左利き
私の好きな人は、左利きだった。
中3の秋、受験勉強真っ只中。
初めて入った塾で、青いパーカーを着ていた貴方に恋をした。
容姿がタイプというわけではないし、喋ったこともなく性格も知らなかった。
だけど何故か私は、一瞬のうちに貴方に心奪われてしまった。
いつもは私の右斜め前の席、月に一度だけ左隣の席の時がある。
隣の席になって気づいた、貴方が左利きだったことに。
貴方が左利きでよかったと心から思った。
右利きの私と左利きの貴方が隣り合った時、テスト用紙をおさえている腕が軽く触れ合う。
意識してしまって自分の腕を見ると、貴方の腕との間に隙間はなかった。
なぜかそれだけで恥ずかしくなり、腕を動かそうか迷って横目で貴方を見ても、何も気にしていないようだった。
気にしていないのだろうか。気づいていないのだろうか。
貴方が左手でシャーペンを走らせるたび、貴方の右腕が軽く揺れ、私の腕に当たる。
ただそれだけで嬉しくて、ずっと隣がいいだなんて思ってしまって。
紙をおさえる必要がない時にでも、私がずっと左腕でおさえている理由。
貴方にはわかるだろうか。きっとわからないだろうな。
ふいに“〇〇さん”と貴方に呼ばれた。
見た目と少しだけギャップのある、低い声。
要件はなんてことない、私が落としたシャーペンを貴方が拾って渡してくれた。
左利きの貴方は、右側に落とされたシャーペンですら左手で取り、左手で私に渡した。
右手ではなく、左手で渡すことによって私と貴方の距離が近づく。
それがとても心地よかった。
絶対右手で拾った方がやりやすいのにな、とは思ったけれどそれは言わない。
“ありがとう”
私は左隣の貴方から右手でシャーペンを受け取った。
貴方と違って、わざとだけれど。
そうすると、距離が近づくと貴方から知ったから。
なぜかこの日は、受験勉強の進み具合が悪かった。
塾に入って数ヶ月、だんだんとわかってきた貴方のこと。
私よりほんのちょっと背が高くて、私よりほんのちょっと頭が悪い。
少し真面目で、男子の中で誰1人としてやってこなかった課題を、貴方だけはやっていた。
字がまあまあ汚くて、貴方が書く“や”と“か”の違いがわからない。
全部全部、愛おしくなった。
そして月に一回、特別な日、貴方が左利きでよかったと心から思う日。
相変わらず会話はほぼないけれど、最初の頃より話す回数は増えてきた。
1日に一回、会話するかどうかだけれど。
それでも私は嬉しかった。
そしてあと一つ、気づいたこと。
私が何よりも嬉しくなって、期待してしまったこと。
特別な日ではない、普通の日。
貴方が私の右斜め前の席の日。
貴方がシャーペンを握る手は、右手だった。