺れていた。 「…すごい…」 (旅館みたい…) 舞花は日当たりの良い広間に感動していた。 「狭いですが…」 若菜は遠慮気味に舞花に言う。 「そんな事ないよ?私、このくらいの広さが 丁度よくて好きだよ。」 (佐倉さんの所の部屋が広すぎるんだって…) 舞花は嬉しそうに笑って言った。 「…それは…」 「何よりです…」 若菜は少し嬉しくなり、微笑んだ。 「……!」 (笑った…!) バッ……! 舞花はしゃがんで視線を合わせる。 (めちゃくちゃ可愛い…!) (どうしよう…すっごく抱き締めたくなる〜!) 舞花は目を輝かせながら若菜を見つめた。 「あ、あの……」 (舞花殿…?) 明継は少したじろぐ。 「ううん!なんでもない!」 「とりあえず、荷物置かせてもらうね。」 そう言って舞花は広間の隅に、荷物を置いた。 「それと……」 舞花は先程より静かに若菜に尋ねる。 「明継さん居ないのに、これ聞くのもどうかと思うんだけど…」 少々落ち着かない様子で舞花は、視線を泳がす。 「…お風呂ってないかな…?」 「……!」 明継は驚いて目を見開く。 「あ、いや!ごめんね?」 「道場からそのままこっちに来たから、汗流す余裕がなくて…」 舞花は慌てて弁明する。 「しょ…!」 「少々お待ちください…! 今、薪をくべて参ります…!」 明継は小さな足音を立て、慌てて駆け出していった。 「え…!若菜ちゃん?!」 舞花は広間から顔を出し、若菜が向かった先を見つめる。 「…いっちゃった…」 誰も居なくなった廊下を舞花は呆然と見ていた。 -明継の心情- 「はぁ…!はぁ…!」 明継は屋敷の裏まで走り、膝と手を地面に着き、 息を切らしていた。 (ま…舞花殿が風呂に?!私の屋敷で?!) 明継は耳まで真っ赤にし大混乱に陥っていた。 ドクン……!ドクン……! 明継は心の臓を押さえ、悶絶していた。 (これは走ったから…!走ったからです…!) 明継は必死で息を整え、薪を釜に投げ入れる。 ガコッ…! カチッ!カチッ! 持ってきた火付け石で、薪に火を付けようとしていた時…… 「あー、居た居た!」 遠くの方で舞花は何気ない声で若菜を見つける。 「……!!」 動揺している明継を他所に、舞花は隣に座る。 「手伝うよ。」 舞花は笑顔で若菜に言う。 「あ…有難う御座います…」 明継は火照った顔を隠すように俯いたまま、礼を言った。 「これを入れればいいの?」 舞花は薪をひとつ手に取り、若菜に尋ねる。 「はい…。ですがその前に火をつけなければなりません…。」 カチッ!カチッ! 明継は火付け石を何度も打ち付ける。 (何時もなら直ぐに火種ができるというのに…) 幼児体型だからなのか上手く力が入らず、なかなか火がつかない。 「……。」 舞花は若菜の横顔を見つめていた。 (ライターとかあれば便利なのにな…) 「…ねぇ、私もやってみてもいい?」 舞花は笑顔で若菜に話し掛ける。 「……」 「…はい……」 明継はしょんぼりした顔で、舞花に火付け石を渡す。 (ふふ…可愛い……) 舞花は微笑ましい気持ちを抑え火付け石を受け取った。 カチッカチッ! 「確かこうやってやるんだよね?」 そう言って、舞花は見よう見まねで挑戦してみる。 「そうです。 ただ摩擦を起こすだけでなく、火の粉を作るように 素早く強くお願いします。」 「やってみるよ。」 舞花は何度も打ち付けた。 カチッ!カチッ…!カチッ! …ポワ… 火の粉が油枝に当たり、小さな火が灯される。 「…わ…!ついた!」 「火が消えぬうちに、他の枝にも灯してください。」 明継は焦る気持ちを抑え、舞花に静かに伝える。 「うん」 舞花は釜の手前に落ちている細い枝に火を灯す。 そして火のついた枝を今度は薪に移す。 パチ…パチ…… 火は徐々に燃え広がり、完全に薪に火が行き届いた。 「…やった…!」 舞花は燃え広がる炎を見つめ、感動していた。 「有難う御座います。お陰様で湯が沸かせます。」 若菜は一安心したように舞花に微笑んだ。 「ううん。こちらこそだよ。」 「私、石で火をつけるの初めてだからさ、やらせてもらえて 嬉しかったよ。」 舞花は若菜のお礼を受け取り、微笑み返した。 「舞花殿は普段どんなもので湯を沸かしておられるのですか?」 明継は、舞花が未来から来た事を知らないふりを しなけばならなかった為、敢えて尋ねる。 「んー、そうだね…」 「お湯を沸かすのも色々あるんだけどね、お風呂の場合だと…」 舞花は地面を見渡し、枝を見つけて絵を描く。 ザッ…ザッ…ザッ…… 「こんな風に、お風呂の壁にはこのくらいの大きさの 四角いものがあって…」 「これがスイッチって言って、ここを押すと温かいお湯が 出てきて…」 「………。」 明継は唖然としていた。 「それで、ここが追い焚きって言ってお湯が冷めたら 温かい熱が出てきて、暫くすると元の温かいお風呂になるの。」 「それで…」 舞花は温度調節ができる話もした上で、若菜に止められる。 「舞花殿、それは火は遣わないのですか?」 「え、うん。火は使ってないよ?」 舞花の発言は明継にとって相当衝撃的だった。 「…火を遣わず、どうやって湯を沸かすのです??」 「それは電……」 舞花は口を噤んだ。 (…流石にこれは言えないか…) 「内緒だよ!内緒!」 舞花は悪戯な笑顔で、人差し指を口元に添えた。

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-明継と若菜- 「…イ、インターホンなんてないよね…?」 舞花は取り敢えず、戸の周りを確認する。 (…開いてるのかな…?) 恐る恐る手を伸ばし、戸を開ける。 カラ…カラカラ…… 「……お、お邪魔しまーす……」 舞花は小声でゆっくりと屋敷に入っていった。 「…………。」 (ここが明継さんの家……) 舞花は玄関に佇み、辺りを見渡していた。 佐倉の屋敷と違い、少し狭い玄関に、クリーム色の土壁。 更に花瓶が壁に掛けられており、一輪の花が添えられていた。 (…明継さん…花を生けてるの?) 「…可愛い…」 舞花はその花を見つめ、聞こえないように静かに笑っていた。 タッタッタッ……! すると、遠くの方から足音が聞こえてきた。 「すみません、お鶴さん…!」 「少し部屋の掃除に手間取ってしまっ…て……」 (え……) 舞花は目を見開き驚いていた。 目の前に現れたのは…… 髪の長い五才くらいの…… 女の子だった。 「……!」 (舞花殿?!) 明継は驚き、視線を揺らす。 (どうして此処に…!お鶴さんは…) バッ……! 舞花はしゃがみ、視線を合わせる。 「可ん愛いぃぃぃ〜!!」 「……!」 明継は目を輝かせる舞花にギョッとする。 「ねぇねぇ!キミいくつ?何歳くらい?」 「明継さんの親戚かなんかかな?すごく似てるよね!」 「さっきお鶴さんって言ってたけど、知り合い?友達なの?!」 「それにしても、すんごく可愛いね! お名前は?」 舞花はスラスラと質問攻めをする。 明継はその圧に圧倒され…… 「わ…若菜……」 「若菜ちゃん!へー、名前まで可愛いね!よろしくね!」 舞花は立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。 (しまった…!) (思わず、姉上の名を…!) 明継は両手で口を塞ぐ。 (…それにしても…) 舞花は顎に手を添えて、若菜を見つめる。 「………。」 若菜は視線を揺らし、舞花を見上げる。 (…明継さんに似てる。) 舞花は袴姿の若菜をまじまじと見ていた。 はっ…… (もしかして…) 「隠し子……?」 舞花は両手で口を覆い、小声で呟いた。 (…舞花殿、心情がだだ漏れでございます……) 明継は内心苦笑いをした。 時は遡ること、数刻前…… 「御主、その姿…!」 佐倉は驚き、明継を見据える。 「……へ……?」 明継は間の抜けた声を出す。 (…今声が……) 幼い声に違和感を覚えた明継は、改めて佐倉を見る。 視線が低くなり、手を見ると…… 「……!」 小さくなった手を見て明継は驚いた。 「一体何が起こって……」 佐倉は唖然としながら呟いた。 「……!」 店の者が、明継の姿を見て驚く。 「明継様!明継様ですよね?!」 「え…えぇ…。」 明継は動揺を隠せず、少ない言葉で返す。 「こちら、お下げ致しますっ!それと……」 蕎麦が入った器を持ち、店の者は明継に耳打ちをする。 「お召し物がはだけております故、隠された方がよいかと…」 「…! 有難う御座います…」 明継は半着の襟元を持ち、肌を隠す。 暫くすると…… 店主が足早にやって来て、明継に深く頭を下げる。 「此度は誠に申し訳御座いません…!」 「これは一体どういう事か…」 佐倉は腕を組み、店主を見据える。 「はい…恐らく、縮茸かと思われます…」 「縮茸?」 佐倉は眉間に皺を寄せる。 「えぇ…縮茸は魔の國…いえ妖の國…でしょうか… そちらに生えておられるもので御座いまして……」 店主が言うには、その縮茸の胞子が風に乗り、彩の國の 椎茸についてしまうのだとか。 「本来であれば洗い流せば直ぐに落ちるのですが…… 稀にそれが染み付いて完全な縮茸になってしまうのです…」 そうなったとしても見分けがつかず、仕方なく摘んでいたと 店主は説明した。 「…毒では無いのだな?」 「はい。身体が縮むだけで害は一切御座いません。」 店主は申し訳ない面持ちで断言する。 「…そうか。そこまで云うのであれば、他の誰かが 同じ様な目に遭ったという事だな?」 「えぇ。左様に御座います。先程も申し上げました様に 害は一切無く、誰一人死んではおりませぬ。」 「……何時、元の姿に戻る。」 佐倉は店主を見据え、確認する。 「はっ……食べた量によりまちまちですが、 遅くても一晩かと……」 (…一晩か…) 佐倉は顎に手を添え、明継を見据える。 「相分かった。暫くはこの蕎麦を売るでないぞ。よいな?」 そう言って佐倉は立ち上がり、刀を腰に添わせる。 「はいっ!誠に申し訳ありません…! お代は結構に御座います。」 店主は再び頭を深く下げた。 そして、明継も立ち上がろうとする。 「待て明継。」 佐倉は即座に明継を止める。 「そのまま立ち上がったら、恥をかくのは御主ぞ。」 佐倉は大きさの合わない衣を見て、直ぐに気づいていた。 明継がそのまま立ち上がれば、袴はずり落ち、 ふんどし姿になってしまう事に。 (いや、ふんどしも危ういかもしれぬ…) 佐倉は慎重に明継を抱き抱える。 「屈辱かもしれぬが、耐えよ。」 「…はい…」 明継は不満気な顔をし、返事をした。 ザッ……ザッ…… 一先ず蕎麦屋を後にした佐倉と明継は、途方に暮れながら歩く。 「さて…これからどうしたものか…」 「…そうですね…これでは一人で何かするにも限りがあります。」 明継は顎に手を添えながら、考える。 「佐倉殿が宜しければ、お鶴さんをお借りできないでしょうか?」 「…お鶴を?」 「えぇ。あの方なら頼りになると思いますし…」 ふと明継は苦笑いし、言葉を続ける。 「…他の方にこの姿を見られると笑われそうです…」 「……それも、そうだな…。」 明継と佐倉は上を見上げ、想像する。 朝右衛門や谷口となると、腹を抱えて笑うだろう。 桂木だと先ず面倒すら見ない。 影義もこういう事には疎い。 (他と云えば…) 「桂木舞花は…」 佐倉はふと舞花の事をよぎり、明継に言ってみる。 「やめてください。 流石に舞花殿にこの様な姿を見られたくはありません…」 明継は即座に首を振った。 「…一先ず、着替えよ。安いものなら一式揃えてやる。」 そう言って佐倉は呉服屋へと入っていった。 佐倉は呉服屋の店主に、明継に合う大きさの半着と 袴があるか尋ねた。 「それでしたら…」 店主が持ってきたのは、漆黒にしっかりとした 質の良い生地の袴だった。 「店主よ。すまぬが、もっと安いもので頼む。」 それを聞いた店主は少々戸惑った。 「急な入用でな。一着あればよい。」 「…かしこまりました。」 店主は明継の足が隠れる程の袴姿を見て、ある程度察した。 明継は呉服屋で着替えをさせてもらい、店を出た。 「…それで…?」 明継は再び不満気な顔で佐倉に問う。 「何故いまだに抱き抱えるのです?! もう着替えも済んだのですから、歩けますよ?!」 佐倉はしっかりと明継を抱き抱え、歩いていた。 「…御主が童だからという理由だけではない。」 佐倉はきっぱりと言う。 「御主……」 明継に視線を向け、佐倉は思ったままの事を言った。 「どう見ても、女子にしか見えぬ。」 「…!」 明継は目をまん丸に見開き、そして…… ふい…! 「…一番云われたくない事を…」 そう言って顔を背けた。 ザッ…ザッ…… 「佐倉様ですわ…」 「今日も恐れ多くも、麗しいですね…」 「…おや?」 「小さい童を連れておられますね?」 「まぁ…!なんて愛らしい童なのでしょう…!」 「見た事は御座いませんが、可愛らしい童ですね…!」 「いやー、あれは美しい娘に成るに違いない…!」 ヒソヒソと町の人たちの声が、明継の耳に届く。 バシ……! 「下ろしてください…!」 明継は耐えられず、佐倉の顔に思いっきり手を押し当てる。 「やめろ、落ちるではないか!」 「では、せめて離れて抱き抱えてください!」 「無茶を云うでない…!」 「大体、私も男同士でこんなのは御免なのだ!」 佐倉は声を荒らげて、抵抗した。 その後なおも口論を続けて歩いていると、 いつの間にか明継の屋敷に辿り着いていた。 「…着いたな。」 「えぇ…。」 佐倉と明継は呆然とした顔で屋敷を見上げていた。

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-佐倉の動向- カラカラ…… 「……お帰りなさいませ。旦那様。」 小走りに玄関まで出迎えに来た小春に佐倉は、 少し優しい眼差しを向ける。 「あぁ。ただいま戻った。」 佐倉は履物を脱ぎ、小春に尋ねる。 「小春。お鶴はまだ居るか?」 「え…えぇ。ですが…」 小春は視線を揺らし、佐倉を「こちらへ」と広間へ案内する。 「あぁ……!旦那様…お帰りなさいませ…!あ痛たたた…!」 そこにはうつ伏せで寝ているお鶴の姿があった。 「…どうかしたのか?」 「お庭の手入れをしている最中に腰を痛めたらしく…」 小春はお鶴の傍らに座り、腰に手を添える。 「…旦那様…申し訳ありません…このお鶴、動けそうに ありません…」 お鶴は申し訳なさそうな顔をして、謝罪する。 (………。) 「…仕方無い。御主ももう年だ。安静にしておれ。」 「はいぃ……」 「…小春、もう暫く傍に居てやれ。」 佐倉は小春に視線を向け、伝える。 「はい…。あの、夕餉の方は…」 「すまぬが、後で食べる。」 「かしこまりました…。」 小春の返事を聞いた佐倉はそっと襖を締めた。 「………。」 (…どうする…) 佐倉は手で顔を覆い、考えた。 …スッ…… 「……。」 佐倉は一旦自室に戻り…… 暫くすると、部屋から出てきて再び小春とお鶴の居る 広間の前に立つ。 「…小春。」 「はい…旦那様…。」 スッ…… 襖が開かれる。 「少し出てくる。直ぐに戻る故、待っていて貰えぬか?」 「解りました…。」 「あぁ、それと……」 玄関へ向かおうとした佐倉は、直ぐに小春の方に向き直る。 「夕餉は私の分だけでよい。」 それだけ言うと佐倉は足早に玄関へと向かった。 「……旦那様…?」 小春は驚いた表情で、廊下を見ていた。 ダンッッ……!! 「ハイやぁ……!!」 舞花は道場で鍛錬をしていた。 「……っ…舞花殿、やはりお強いですな…!」 家臣をしている男は、昂る気持ちを舞花にぶつけているものの、 苦戦していた。 「へっへーん!まだまだ行くよ!」 バッ……! 滴る汗を流しながら舞花は笑顔で踏み込む。 パァァンッ!!! 「…メンッッ……!!」 舞花は一撃で男に面を打つ。 スッ……! 互いに竹刀を戻し、一礼をする。 「ありがとうございました…!」 舞花は笑顔を男に向ける。 「いやー、精が出ますな!舞花殿!」 「次は、私と一戦やりませぬか?」 「いやいや!私とやりましょうぞ!」 男たちは舞花との一戦の取り合いをしていた。 「あはは!順番ね!順番!」 舞花はそんな光景を見て、心の底から嬉しく思っていた。 「どの様に決めましょう?」 男の言葉に舞花はひらめく。 「じゃあさ…一列に並ぶのはどう? 私が一本取ったら、次の人に回すの。」 舞花は人差し指を立てて、男たちに話す。 「それは、名案で御座いますな!」 「面白そうではないですか!やりましょう!」 「でしょでしょ?やろう!」 舞花の笑顔を中心に皆が笑っていた。 「……!」 たまたま振り向いた一人の男が視界に入った人物に気づく。 「佐倉様……!!?」 バッ……!! その名を聞いた男たちは一斉に振り向く。 「久しいな。皆の者。」 「……!」 (佐倉さん…!どうしてここに?) 舞花も驚き、目を見開く。 サッ……!! 男たちは一斉に正座し、頭を垂れる。 「…よい。楽にしておれ。」 佐倉は皆に声を掛ける。 しかし男たちは、頭を下げたまま動かない。 「…今日は桂木舞花を借りに来た。御主らは、 鍛錬を続けておれ。」 「はっ……!!」 男たちは声を張り、微動だにしなかった。 「…ついて参れ。」 佐倉は舞花に視線を向け、それだけ言うと先に歩みを進めた。 「は…はい。」 舞花は驚きを隠せず、周りに居る男たちに目配りをしながら 一言伝える。 「皆、ごめんね!またやろうね!」 「………。」 (あ、これ答えられないやつだ…。) 舞花は男たちの反応を見て、直ぐに道場を後にした。 ザッ……! 舞花はシューズを履き、小走りに佐倉元に駆け寄る。 久しぶりに面と向かって声を掛けてもらえた嬉しさと、 何故今になって声を掛けたのだろうと思う気持ちが 入り交じったまま、佐倉の前に立った。 「佐倉さん…! 何か用があってここまで来てくれたんだよね?」 舞花は内心落ち着かない気持ちを必死で抑え、 笑顔で佐倉に尋ねる。 「………。」 佐倉は舞花を見据える。 「……」 「…今日は……」 口を開いた佐倉の目は、舞花をとらえていた。 「御主に、任を与えに参った。」 「……任…?」 「…そうだ。歩きながら話す。ついて来い。」 佐倉は表情を変えずに、先を歩いた。 「………。」 「……。」 舞花は佐倉を横目に見て思う。 (どうしよう…!めちゃくちゃ嬉しいんだけど…!) 舞花はにやけ顔を抑えながら、目を瞑る。 (佐倉さんが道場まで来てくれるなんて…! はぁ…!どうしよう…! 今度一緒に道場行くの誘ってみようかな!) あ、でもそうなると…… 舞花は先程の男たちの反応を思い出す。 (…あれじゃ、気軽に鍛錬できないよね……) 舞花は男たちの為に、佐倉を道場に誘うのを止めることにした。 「……御主には、ある者の護衛を任せたいのだ。」 長い沈黙の後、佐倉は口を開く。 「…護衛?」 「そうだ。取り敢えず、一晩でよい。」 「一晩…って…」 舞花はきょとんとした顔で佐倉を見つめる。 「…泊まり?」 「……着いたぞ。」 佐倉は足を止め、ある屋敷の前に止まる。 「…ここ?」 「あぁ。」 舞花から見ればその屋敷は、現代でいう少し広い 平屋くらいの大きさの屋敷だった。 「…少し狭いが、一晩であれば当人も承知するだろう。」 「本来であれば、お鶴を連れて来るつもりだったが… 腰を痛めてな。」 「代わりに、御主を連れて来たという訳だ…」 佐倉は腕を組み、屋敷を見つめたまま舞花に説明する。 (…私は、お鶴さんの代わり…) きゅ…… 舞花は視線を落とし、唇を結んだ。 「……ねぇ、佐倉さん……」 舞花は少し沈んだ声で佐倉を呼ぶ。 「…なんだ。」 「……」 「…私って……」 “もう、要らないの…?” 「……!」 佐倉は驚き、舞花を見る。 「………。」 舞花は泣きそうな顔で佐倉を見た。 (……。) スッ…… 佐倉は舞花に向き合う。 「云ったであろう。これは任だ。 一晩経てば、御主は屋敷に帰れる。」 「…それは、わかってるんだけど…」 舞花は視線を逸らす。 「……これは、御主の替えの衣と……」 佐倉はずっと手に持っていた風呂敷を舞花に渡す。 「…それから、これから逢う者にこれを渡せ。」 佐倉は少し大きめの巾着を風呂敷の上に置き…… 「あと…」 「ちょっと待ってよ…!」 舞花は少し怒り気味に佐倉を止める。 「勝手に話進めないで…」 「……。」 佐倉は落ち込む舞花を見据える。 (………。) “佐倉さん……!” 佐倉は先程の舞花の笑顔を思い出す。 「………。」 (どれだけこ奴の笑った顔を見ていないのだろうか…) だが…… (…こ奴に近づけば……) また……あの時の様に…… 佐倉はジョンに斬られた舞花を思い出す。 「……。」 「……。」 二人は見つめ合う。 「……。」 スッ…… 佐倉は…… 舞花の頬に触れた。 「……!」 「…泣くな。」 佐倉は涙など流していない舞花の目元をなぞる。 (…佐倉さん…?) 舞花の視線は揺らぐ。 佐倉は頬から手を離し、自身の懐に手を入れ、巾着を出す。 チャリ…… 「これは前払いだ。好きに遣え。」 そう言って佐倉は立ち去ろうとする。 「ちょっ…!ちょっと待って、佐倉さん!」 「ここの家の人の名前って……!」 舞花は慌てて尋ねる。 佐倉は立ち止まり、振り返る。 「……明継の屋敷だ。」 それだけ言うと佐倉は屋敷へと帰っていった。 舞花は一人取り残され、呆然としていた。 「…佐倉さん…」 舞花は佐倉が触れた自身の頬に触れる。 (…手、震えてた…) 私…もしかして言い過ぎちゃったのかな… (要らないのかなって思ったんだけど…) 「本当は、そうじゃない…?」 舞花は、自身の頬を撫でる。 「………。」 (…ていうか…) 舞花は我に返り、屋敷を見つめる。 (ここって明継さん家?!) 「え!?…どうしよう…汗臭いよね…!」 「わー、どうしよう…今更屋敷に戻れないし…!」 舞花は頭を抱えた。 (あれ、でもなんで明継さん家?) 舞花は再び疑問に思う。 「…護衛って明継さんを守れって事? …なんで?」 舞花には意味がわからなかった。 (でも一応、仕事任された訳だし…) 「い…行きますか……」 (…まさか好きな人の家に行く事になるなんて思わなかった…) 舞花はドキドキと不安で屋敷の戸の前まで歩み寄った。

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-二人の日常- 二日後…… 未の刻。午後十三時頃。 「…小春。」 佐倉はお鶴と共に庭の手入れをしている小春に声を掛ける。 「はい。旦那様。」 小春は手を止め、佐倉と向き合う。 「…これから外に出てくる。今日の夕餉は少な目に 頼みたいのだが…」 その言葉を聞いた小春は、直ぐに佐倉の意図を汲み取り 「かしこまりました。お気をつけていってらっしゃいませ…。」 ゆっくりと顔を伏せた。 「あぁ。往って参る。」 佐倉は目を伏せ、屋敷を後にした。 ザッ…ザッ…… 佐倉は屋敷の門を潜り抜けると…… 「御久しぶりで御座います。佐倉殿。」 先に待っていた明継がにこやかに声を掛けた。 「あぁ…御主が文をよこした時、少しばかり驚いたぞ。」 佐倉は昨日、珍しく自分の元に文が届いた事に少し意外に 思いながら中を見た。 カサ…… 『二人きりで話しとう事が御座います。明日、羊の刻にて 御迎えに上がります故、何卒宜しくお願い申し上げます。』 「…して、話したい事とは…」 佐倉は腕を組んだまま、尋ねる。 「それよりも先ずは……」 明継は…… 「蕎麦でも食べに往きましょう。」 人差し指を立て、微笑み返した。 暫く歩いた佐倉と明継は蕎麦屋の暖簾を潜る。 「いらっしゃいませー!」 店の者の声が響く。 「…! 佐倉様と明継様ではないですか! いらっしゃいませ!」 佐倉たちの姿に店主が気づき、声を掛ける。 「久しいな。店主よ。」 佐倉は少し微笑み、言葉を返す。 「久しいなんてものじゃないですよ〜! もう暫く来なくて寂しかったんですから…ささ!立ち話も なんですし、お座りくださいっ!」 「かたじけない。」 佐倉たちはお座敷に向かい、刀を置き座る。 「そういえば、駿河からお戻りになってだいぶ経ちますが… 何をしに往ったのですか?」 店主は気さくに尋ねる。 「まぁ、色々だ。」 佐倉は出された茶を一口呑む。 「そぉですか。駿河の海は美しいと聞いております故、 何時か見てみたいと思うのですよ。」 店主は微笑みながら、駿河の海を夢見ていた。 「…駿河へは三、四日掛かるが…歩きだともっと掛かるぞ。」 「なんと!そうで御座いましたか…有難う御座います。 それは妻と話してみます。」 「往けるとよいな。」 佐倉は店主に笑いかける。 「はい…おっと、長話が過ぎました…! 失礼。私は蕎麦を打たねばなりませぬ故、お決まりになり ましたら、他の者にお声掛けください。」 「あぁ。わざわざすまぬな。」 店主は一礼をして、店の奥へと消えた。 「…して、文まで送ってまで私を呼びつける程の話とは… 一体なんだ。」 佐倉は腕を組んで明継を見つめる。 「大した事ではありません。」 明継はそう言ってから茶を一口呑む。 「…文を送ったのは、舞花殿がついて往くと云うのではないかと 思いまして…」 明継は敢えて知らないふりをして言う。 (…あ奴なら、有り得るな…) 佐倉は息をつき、舞花の顔を思い浮かべる。 だが…… (今のあ奴がそう云うかは、解らぬが…) 目を伏せ、茶を呑む。 「それにまだ右肩が痛むので、飯を作るのも一苦労なのです。」 明継は駿河で怪我をした右肩を抑え、困った顔をして言う。 「…嘘をつくでない。駿河から戻って何日が経って おるというのだ。」 佐倉は腕を組んだまま明継を睨む。 「まぁ、そんな怖い顔をせずに……すみませーん!」 明継は店の者にざる蕎麦と椎茸蕎麦を頼む。 「椎茸蕎麦は温かいものしかなく、少しお待たせして しまいますが…」 「構いませんよ?」 明継は店の者に優しく微笑み返す。 「…かしこまりました。では失礼致します。」 店の者は一礼をし、店の奥へと立ち去る。 「……赤みが引いたのは確かですが、痛むのは嘘では ありませんよ。」 そう言って、明継は茶を呑んだ。 「………。」 (…それなら、仕方無い…。) 佐倉は目を伏せ、明継の雑談に付き合う事にした。 「しかし、駿河では色々ありましたね…」 「まったくだ。」 佐倉は目を細め、明継を見る。 「その中に、御主の事も含まれておるがな……」 「その節は、申し訳ありませんでした…」 明継は苦笑いして佐倉を見る。 「あれには私も肝を冷やしたぞ。」 そう言って、佐倉は茶を一口呑む。 明継は苦笑いのまま、口を開こうとするも…… 「お待たせ致しました〜。ざる蕎麦に御座います。」 店の者に遮られてしまう。 そのざる蕎麦は佐倉の前に置かれる。 「…久方振りに来たのに、よく解ったな。」 内心少し驚いた佐倉は明継に言う。 「えぇ。貴方は“ざる”か“かけ”しか召し上がりませんから。」 明継の言葉を聞きながら、佐倉は箸を割る。 ズズ…… 「………美味いな。」 佐倉は蕎麦を啜った後、静かに呟いた。 ズズ…… 蕎麦を啜っている佐倉を見ながら 「…それで…」 明継は口を開く。 「舞花殿とは最近どうなのですか?」 「……!」 佐倉の瞼が少しだけ見開く。 「………。」 「………。」 「……あ奴とは特段何も無いが…」 「…舞花殿から聞きましたよ?」 それは、一昨日の道場での帰りの道中…… 「……舞花殿…」 「んー、何?」 隣を歩く舞花に明継は一つ尋ねる。 「…佐倉殿と何かありました?」 「……!」 「あ…いや、別に何もないよ?」 舞花はなんでもないように笑って誤魔化そうとする。 「………。」 明継が黙っていると…… 「………」 「…実は、ね……」 舞花は明継の沈黙に耐えられず、正直に話すことにした。 「…こちらに戻ってから、まともに話していないそうじゃ ないですか?」 「それに毎朝、朝餉を食べ終えたら直ぐに何処かに 往ってしまうとも聞きましたね……」 「まさか…小春殿以外に…」 「やめろ。誤解を生む様な事を云うでない。」 佐倉は最後の言葉は聞き捨てならないと思い、即座に否定する。 「ふふ……では何故、舞花殿を避けておられるので? じん殿の事でまだ喧嘩をされているにしては、長過ぎませんか?」 明継の目には、舞花の態度を見る限り、もうその事について 怒りがある様には見えなかった。 寧ろ逆で、戸惑い、寂しそうにしている様に見えたのだ。 「………朝餉の後、出ているのは…」 佐倉は軽く咳払いをし、淡々と話す。 「弟子の鍛錬に付き合っているのだ。」 「ほぅ、弟子…ですか?」 明継は意外な返答に少し驚きながらも、首を傾げる。 「何時、弟子なんて取られたのです?」 「駿河から戻った次の日だ。」 佐倉は茶を啜り、目を伏せる。 「…それは舞花殿には…?」 「云うておらぬ。小春は知っておるが…。」 ズズ…… 佐倉は蕎麦を啜る。 (それは…) 「流石にそれは、お伝えした方がよいのでは?」 明継は舞花の事を少し不憫に思った。 「…何故だ?」 「いやいや、考えてもみてくださいよ。 毎朝何も言わずに屋敷を出ていかれたら、 舞花殿でも自分が居るから屋敷に居たくないのではと 思ってしまいますよ…」 (まぁこれは、舞花殿が云うていた事ですけれど…) 明継は舞花の言葉を敢えてそのまま佐倉に伝える事にした。 「お待たせ致しました〜!椎茸蕎麦で御座いますっ。」 「…有難う御座います。」 店の者が、明継が頼んだ蕎麦を置いて 「では、ごゆるりとお過ごしください。」 と言って立ち去っていった。 「……。」 佐倉は腕を組み、顎に手を添えて考える。 (…確かにそうだが…) 「…よいのだ。このままで。」 佐倉は目を伏せ、決意を曲げなかった。 「…何故です?」 明継は、まだ熱い蕎麦を冷ましながら尋ねる。 「今は思う所もあるだろうが、時が経てばそのうち慣れる。」 「………。」 ズズ…… 明継は蕎麦を啜り、佐倉を見る。 「…もしや佐倉殿…」 「舞花殿が死んだ事を引きずっていらっしゃる…?」 首を傾げる明継に対して佐倉は…… 「………。」 目を細め、逸らした。 「御自分を責めておられるのでは…」 「それ以上云うな。」 佐倉は明継に視線を戻し、真剣な眼差しで言う。 「殿にも云ったが、あれは私の責だ。 己を責めるのと、責を背負う事は全くの別物だ。」 「…あ奴には、もうあの様な思いはさせとうないのよ。」 そう言って、佐倉は蕎麦を啜った。 目を伏せた向こう側には、舞花の笑顔が映っていた。 「………。」 明継は佐倉の最後の一言で、何も言えなくなった。 佐倉がどんな思いで、舞花を避けているのか理解できてしまったからだ。 ズズ…… 蕎麦を啜り、椎茸を口にする。 (私が佐倉殿だったら、もしかすると…) 同じ事をしていたやもしれません…。 (しかし…) 「…舞花殿…お辛そうでした…」 明継は独り言のように呟く。 「それでも笑っておられるので、居た堪れない気持ちに なります…」 そんな明継を見た佐倉は…… 「……御主もその内、慣れる。」 目を伏せ、静かに言った。 明継はぐっと堪えるしかなかった。 佐倉が己が告げた事は必ず守る男だと知っているからだ。 「……。」 椎茸を口にし、悶々とする。 だが、明継の中でこれだけは伝えたいと思った事があった。 「…佐倉殿、私は━━━」 (…おや……?) 視界が急にグラついた。 「……!」 「御主、その姿…!」 「……へ……?」 明継は間の抜けた声を出す。

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