桜井優斗【守護の拳】

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桜井優斗【守護の拳】

小説『守護の拳 ― 天照心陽流合気術 ―』 東京 冬の夜。 ごく普通のOL、笹峰優子。 優しく、控えめで、どこにでもいる普通の女性だった。 しかし、彼女には誰にも知られていない力があった。 【天照心陽流合気術】 「守るために、今、目覚める。」 ある夜、優子の身に迫る危機。 その瞬間、眠っていた力が目を覚ます。 そして彼女の前に現れたのは、武禅流拳法を極めた男――一条寺蓮。 力でねじ伏せるのではない。 「本当の強さとは、誰かを倒すことじゃない。誰かを守れることだ」 やがて二人は、巨大な闇の組織と、その裏で蠢く陰謀に巻き込まれていく。 愛する人を守るため。 自分自身を守るため。 そして――失いたくないものを守るため。 雪の降る東京を舞台に、今、二人の戦いが始まる。 優しさは、弱さではない。 守るという意志こそが、人を最も強くする。 愛と正義と、そして一撃。 『守護の拳』

二話 【氷刃の蓮】(ひょうじんのれん)

2話 【氷刃の蓮】(ひょうじんのれん) 一条寺蓮、16歳。 かつての彼は―― 「勝つためなら、手段を選ばない」 そんな信念を掲げる空手家だった。 極限空手・初段。 実戦を重視し、相手を制圧することに特化した超実戦空手。その厳しい稽古を積み重ねた蓮は、同年代の選手たちを圧倒する実力を身につけていた。 だが、彼の強さは、単に技術や身体能力に恵まれていたからではない。 相手の動きを観察し、わずかな変化も見逃さない。 踏み込む瞬間の重心の揺れ。 攻撃に移る直前の肩の動き。 呼吸が乱れたときに生まれる、一瞬の隙。 蓮は、それらを本能的なまでに見抜いていた。 そして、見つけた隙を決して逃さない。 相手が体勢を崩せば、容赦なく追撃する。 怯めば、さらに圧力をかける。 立ち上がろうとすれば、その意志をへし折るかのように攻め立てる。 時には、反則と判定されてもおかしくない際どい攻撃さえ繰り出した。 勝つために必要だと判断すれば、躊躇しなかった。 試合場に立つ蓮は、まるで感情を持たない機械のようだった。 相手がどれほど苦しそうな表情を浮かべても、手を緩めない。 勝敗が決した瞬間でさえ、喜びを爆発させることはなかった。 ただ静かに相手を見下ろし、審判の宣告を待つ。 勝者、一条寺蓮。 その名が告げられるたび、観客席から歓声が沸き起こった。 若干十六歳にして、数々の大会を制覇する少年。 その圧倒的な実力に、観客は熱狂した。 一方で、対戦した選手たちは複雑な感情を抱いていた。 強い。 それは間違いない。 だが、もう二度と戦いたくない。 勝負に対する執念も、相手を追い詰める冷徹さも、同年代の選手とは一線を画していた。 勝利を称賛する声の陰で、そんな囁きが広がっていった。 やがて、人々は彼をこう呼ぶようになる。 【氷刃の蓮】 氷のように冷たい心。 そして、触れたものを容赦なく切り裂く刃。 その異名には、称賛と同時に、畏れと警戒が込められていた。 だが―― 蓮は、周囲の評価など気にしていなかった。 誰にどう思われようと、関係ない。 勝てばいい。 勝ち続ければいい。 それだけだった。 いや。 そう考えることでしか、自分を保てなかったのかもしれない。      蓮が空手を始めたのは、強くなりたかったからだ。 正確に言えば 二度と、弱い自分に戻りたくなかったからだった。 幼い頃の蓮は、いじめられていた。 理由など、今となっては些細なことだったのかもしれない。 身体が小さかったこと。 気が弱く、言い返すことができなかったこと。 一度反抗すれば、次はもっとひどい目に遭う。 そんな恐怖から、相手の顔色を窺い、ただ耐えることしかできなかった。 周囲から笑われても、黙っていた。 理不尽な扱いを受けても、抵抗できなかった。 助けを求めることさえ、いつしか諦めていた。 誰かが助けてくれる。 いつか、状況が変わる。 そんな淡い期待は、何度も裏切られた。 そして、あるとき気づいた。 誰も助けてくれないのなら、自分で何とかするしかない。 弱いままでは、何も変わらない。 強くならなければ、また同じことが繰り返される。 その思いが、蓮を空手へと向かわせた。 初めて拳を握った日。 初めて相手の攻撃を受け止めた日。 初めて、自分の力で相手を退けた日。 蓮は知った。 力があれば、恐怖を遠ざけられる。 力があれば、誰かに一方的に踏みにじられることもない。 それまで自分を支配していた恐怖が、少しずつ形を変えていった。 やがて蓮は、強くなった。 技を磨き、身体を鍛え、誰よりも厳しい稽古を自分に課した。 負ければ、悔しさを忘れないために敗因を分析した。 勝っても、決して満足しなかった。 次の相手は、もっと強いかもしれない。 次の試合では、負けるかもしれない。 その不安を打ち消すため、蓮はさらに鍛錬を重ねた。 だが、いつしか目的と手段が入れ替わっていた。 強くなることは、もはや自分を守るためだけのものではなかった。 負けないこと。 敗北を経験しないこと。 誰にも、自分を弱者だと思わせないこと。 それらが、何よりも重要になっていた。 蓮にとって、敗北とは単なる試合結果ではなかった。 負ければ、すべてを失う。 負ければ、またあの頃に戻ってしまう。 誰にも抵抗できず、誰にも助けてもらえず、ただ理不尽に耐えるしかなかった自分に。 そんな恐怖が、彼の心の奥底にこびりついていた。 だからこそ、蓮は自分にも他人にも容赦しなかった。 相手の弱点を突くことに、ためらいはない。 勝負に情けを持ち込むこともない。 反則すれすれの攻撃であろうと、勝利につながるなら構わない。 彼は、そう信じていた。 「空手は、本来……敵を倒すための術だろ」 誰かに教え込まれたわけでもない。 それは、蓮自身が過去の経験から導き出した結論だった。 「礼節だの、しきたりだの、ルールだの……そんなものは、弱い奴らの言い訳だ」 口にするたび、その言葉は彼自身の心を強く縛りつけていった。 礼節を重んじる者は、甘い。 相手を思いやる者は、隙を見せる。 情けをかける者は、いずれ足元をすくわれる。 そう考えれば、迷わずに済んだ。 相手を傷つけても、罪悪感を抱かずに済んだ。 自分が何のために戦っているのか、考えずに済んだ。 そして、蓮は心の中で繰り返す。 「俺は――あの地獄から生還したんだ」 それが、当時の蓮の信念だった。 いや。 信念というより、二度と過去に引き戻されないための、必死の叫びだったのかもしれない。      だが、強くなるにつれて、蓮の周囲から人が消えていった。 最初は、ほんの些細な変化だった。 稽古の合間に交わされていた雑談が、少なくなった。 以前なら気軽に声をかけてきた仲間たちが、蓮の姿を見ると、どこか遠慮がちに会釈するだけになった。 組手の相手を頼んでも、誰かが別の相手を探し始める。 試合で勝利すれば、表向きは称賛された。 「さすがだな」 「やっぱり、お前は強いよ」 そんな言葉は聞こえてくる。 しかし、その声には以前のような親しみがなかった。 誰もが、蓮の実力を認めていた。 だが、誰もが彼の隣にいたいと思っているわけではなかった。 ある日の稽古後。 蓮は道場の隅で、数人の仲間が話しているのを耳にした。 「次の大会、蓮と当たったら嫌だな」 「まあ、勝てないだろ。強いのは認めるけどさ……」 「そういうことじゃないんだよ」 一人が声を潜めた。 「勝つためなら、こっちが壊れるまでやってきそうじゃん。あいつと組手すると、稽古なのに全然気が抜けないんだよ」 短い沈黙。 「……正直、怖いんだよな」 蓮は、その場から動かなかった。 聞こえていないふりをして、帯を締め直す。 胸の奥に、かすかな痛みが走った。 だが、すぐに打ち消した。 怖い? それなら、近づかなければいい。 馴れ合いなど必要ない。 仲間がいなくても、勝つことはできる。 そう自分に言い聞かせた。 実際、蓮はそれまで一人でも戦ってきた。 誰かに励まされなくても、誰かに認められなくても、稽古を続けることはできる。 そう思っていた。 けれど―― 誰もいない道場で一人、拳を握るとき。 試合に勝った帰り道、誰とも言葉を交わさず駅へ向かうとき。 ふとした瞬間に、胸の奥に何かが引っかかった。 勝利を報告する相手がいない。 悔しさを分かち合う相手もいない。 次の試合について語り合う相手さえいない。 それでも蓮は、誰かに声をかけようとはしなかった。 自分から歩み寄ることは、負けることに似ている気がした。 本音を見せれば、弱みを握られる。 寂しいと認めれば、自分が弱い人間だったと認めることになる。 それだけは、耐えられなかった。 蓮は、孤独を選んだのではない。 孤独以外の生き方を、知らなかったのだ。    ある冬の夜。 大会で優勝した日のことだった。 最後の試合は、決して楽なものではなかった。 相手は蓮の攻撃を何度も受け止め、最後まで前へ出てきた。 一瞬でも気を抜けば、逆転される。 そう感じるほどの相手だった。 試合の終盤、相手の呼吸が乱れ、構えがわずかに下がった。 蓮は、その隙を見逃さなかった。 鋭い踏み込み。 相手の防御をかいくぐる一撃。 そして、床へ崩れ落ちる相手。 審判の声が響いた。 勝者、一条寺蓮。 会場を揺るがす歓声。 観客席から注がれる視線。 表彰台で掲げられる優勝トロフィー。 誰もが、蓮の強さを称えていた。 それなのに。 彼の心は、驚くほど静かだった。 嬉しくないわけではない。 悔しさも、焦りもない。 ただ、何も感じない。 いや、正確には、何かを感じる前に、次のことを考えていた。 次は誰と戦うのか。 どこを鍛えれば、もっと強くなれるのか。 今日の試合で、まだ足りなかった部分はどこか。 勝利の余韻に浸る間もなく、頭の中では次の戦いが始まっていた。 その夜。 蓮は一人、薄暗い道場に残っていた。 窓の外では、冬の風が木々を揺らしている。 冷え切った床。 消えかけた照明。 壁に掛けられた賞状と、棚に並ぶトロフィー。 そのどれもが、彼の努力の証だった。 積み重ねてきた鍛錬。 流した汗。 耐えてきた痛み。 そして、手に入れた勝利。 すべてが、そこにある。 それなのに。 蓮は、胸の奥に広がる空白を埋めることができなかった。 「……これで、いいのか?」 ぽつりと呟いた。 声は、誰もいない道場に吸い込まれていく。 返事はない。 蓮は窓の外へ視線を向けた。 暗い夜道を、親子連れが歩いていた。 父親が子どもの手を引き、何かを話している。 子どもが笑う。 父親も笑う。 それだけの光景だった。 特別なものなど、何もない。 だが、蓮はしばらく、その姿を目で追っていた。 自分にも、あんなふうに笑っていた時期があったのだろうか。 何も考えず、誰かを信じて。 負けることを恐れず、明日を迎えられた時期が。 記憶をたどろうとしても、はっきりとは思い出せなかった。 いつからだろう。 勝たなければならないと思うようになったのは。 負けることを、死ぬことと同じように恐れるようになったのは。 そして―― 強くなればなるほど、自分の周囲から人がいなくなっていったのは。 蓮は、ゆっくりと視線を落とした。 そこには、自分の拳があった。 何度も握りしめてきた拳。 何度も相手を打ち倒してきた拳。 かつて、弱い自分を守るために握った拳。 その拳のおかげで、蓮は変わることができた。 もう、誰かに一方的に踏みにじられることはない。 恐怖に震えながら、ただ耐えるだけの自分ではない。 それは、間違いなく彼が手に入れたものだった。 だが、その代わりに何を失ったのだろう。 相手を倒すことだけを考え、勝つことだけを追い求めてきた。 その結果、確かに強くなった。 誰もが認める実力を手に入れた。 しかし、勝利を重ねるたびに、何かが遠ざかっていった。 信頼。 友情。 そして、自分自身の心さえも。 「この拳は……」 蓮は、握った拳を見つめた。 「ただ、人を倒すためにあるのか?」 答えはなかった。 空手とは何なのか。 強さとは何なのか。 勝つことだけを追い続ける人生に、何の意味があるのか。 これまで一度も、真剣に考えたことのない問いだった。 考える必要などないと思っていた。 強ければいい。 負けなければいい。 そう信じていれば、過去の恐怖に怯えずに済んだのだから。 けれど今、その信念が、ほんのわずかに揺らいでいた。 蓮は、ゆっくりと拳を開いた。 手のひらには、稽古でできた硬いマメがある。 何度も擦りむき、何度も痛みに耐え、鍛え上げてきた手だった。 その手を見つめながら、蓮は思った。 もし、この拳に別の使い道があるとしたら。 もし、強さが、誰かを倒すこと以外にも意味を持つのだとしたら。 自分は、それを知ることができるのだろうか。 すぐに答えは出なかった。 長年信じてきたものを、たった一晩で捨てられるはずもない。 それでも。 胸の奥に生まれた小さな疑問は、消えなかった。 冷たい冬の夜。 誰もいない道場で、蓮はしばらく拳を見つめ続けていた。 氷のように冷たく、刃のように鋭い男。 人々がそう呼ぶ少年の心に、その夜、初めて小さな亀裂が生まれた。 それは、まだ光と呼べるほどのものではなかった。 ただ、これまで疑うことさえなかった自分の信念に、初めて生まれた疑問だった。 だが―― その小さな疑問こそが、やがて彼の人生を大きく変えることになる。 勝つためだけに握ってきた拳。 その拳が、本当の意味で強さを知る日は、まだ遠い。 つづく 【本作に登場する人物・国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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二話 【氷刃の蓮】(ひょうじんのれん)

【六章】1話 一条寺蓮の過去

【6章】1話 一条寺蓮の過去 久しぶりに、蓮と優子は「BARオールドクロウ」を訪れた。 重厚な扉を押し開ける。 すると、店内を満たす琥珀色の灯りが、二人を柔らかく包み込んだ。 しかし―― 今日は、マスター・鴉羽大地の姿がない。 カウンターの隣の席には、マスターと同年代と思われる紳士的な男性と、三十代ほどの美しい女性が座っていた。 男性が嗜んでいるのは、バーボン・ウイスキー「オールドクロウ」。 この店の名前と同じ銘柄を、ロックで静かに味わっている。 一方、女性はビジネススーツ姿。 その手には、真紅のカクテルが入ったグラス。 「カクテルの女王」とも称されるマンハッタンだった。 どちらも、思わず目を引く美男美女だ。 蓮は、ついつい女性の仕草に見惚れてしまう。 すると―― 隣にいた優子から、鋭い視線が飛んできた。 「……蓮?」 「え?」 慌てて視線を逸らす蓮。 そんな二人の様子を、カウンターの内側から眺めていた女性が、クスッと笑った。 手際よくグラスを磨いていたのは、蓮の実姉―― 【鴉羽由美子・35歳】だった。 「姉さん、久しぶり」 「あら、蓮。久しぶり……」 由美子は蓮の隣にいる優子へ視線を向ける。 「で、その隣の可愛い子は?」 「あっ、そうか。初めてだったね」 蓮は少し照れながら紹介する。 「今、付き合っている笹峰優子さん」 「は、はじめまして……笹峰優子です」 優子が丁寧に頭を下げる。 「まあ……。こんな弟だけど、よろしくね」 由美子は、控えめに会釈する優子を見て、柔らかく微笑んだ。 「お姉さん……?」 優子が小声で尋ねる。 「そう。俺の六つ上の姉さん。……で、マスターの大地さんの奥さん」 「えっ、そうなんですか!?」 「そうよ」 由美子が笑う。 「歳の差婚ってやつ」 そう言いながら、由美子は軽く肩をすぼめ、ボストンシェイカーを取り出した。 すると、隣に座っていた男性が口を開いた。 「由美子さんの弟さんの蓮君? どうりで似ているわけだ」 「似てるかしら?」 由美子が笑う。 「私は母似だし。どちらかというと、蓮は父親似よね」 「姉さん、こちらの方は?」 蓮が尋ねる。 「あっ、初めまして」 男性はグラスを置き、穏やかに微笑んだ。 「私、桜井優斗と申します。IT関連の仕事をしています。こちらは秘書の神崎さん。話に割って入ってしまって、すみません」 「とんでもありません」 蓮は軽く頭を下げる。 「こちらこそ、なんだか格好いいカップルだなって思ってました。ねっ、優子」 「もう、蓮ったら……」 優子が少し呆れたように蓮を見る。 「さっきから神崎さんばかり見てたじゃない」 「いや、神崎さんだけじゃないって。桜井さんも格好いいなって」 蓮は素直に感想を口にする。 「マスターとはまた違うタイプの格好良さだよね。姉さんたちとは、どういう関係なんですか?」 桜井は由美子へ視線を向けると、意味ありげにウインクした。 「僕らは、大地と由美子さんとは旧知の仲なんだ。ねっ?」 「ええ。まあ、そんなところね」 由美子も苦笑する。 桜井は懐から一枚の名刺を取り出し、蓮へ差し出した。 「何かあったら、ここに連絡して。相談くらいなら乗るよ」 「ありがとうございます」 蓮が名刺を受け取る。 桜井は残っていたバーボンを一気に飲み干した。 「ご馳走様。大地によろしく」 「はい」 そう言い残すと、桜井は颯爽と店を出ていった。 蓮は、その後ろ姿を見送りながら思う。 ――帰り際まで格好いいな、この人。 「……蓮?」 優子の声で我に返る。 「な、何?」 「別に」 優子は少しだけ頬を膨らませた。 その様子を見て、由美子がクスクスと笑う。 「ふふっ。蓮、相変わらずね」 「姉さん。なんか飲み物作ってよ」 「はいはい。で、蓮は何飲む?」 由美子はシェイカーを手に取りながら笑った。 「一杯目は姉さんの奢り」 「はいはい。特別サービスね」 由美子の手が動き始める。 手首の返し。 氷がシェイカーの中で奏でる音。 立ち上るリキュールの香り。 その一つ一つに、長年培ってきた職人の技が滲んでいた。 大地に劣らぬ、確かなバーテンダーの手つきだった。 やがて―― 蓮の前には、深い緑色のカクテル。 優子の前には、ルビーのように赤いカクテルが静かに置かれた。 「もうすぐクリスマスだからね」 由美子が微笑む。 「季節の色よ」 「ありがとう、由美子さん」 優子はグラスを手に取る。 「今日、大地さんは?」 「マスターは別件よ」 由美子はグラスを磨きながら答えた。 「あの人も、まあ……あの歳になると人間関係が広くてね。いろいろ忙しいのよ」 52歳の大地と、35歳の由美子。 17歳差の夫婦。 それでも、二人の間に年齢差を感じさせるものはない。 そこには、長い年月を共に過ごしてきた夫婦ならではの、穏やかな温かさがあった。 やがて、カクテルがちょうどいい具合に優子の頬を染める頃―― ふと、優子が由美子に声をかけた。 「由美子さん……」 「ん?」 「蓮の子供の頃って、どんな感じだったんですか?」 「え?」 由美子は一瞬だけ目を丸くした。 そして―― 懐かしむように、ゆっくりと天井を見上げる。 「そうね……」 少し考えてから、由美子は微笑んだ。 「蓮はね、昔はよく泣いてたわ」 「ちょ、姉さん!?」 蓮が慌てる。 「そこ掘る!?」 「だって事実じゃない」 由美子は楽しそうに笑う。 「いじめられたりしてね。よく私のところに泣きついてきたのよ」 優子が意外そうな表情で蓮を見る。 蓮は、少し耳まで赤くなっていた。 「それでね……」 由美子は続ける。 「可哀想だから、私が簡単な空手を教えたのよ」 「由美子さんも空手を?」 「姉さんは、極限空手の師範代なんだ」 蓮が口を挟む。 「めちゃくちゃ強いんだぜ。大地さんも、いつもタジタジなんだよ」 「コラ、蓮」 由美子が軽く拳を握って見せる。 「余計なこと言わないの」 「はいはい」 蓮が苦笑する。 「それでね――」 由美子は話を続けた。 「空手を覚えて、しばらくしたら……蓮、人が変わったみたいに強くなったの」 その声から、先ほどまでの明るさが少しだけ消える。 「ちょっと怖いくらいにね」 「……」 優子は黙って蓮を見る。 「もともと才能はあったのね」 由美子は遠い記憶を辿るように話す。 「その頃から、街中の不良と喧嘩するようになって……警察にもお世話になったわ」 由美子の声が、少しだけ沈んだ。 「ある試合で相手に怪我をさせちゃって……それがきっかけで、空手を離れたのよ」 一瞬、店内が静かになる。 「……あの時は、私も少し後悔したわ」 由美子はグラスを拭きながら、ぽつりと呟いた。 「空手なんて教えなければよかったって」 蓮は何も言わない。 ただ、手にしたグラスをゆっくりと回していた。 氷が、カラン……と小さな音を立てる。 「でもね」 由美子が続ける。 「ある時から、また『武道をやる』って言い出したのよ」 由美子は、蓮の横顔を見る。 「正直、不安だったわ。また喧嘩をしたりするんじゃないかって」 そして―― ほんの少しだけ、微笑んだ。 「でも、その時の蓮は違った」 「……」 「言葉にするのは難しいんだけど……」 由美子は慎重に言葉を選ぶ。 「なんというか……芯の部分が変わってた」 優子は黙って聞いている。 「力そのものじゃなくて――」 由美子は蓮を見つめる。 「“力の使い方”を学んだ人の顔をしてた」 蓮の指が、グラスの縁で止まった。 「……ねぇ、蓮」 由美子が静かに問いかける。 「あの時、何があったの?」 優子もまた、蓮を見つめていた。 二人の視線が、蓮に集まる。 蓮は一瞬、答えを探すように目を伏せた。 グラスの中で、氷が小さく揺れる。 カラン――。 その澄んだ音だけが、静かな店内に響いた。 そして蓮は―― ゆっくりと口を開いた。                    つづく 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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【六章】1話 一条寺蓮の過去

六話 再会

6話 再会 雨上がりの東京。 ついさっきまで降っていた雨が、街の喧騒を一度だけ洗い流したようだった。 アスファルトにはまだ微かな水気が残り、街路樹の葉は濃い緑を帯びて光っている。 行き交う人々。 車の走る音。 遠くから聞こえる観光客の笑い声。 いつもの東京の風景。 その中を、蓮は一人で歩いていた。 そのとき―― 風に乗って、聞き覚えのある声が届いた。 「皆さま、右手をご覧ください。こちらの通りは、江戸時代から続く――」 蓮の足が止まった。 一瞬。 周囲の音が遠のいたように感じた。 耳が勝手に、その声を追っている。 ――この声。 忘れるはずがない。 半年前。 浅草で初めて聞いた、あの澄んだ声。 胸の奥に、ずっと残り続けていた声だった。 蓮は振り返った。 そして―― 気づけば、その声のする方向へ走り出していた。 人の流れを抜ける。 視界の先に、小さな観光バスが見えた。 その前に、一人の女性が立っている。 白いスカーフ。 夏の青空を思わせる、爽やかな青い制服。 風に揺れる黒髪。 そして―― あのときより、少しだけ大人びた笑顔。 「……」 蓮の呼吸が止まった。 笹峰優子――だった。 人の流れは途切れない。 次々と人が行き交っている。 それなのに。 蓮の視界の中心だけが、不思議なほど鮮明になった。 優子はツアー客の一人が落とした帽子に気づくと、すぐに駆け寄った。 拾い上げ、埃を払う。 そして、何事もなかったように笑顔で手渡した。 「どうぞ。落とされましたよ」 その仕草。 その笑顔。 その声。 何一つ変わっていない。 ――いや。 蓮は思った。 (変わってない) そして、すぐに考えを改める。 (……いや) (あの頃より、もっと綺麗になっている) 胸の奥が、熱くなる。 連絡先も知らない。 それでも―― 忘れたことはなかった。 何度も思い出した。 あの日の浅草。 あの笑顔。 そして、別れ際の言葉。 ――「よかったら、また来てくださいね?」 その言葉だけが、ずっと心のどこかに残っていた。 蓮はゆっくりと歩き出す。 一歩。 また一歩。 近づくほどに、鼓動が大きくなっていく。 その気配に気づいたのか。 優子がふと顔を上げた。 そして―― 二人の視線が重なった。 優子の瞳が、小さく揺れる。 最初は、驚き。 次に、戸惑い。 そして―― 信じられないものを見るような表情へ変わっていく。 やがて、その瞳から緊張がゆっくりとほどけた。 「……一条寺さん……?」 その声を聞いた瞬間。 蓮の胸の奥で、何かが弾けた。 名前を覚えていてくれた。 それだけで、胸がいっぱいになる。 蓮は歩幅を少しだけ速めた。 「久しぶり」 優子の前で足を止める。 一瞬、言葉に詰まった。 「……半年ぶり、だね」 優子は小さく頷いた。 「はい……」 二人とも、何を話せばいいのか分からない。 ただ、互いの顔を見ている。 それだけなのに、不思議と心が満たされていく。 蓮が、少し照れたように笑った。 「……あのときから、ずっと会いたかった」 優子の頬が、ほんのり赤くなる。 「私も……」 小さな声だった。 けれど、蓮にははっきり聞こえた。 「……ずっと、覚えていました」 その言葉に、蓮の胸が熱くなる。 「本当に?」 優子は少し恥ずかしそうに笑う。 「忘れられるわけ、ないですよ」 風が吹いた。 優子の白いスカーフが、ふわりと揺れる。 その光景を見て、蓮は半年前の浅草を思い出した。 あの日と同じ。 けれど―― 二人の間にある距離は、あの日とは違っていた。 「でも……」 優子が少しだけ首を傾げる。 「本当に偶然ですよね?」 蓮は小さく首を横に振った。 「いや」 一瞬だけ、優子の目を見る。 「偶然じゃない気がする」 「え?」 「また会える気がしてた」 蓮は照れくさそうに笑った。 「ずっと、忘れられなかったから」 優子は何も言わなかった。 ただ、頬を赤くしながら、視線を落とした。 やがて―― 優子がバスの方を見る。 出発時間が迫っている。 「……あと少しだけなら」 優子は、少し迷ってから言った。 「時間、あります」 蓮が笑う。 「十分だ」 そして、少しだけ照れながら続けた。 「……十分すぎる」 二人はバス停近くにある、屋根付きのベンチへ向かった。 雨上がりの空から、柔らかな光が差し込んでいる。 優子は胸元に手を添えた。 「……あの日のこと、覚えてるんですね」 「忘れるわけないだろ」 蓮は少しだけ遠くを見る。 「君の声を聞いた瞬間……なんていうか、世界の見え方が変わった気がした」 優子のまつ毛が、かすかに震えた。 蓮は言葉を選ぶ。 今まで言えなかったこと。 二年間、心の中にしまっていたこと。 もう、隠す必要はないと思った。 「笹峰さん」 「はい」 「俺……」 一度、息を吸う。 「君が好きだ」 優子は、しばらく何も言わなかった。 やがて、唇にそっと手を当てる。 瞳が潤んでいく。 「……そんなふうに言われたら……」 声が小さく震えた。 「私……」 言葉が続かない。 蓮は急かさなかった。 ただ、優子の言葉を待った。 やがて優子は、涙をこぼさないように微笑んだ。 「……嬉しいです」 蓮の胸が、大きく高鳴る。 「一条寺さん……」 優子がそっと手を差し出す。 蓮は、その手を静かに取った。 強く握らない。 逃げ道を塞ぐようなこともしない。 ただ、温もりを確かめるように。 「急がなくていい」 蓮は静かに言った。 「無理もしなくていい」 そして―― 「でも俺は、君を大切にしたい」 優子の指が、蓮の手をそっと握り返した。 「……私も」 その一言だけで、十分だった。 その瞬間―― 遠くから、バスのエンジン音が聞こえた。 優子が振り返る。 出発の時間だった。 「……もう、行かなくちゃ」 「うん」 二人は立ち上がる。 優子は名残惜しそうに蓮を見る。 そして、少し迷ってから尋ねた。 「また……会えますか?」 蓮は迷わなかった。 「必ず」 優子の表情が、ほっと緩む。 「……はい」 優子は笑った。 白いスカーフを揺らしながら、バスへ向かって走っていく。 数歩進んだところで―― 優子が振り返った。 蓮を見つめる。 そして、もう一度だけ笑った。 蓮も手を上げた。 バスのドアが閉まる。 ゆっくりと走り出す。 窓越しに見える優子の姿が、少しずつ遠ざかっていく。 蓮は、その場から動かなかった。 胸の奥に、静かな確信があった。 これは―― ただの偶然じゃない。 半年間という時間を越えて、 二人は、もう一度出会った。 その日から―― 蓮と優子の物語は、ゆっくりと動き始めた。 慎重に。 それでも、確かに。 二人はまだ知らない。 この再会が、やがて二人の人生を大きく変えることを。 そして―― 二人が再び出会ったその瞬間から、 冥輪会の影もまた、静かに動き始めていた。                    つづく 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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六話 再会

五話 制裁(後編)

5話 制裁(後編) 次に―― 手塚を見る。 「さて」 手塚の顔から、血の気が引いた。 「残るは、お前とラリパッパか」 「く、来るな!」 手塚はポケットへ手を突っ込む。 その瞬間。 蓮の目が細くなった。 「……ナイフか」 手塚が歯を剥く。 「そうだよ!」 だが―― 手を抜くより早く。 蓮の目打ちが手塚の視界を奪った。 「うわっ!」 続けざまに、顎へ縦肘。 「ぐあっ!」 手塚の身体がよろめく。 掌から何かが落ちた。 カラリ―― ナイフが石畳の上を転がった。 蓮はそれを一瞥しただけだった。 そして―― 一気に間合いを詰める。 ムエタイの首相撲。 手塚の頭部を制し、身体の自由を奪う。 そこから短い膝蹴りを連続して叩き込む。 脇腹。 腹部。 一撃ごとに、手塚の身体が沈んでいく。 やがて―― 蓮がゆっくりと腕を離した。 手塚は、その場に崩れ落ちた。 最後にメガネ事、正拳突き。 粉砕されたメガネが手塚の眼球に無数に突き刺さる。 痛がる悲鳴さえ出なかった。 すでに意識を失っていた。 残るは 増田武。 すると、 「……」 殺気を感じ 蓮が振り返る。 そこには―― 拳銃を握った増田が立っていた。 「へ……へへへへ……」 完全に様子がおかしい。 拳銃を持つ手が小刻みに震えている。 「や、やってやんよ……」 涎を垂らしながら笑っている。 「お前……これが見えねぇのか……?」 増田はふらつきながら、蓮の額へ銃口を押しつけた。 冷たい感触。 「この距離なら……外さねぇ……」 銃口が、カタカタと揺れる。 蓮は動じない。 「……いいぜ」 「へ?」 「撃ちなよ」 「な……なんだと?グヒグヒ」 「脅しじゃないんだろ?」 増田の顔が引きつる。 「しょ、しょうだ、撃つじょ……撃つじょ……!」 「ところで」 蓮が淡々と言った。 「弾倉は入ってるのか?」 「……へっ?」 「そこに落ちてるの――」 蓮が視線だけを向ける。 「弾倉じゃないのか?」 「何……?」 増田の視線が、一瞬だけ地面へ向いた。 その瞬間だった。 蓮の身体が動いた。 内受けで銃口の向きを逸らした。 そのまま、拳銃を掴むと 【トリガーガード】に掛かってる指をへし折る。 ポキポキ ポキ! 綺麗な音が響く。 「ぐあーー」 増田の悲鳴。 増田の身体が大きく崩れる。 拳銃が手から離れた。 さらに蓮が身体を回転させる。 回転裏拳打 「ぐあっ!」 増田の身体が吹き飛ぶように倒れた。 蓮は無言のまま、路地に倒れた四人を見渡した。 更に増田を抱き起こすと 腕をクロスしての受け身が出来ない ジャーマンスープレックスで硬い路上に脳天目掛けてぶちかます。そのまま回転し更に 増田の頚椎を損傷させた。 「……お前らは、一般人に手を出しすぎた」 淡々とした声。 そこには 日々の鍛錬によって研ぎ澄まされた、静かな強さがあった。 やがて 遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。 誰かが、通報したようだ。 警察が現場へ到着し 一条寺蓮にかけよる。 さすがにやりすぎたと 蓮も覚悟を決めた。 警官と二言三言対応し 蓮が振り返ると 高橋。 手塚。 戸田。 そして増田。 四人の姿は 忽然と消えていた。 路地に残されていたのは、倒れた痕跡と、いくつかの物だけ。 不穏な空気が漂っていた。 それを象徴するかのように、雨雲が頭上を覆い尽くしている。 やがて、その痕跡さえも洗い流すかのように―― 雨が、ぱらつき始め本格化してきた。 蓮は、静かに周囲を見回した。 蓮は周囲を見回す。 「……どういうことだ?」 四人はいったい、どこへ消えたのか。 そして―― 誰が、彼らを連れ去ったのか。 その答えを、蓮はまだ知らなかった。 そして、密かに4人に対して【冥輪会】裁定が行われるだけだった。                          つづく 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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五話 制裁(後編)

四話 制裁(前編)

4話 制裁(前編) ――半年後。 初夏。 浅草の裏通りは、蒸し返すような湿気を帯びていた。 半年ぶりの東京本社勤務。 取引先との商談も早めに無事終わり、少しばかり時間を持て余した蓮は、久しぶりに浅草寺へ向かっていた。 もしかしたら―― 笹峰優子に会えるかもしれない。 そんな期待が、胸の片隅になかったと言えば嘘になる。 そのときだった。 蓮の前に―― ある違和感が、ゆっくりと姿を現した。 路地の奥。 煙草の火が、じり……と赤く灯る。 「よぉ……半年ぶりだなぁ、兄ちゃん」 ひしゃげた声。 その声とともに、路地の奥から男が一人、にじみ出るように姿を現した。 高橋浩。 その背後には、手塚智と戸田雄一郎。 そして―― もう一人。 見慣れない男がいた。 増田武 高橋浩、手塚智宏、戸田雄一郎 この三人を取りまとめているのは、どうやらこの男らしい。 だが―― 蓮は、すぐに異様なものを感じ取った。 増田の目。 焦点が合っていない。 左右の瞳が微妙に違う方向を向き、まばたきも異様に少ない。 口元は半開き。 唇の端からは涎が垂れている。 身体は落ち着きなく揺れ、意味のない小さな動きを繰り返していた。 そして―― 「う、うぉ……っ。お、お前……誰だっけ?」 ろれつの回らない声。 突然、意味もなく笑う。 「へ……へへ……」 次の瞬間には、何かに怯えるように周囲を見回す。 明らかに正常な状態ではない。 高橋が困ったように眉をひそめる。 「増田さん……」 声にも、先ほどまでの横柄さはない。 むしろ、露骨な低姿勢だった。 「兄貴……昼間からそれ、薬はマズいっすって」 「ふぃ……っ?」 増田がゆっくり振り返る。 「な、なんか言ったか……浩?」 「いや……だから、その……」 高橋が言葉を濁す。 増田は突然、意味もなく笑い出した。 「へへへ……へへ……」 手塚も戸田も、増田の前では余計なことを言わない。 その様子だけで―― この四人の力関係は十分に伝わってきた。 だが。 蓮の視線は、増田ではなく三人へ向けられていた。 ――あのとき。 浅草の路地で、優子を取り囲んだ三人。 高橋浩。 手塚智宏。 戸田雄一郎。 そして今。 その三人を従えるように立っている、増田武 四人はいずれも、冥輪会の末端に連なる人間だった。 表向きは、観光客相手の屋台などを営む、どこにでもいる商売人。 だが、その裏では―― いまだに観光客を食い物にし、浅草の街を自分たちの縄張りのように扱っている。 そして今。 その四人が、再び蓮の前に現れた。 偶然。 そう考えるには、あまりにも不穏な再会だった。 蓮は静かに口を開いた。 「……まだ、この界隈で悪さをしてるのか」 高橋が、ニヤリと笑った。 「あれからずっと、お前と……あの可愛いバスガイドを探してたんだよ」 「そうそう」 手塚が、いやらしい笑みを浮かべる。 「さっき、あの女を見かけたぜ。前よりずっと綺麗になってたなーヒヒヒヒ」 「笹峰さんが……?」 蓮の表情が変わった。 心臓が、一気に速くなる。 ――近くにいる。 笹峰さんが、この近くに。 探さなければ。 会いたい。 半年ぶりに会って―― 今度こそ、自分の気持ちを伝えたい。 だが。 目の前にいる四人の目には、明らかな悪意が宿っていた。 蓮は四人を相手にするつもりはなかった。 そのまま無視して、横を通り過ぎようとする。 「おっと」 高橋が一歩前へ出る。 「待ちなよ」 「……」 「まだ、去年の、落とし前がついてねぇんだよ」 下卑た笑み。 そして―― 優子に対する卑劣な言葉を吐き捨てる。 「お前を痛めつけた後は、あの女にも ヒヒヒヒ」 その先を聞いた瞬間。 蓮の足が止まった。 拳が、静かに握られる。 「……そうか」 低い声だった。 怒鳴っているわけではない。 むしろ―― 静かすぎた。 「お前らは、半年経っても何も変わってないんだな」 その瞬間。 戸田が甲高い声を上げた。 「ひゃっほー!」 勢い任せに飛びかかる。 だが―― 蓮は一切慌てなかった。 身体をわずかに半転身させる。 斜めへ ほんの一歩。 拳が空を切った。 勢いを殺せない戸田の身体が、そのまま前へ流れる。 「――っ!」 蓮の手刀が、首元へ正確に入った。 戸田の身体が硬直する。 逃がさない。 後ろ襟を掴み 足を払う。 バランスを崩した戸田の身体が地面へ落ちる。 「ぐっ……!」 すかさず 仰向けに倒れた戸田の水月という胃の急所。踏みつける。 「ゲボ ゲボ」 吐瀉物を撒き散らす戸田。苦しそうに何とか四つん這いになった脊椎目掛けて 渾身の全体重を乗せての飛び踵落とし。 グキっ! 腰椎の粉砕する音が響く。 そのまま、悶絶しながら意識を失った戸田の頭部をトドメのサッカー蹴り。 完全に動かなくなった。 蓮は間合いを取り直した。 これだけの動きをしても息一つ乱さない。 「相変わらず懲りねぇな。その増田みたいに あんたらも相当頭いかれてんな」 蓮が淡々と言う。 「……馬鹿なのか、お前らは」 「て、てめぇ!」 高橋が怒鳴った。 大地を踏み鳴らす。 ドスン ドスン 巨体を揺らしながら突進してくる。 「俺は元相撲部だ!」 「多少の攻撃じゃ――」 その瞬間。 蓮の右脚が、鞭のように走った。 巨体の動きを利用した、カウンターの鋭い蹴り。 高橋の身体が大きく崩れる。 「ぐ……っ!」 蓮は追撃する。 顎を捉え― 身体の軸を崩す。 そして最後に、水月へ一本拳 ドンッ! 乾いた衝撃音。 高橋の身体が大きく揺れた。 通常なら、分厚い脂肪に阻まれやすい部位。 しかし 少林寺拳法 蓮は、ただ力任せに打ったのではない。 【当身の五要素】 ・当身の角度 ・当身の速さ ・当身の位置 ・急所の位置 ・当身の虚実 そのすべてを正確に重ねた。 高橋が、息を詰まらせる。 「……ぐ、ぉ……」 身体から力が抜ける。 そのまま地面へ倒れ込んだ。 蓮は静かに見下ろした。 「……これ以上、一般人に手を出すな」 横たわる高橋の股間に向けて、足を踏み降ろす。 グニャ  股間に赤黒い滲みが広がる。 「これで二度とお痛は出来ないな」 「生きてたら新宿2丁目で働きな。人気でるぜ」 高橋は声にならない呻きを漏らした。 蓮は、ゆっくりと顔を上げる。 視線の先には―― 手塚智宏。 そして、増田武。 手塚の顔から、笑みが消えていた。 路地の空気が、さらに重くなる。 ――次に、誰が来る。 蓮は静かに構えを取った。 つづく。 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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四話 制裁(前編)

三話 静かな戦い

3話 静かな戦い 高橋が振り返り、舌打ちした。 「なんだ、お前。邪魔すんなよ」 蓮は肩をわずかにすくめた。 その表情に、怒りはない。 ただ、落ち着いた声で言った。 「彼女は、怯えている。道を空けてくれ」 その一言に、手塚の薄笑いが消えた。 「兄貴、この野郎……観光客か?」 眼鏡の奥の細い目が、蓮を値踏みするように動く。 「ちょっと色男だからって、調子乗ってません?」 戸田がニヤつきながら、蓮へ詰め寄った。 「おい、兄ちゃん――」 その瞬間だった。 蓮の身体が、ほんのわずかに動く。 戸田が伸ばした手首を、蓮は正確に捉えた。 パシーン 【目打ち】で相手の視界を奪うと同時に相手の意識を目に持ってくる。 【当身の虚実】 虚実で無防備な意識の手首を閂で極める。 ――ギリッ。 関節が、限界の位置で止まる。 戸田の顔が一瞬で歪んだ。 「っ……!」 膝から力が抜け、その場に落ちる。 蓮は、ほとんど力を入れていない。 ただ、相手の関節が動ける方向を完全に塞いだだけだった。 少林寺拳法の 【閂捕――かんぬきどり】 「……痛っ……ぐっ……!」 戸田が必死に腕を引こうとする。 だが、動かない。 「何だ……これ……離せ……っ」 蓮は戸田の顔を見ることもなく、淡々と告げた。 「まず、手を出すな」 静かな声だった。 だからこそ―― 不気味なほど重かった。 蓮はそう告げると そのまま、腕関節を肩に担ぎ極める 【逆天秤】へと移行した。 高橋の顔つきが変わった。 それまでの軽薄な笑みが消える。 巨体の奥に隠れていた、別の顔が覗いた。 「おい……兄ちゃん」 蓮を真っ直ぐに見る。 「その手……どこで習った?」 蓮は答えない。 ただ、ほんの一瞬だけ優子へ視線を向けた。 彼女の顔には、まだ緊張が残っている。 だが―― 先ほどより、ほんの少しだけ表情が和らいでいた。 それを確認すると、蓮は再び男たちへ視線を戻した。 その瞬間。 手塚の手が、ゆっくりとポケットへ入った。 指先が何かに触れる。 銀色の刃が、わずかに覗いた。 蓮は戸田に掛けてる技を外した。 そして―― 半歩だけ前へ出た。 足音すら、ほとんど聞こえない。 蓮 「やめておけ」 その声に、高橋と手塚の動きが止まった。 威嚇ではない。 怒声でもない。 ただ―― 次に起こる結果を、静かに告げる声だった。 路地の空気が、一気に張り詰める。 優子の手が胸元で小さく握られた。 息が浅くなる。 誰も動かない。 通行人のざわめきさえ、遠くに感じられた。 次の瞬間が勝負だった。 蓮の視線は、三人の動きをすべて捉えている。 距離。 足の位置。 視線。 呼吸。 そして、手塚のポケットから覗く刃。 蓮は、相手の出方を待っていた。 だが―― それは恐れているからではない。 終わらせるために残された、最後の余白だった。 その緊張を―― 鋭い女性の声が切り裂いた。 「こら! そこの三人! 何してるの!」 全員が振り返る。 参道方面から、二名の警察官が早足で近づいてきていた。 年の瀬。 観光客が増えるこの時期、浅草周辺では警戒と巡回が強化されている。 騒ぎが長引けば、人だかりになる。 そして、人だかりができれば―― 三人にとって都合の悪い状況になる。 手塚が焦ったように高橋の袖を引いた。 「兄貴……やべぇっす。警察ですよ」 高橋の表情が、一瞬だけ揺らぐ。 頭の中で、瞬時に計算が走った。 ここで揉めれば、公的な記録が残る。 それは、自分たちにとって決して望ましいことではない。 特に―― 冥輪会と繋がる人間にとっては。 「チッ……なんでこんな時に……」 高橋は吐き捨てるように呟いた。 一方、蓮はわずかに肩の力を抜いた。 外部の介入が入った以上、これ以上、力を使う必要はない。 戦うことよりも―― 終わらせること。 それが今は最優先だった。 蓮は優子の前に立ったまま、静かに言った。 「……あとは、もういい。行きましょう」 優子が小さく頷く。 震える指先を隠すように手を握り、蓮の後ろへついていく。 その背中を見ながら、高橋が小声で吐き捨てた。 「逃げんなよ……兄ちゃん」 蓮は振り返らない。 「次は覚悟しとけ」 蓮の足は止まらなかった。 そして―― 一言だけ、静かに返す。 「次は――“逃がさない”のは、こちらだ」 高橋の肩が、ほんのわずかに震えた。 手塚も、戸田も動かない。 やがて警察官が三人の前まで到達する。 「どうしました? 何かトラブルですか?」 蓮は振り返らなかった。 優子を連れて、そのまま歩き続ける。 立ち止まれば―― 優子の心まで、再びあの路地に引き戻されてしまう。 だから、歩く。 参道へ。 人のいる場所へ。 後ろでは、警察官と高橋たちの押し問答が始まっていた。 観光客たちの視線も集まり始める。 三人は次第に、居心地の悪い沈黙の中へ追い込まれていった。 これ以上動けば―― 自分たちが不利になる。 蓮と優子は、参道の光の中へ抜けた。 人の流れが二人を包み込む。 先ほどまでいた路地の暗闇が、少しずつ遠ざかっていく。 優子が、ようやく大きく息を吐いた。 「……一条寺さん……」 声には、まだわずかな震えが残っている。 「さっきは……ありがとうございました」 蓮は優子の顔を見ず、歩きながら静かに尋ねた。 「大丈夫ですか?」 「……はい」 少し間を置いて、蓮が続ける。 「怖かったでしょう」 その言葉を聞いた瞬間。 優子の目に、薄く涙が滲んだ。 恐怖だけではない。 助けてもらえたことへの安堵。 そして―― 自分のことを気にかけてくれる人がいるという、思いがけない安心感。 優子は小さく笑った。 「……はい。少しだけ」 蓮も、ほんの少しだけ微笑む。 「今、お一人ですか?」 「はい。次の集合まで、まだ少し時間があります」 「それなら……」 蓮は一瞬だけ言葉を選んだ。 「良ければ、仲見世のほうまでご一緒します」 優子が蓮を見る。 そして、少しだけ表情を和らげた。 「ありがとうございます」 二人は並んで歩き始めた。 しばらくして―― 優子が、ふと蓮へ尋ねる。 「一条寺さんは、東京へお仕事で?」 「はい。今日はたまたま時間が空いて、それで……」 蓮は苦笑する。 「東京下町バスツアーを予約しました」 「そうだったんですね」 優子が笑う。 その笑顔を見て、蓮も自然に表情を緩めた。 そして、ふと思う。 さっきまで、あれほど緊張していたのに。 今は―― 不思議なくらい穏やかだった。 「ガイドさんに案内されたら……」 蓮が少しだけ冗談めかして言う。 「それはもう、“特別ツアー”ですよね?」 優子が、くすっと笑った。 「これも、ガイドの仕事ですから」 その自然な一言に、蓮の胸が温かくなる。 ――この人は、誰にでもこんなふうに優しいのだろうか。 そう思うと、なぜか胸が少しだけ痛んだ。 二人は仲見世へ向かって歩いた。 短い時間だった。 それでも―― 蓮は普段、初対面の相手に自分のことを多く話す男ではなかった。 だが、この日は違った。 仕事のこと。 東京へ来た理由。 昔のこと。 これまで誰にも話す必要がないと思っていたことまで、ぽつり、ぽつりと口から出てくる。 優子は急かさなかった。 ただ、時折相槌を打ちながら、静かに聞いていた。 その距離感が、心地よかった。 気づけば―― 蓮の心は、少しずつほどけていた。 やがて自由時間が終わり、二人はバスへ戻った。 帰りの車内。 蓮は何度も口を開きかけた。 そして、そのたびに閉じた。 (また会いたい) (連絡先を……) だが―― 言葉にできなかった。 やがてバスは、帰着地点へ到着した。 乗客たちが一人、また一人と降りていく。 優子は最後の乗客まで丁寧に見送り、深々と頭を下げた。 「皆さま、本日は本当にありがとうございました」 蓮は、その姿を少し離れた場所から見ていた。 胸の奥に、言いようのない後悔が込み上げる。 ――結局、何も言えなかった。 そのときだった。 優子がふと蓮の前まで歩いてきた。 そして、小さく微笑む。 「……今日は、お疲れさまでした」 一瞬の間。 「よかったら……また来てくださいね?」 その言葉を、蓮は長い間忘れられなかった。 そして―― その瞬間。 運命の歯車が、静かに動き始めた。 きしみ。 震え。 そして―― 誰にも止められない速度で、 ゆっくりと、ゆっくりと回り始める。 蓮も。 優子も。 まだ知らない。 この出会いが、二人の人生を大きく変えていくことを。 そして―― その二人の出会いを、 冥輪会の影が、遠くから静かに見つめていたことを。 すべては―― この瞬間から始まっていた。                    つづく 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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三話 静かな戦い

ニ話 不穏な輩

2話 不穏な輩 先頭を歩く男 高橋浩。 【冥輪会】の最末端のBS商会。冥輪会の名前で下町の出店を取り仕切ってる。 50代後半のはずだが、その身体から伝わってくるのは、年齢を重ねた男特有の落ち着きではなかった。 肩や腹には余計な肉がつき、歩くたびに衣服がわずかに波打つ。 本人は堂々と歩いているつもりなのだろう。 しかし、重心はどこか不安定で、足取りには微かな頼りなさが滲んでいた。 短く刈った灰混じりの髪も、手入れが行き届いているとは言い難い。 ところどころが不自然に跳ねている。 太い首も、一見すれば力強そうに見える。 だが、輪郭は肉に埋もれ、首と肩の境目さえ曖昧だった。 その姿には、妙な威圧感と、拭いきれないだらしなさが同居していた。 だが―― その威圧感の大半は、所詮ハッタリだった。 理不尽なことですぐにキレる。 自分の思い通りにならなければ、相手が誰であろうと怒鳴り散らす。 業者の間では、そんな扱いづらさから、陰でキチガイの「キチキチさん」と呼ばれ、蔑まれていた。 以前の職場でも、五十歳にして年下の社員へ偉そうに振る舞い、パワハラまがいの言動を繰り返していた。 自分より立場の弱い相手には、とことん強く出る。 だが―― 相手が自分より強そうだと見ると、正面からぶつかることはしない。 新しく入ってきた人間が職場に馴染むより先に、言葉や態度で圧をかけ、徹底的に追い込む。 そして、反抗する気力を失わせたところで、自分の配下に置く。 それが、高橋浩という男のやり方だった。 強いのではない。 自分より強い相手を恐れ、弱い相手だけを選んで威張る。 その小賢しさだけは、人一倍だった。 ところが―― 部署異動によって、その立場が変わった。 今度は自分が若手から厳しく接される側になる。 すると、高橋は途端に耐えられなくなった。 精神的に追い詰められ、体調を崩して一年間の休職。 そして―― 復職することもなく、そのまま職場を去った。 自分が他人に浴びせてきたものを、自分が受けた途端に耐えられなくなったのだ。 強いのではない。 ただ、自分より弱い相手を選んで威張っていただけ。 高橋浩。 その正体は、虚勢とハッタリで自分を大きく見せ続ける、情けない男だった。 その脇を歩く男――手塚智宏 高橋とは対照的に、痩せた身体。 面長の顔に坊主頭。 いやらしい色メガネで周囲を観察。 口元には、常に薄い笑みを浮かべている。 眼鏡の奥にある細い目は、ほとんど瞬きをしない。 その視線が、行き交う人々の顔から手元へ、そして足元へと滑るように移動していく。 まるで人を見るというより―― 人の弱点を探しているようだった。 声にも感情が乏しい。 わずかな言葉を投げかけては、相手の表情がどう変化するのかを観察する。 その不気味な視線に気づいた観光客が、何気ないふりをして歩く速度を上げていく。 最後尾に立つのは、戸田雄一郎。 三人の中では最も小柄だった。 だが、その小さな身体に似合わないほど、動きが落ち着かない。 突然笑い出す。叫びだす。 意味もなく身体を揺らす。 一人言がとにかく多い。 周囲の会話や視線など、最初から存在しないかのように振る舞う。 それでいて、次の瞬間には誰かを鋭く睨みつける。 感情を抑えるという概念そのものが欠落している。 まるで、発狂した子供がそのまま大人の身体に入ってしまったようだった。 何に反応しているのか。 何を考えているのか。 それが誰にも分からない。 ――その分からなさが、かえって周囲の警戒心を煽っていた。 三人が、優子の前まで歩いてくる。 高橋浩が、ゆっくりと一歩前へ出た。 掌で空気を払うような仕草をしながら、軽い調子で声を投げる。 「なあ、バスガイドの姉ちゃん」 優子が顔を上げる。 「俺たちにも、観光案内してくれないかな?」 笑っている。 だが、その笑顔には観光客に向けるようなものではない。 言葉の裏側に、下卑た思惑が透けて見えた。 すかさず手塚が一歩前へ出る。 優子を頭から足元まで、舐めるように眺める。 「兄貴、このスケ、可愛いっすね」 口元の笑みが深くなる。 「ちょっと遊びましょうや」 甲高い声が、浅草の雑踏の中に響いた。 戸田が突然、キャッキャッと笑い声を上げる。 「俺にも、味見させてくださいよ」 幼稚な言葉。 そして、前後に腰を振る鬼畜で卑猥な幼稚な態度。 優子の表情が変わった。 それまで浮かべていた、観光客へ向けるプロの笑顔が消える。 残ったのは、感情を悟られまいとする張りつめた表情だった。 優子は周囲の観光客へ、さりげなく視線を送る。 助けを求めるというより これ以上、騒ぎを大きくしたくない。 そんな意思が、その目に滲んでいた。 そして、少しずつ後ろへ下がろうとする。 だが 男たちは、その動きを逃さなかった。 三人の距離が、じわじわと縮まっていく。 周囲にいた観光客たちも、その異様な空気を感じ取ったのか、一人、また一人と視線を逸らしていく。 人の流れが、不自然なほど三人を避け始めた。 その光景を見ていた蓮の胸の奥で 何かが軋んだ。 拳が、静かに握られる。 頭の中は冷静だった。 人数。 距離。 周囲の人間。 逃げ道。 そして――優子の表情。 蓮は、すでに状況を把握していた。 だが、焦る必要はない。 最優先すべきなのは――彼女の安全。 蓮は視線を穏やかに保ったまま、一歩だけ前へ出た。 優子も、必死に平静を装う。 「すみません……私、まだ仕事がありますので」 声は落ち着いている。 だが、その奥には微かな震えがあった。 高橋が、それを聞いて鼻で笑う。 「いいじゃねぇか」 さらに一歩、距離を詰める。 「ちょっとくらい案内してくれよ」 太い指で円を描くような仕草をしながら、薄ら笑いを浮かべた。 「銭は弾むぜ」 その軽薄な態度が、かえって不快だった。 優子は思わず視線を逸らす。 背筋を冷たいものが走った。 「どけどけ。見せもんじゃねぇぞ」 手塚が周囲へ向かって声を荒らげる。 その一言で、人垣がさらに崩れていく。 誰も関わろうとはしない。 人々は少しずつ建物の端へ移動し、三人を中心に、奇妙な空間が生まれていった。 手塚が下卑た笑いを漏らす。 優子の指先が、ほんのわずかに震えた。 制服の肩が小さく上下する。 ――その変化を、蓮は見逃さなかった。 蓮は静かに歩き出す。 一歩。 また一歩。 そして―― 誰にも気づかれないほど自然な動きで、優子と三人の男たちの間へ入った。 まるで、最初からそこに立っていたかのように。 蓮は背中で、優子の前に静かな壁を作った。 そして、振り返ることなく―― 「笹峰さん」 低く、穏やかな声で呼びかける。 その一言に―― 優子の目が、はっきりと揺れた。                    つづく 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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ニ話 不穏な輩

【五章】一話 出会い

【5章】1話 出会い 二年前。 初冬――十二月の東京。 冷たい風が街を吹き抜け、吐く息が白くなる季節だった。 その日、蓮は仕事のため東京を訪れていた。 予定していた仕事を終えたものの、珍しく次の予定まで時間が空いていた。 ホテルへ戻るには、まだ早い。 かといって、特に行きたい場所があるわけでもない。 そんなとき、スマートフォンに表示された観光案内が目に入った。 【東京下町バスツアー】 「……たまには、こういうのもいいか」 深く考えることなく、蓮はその場で予約した。 正直なところ、期待していたわけではない。 東京には何度も来ている。 観光地も、それなりに知っている。 ただ―― 少しだけ、仕事とは無関係の時間を過ごしてみたかった。 集合場所へ向かい、観光バスに乗り込む。 車内を見渡すと、乗客の多くは年配の男女だった。 蓮は一瞬、自分の場違いさを感じた。 (……俺、浮いてないか?) 苦笑しながら、窓側の席に腰を下ろす。 やがて、車内が静かになった。 前方へ視線を向ける。 その瞬間だった。 車内前方に、一人の若い女性が立った。 青いバスガイドの制服。 白いスカーフ。 きちんと整えられた髪。 そして、柔らかな笑顔。 彼女は乗客全員を見渡すようにして、ゆっくりと頭を下げた。 「本日は、東京観光バスツアーにご参加いただき、ありがとうございます」 明るすぎない。 かといって、事務的でもない。 落ち着きがありながら、どこか温かさを感じさせる声だった。 「本日のガイドを務めさせていただきます――笹峰優子です」 その名前を聞いた瞬間。 蓮の意識が、ほんの一瞬だけ止まった。 ――声だった。 澄んでいる。 それでいて、冷たくない。 言葉の一つひとつが自然に耳へ入り、聞いているだけで妙に気持ちが落ち着く。 蓮は、無意識のうちに彼女を見つめていた。 (……なんだ、この感じ) 理由は分からない。 美人だから――というだけではない。 笑顔が可愛いから、というだけでもない。 もっと別の何かだった。 優子は、乗客一人ひとりへ視線を配っている。 前方だけではない。 後方の席にも目を向ける。 年配の乗客が聞き取りやすいように、声の大きさを微妙に変える。 子供が窓の外を指差せば、笑顔で応じる。 説明の途中でも、乗客の反応を確認している。 その所作には、長く人と接してきた者だけが持つ自然な気遣いがあった。 「それでは、出発いたします」 バスがゆっくりと動き始める。 優子は窓の外へ視線を向けながら、東京の街を案内していく。 「右手をご覧ください。こちらは――」 江戸の歴史。 下町の文化。 古くから残る建物。 東京という巨大な街の中に息づく、人々の暮らし。 優子の言葉によって、普段なら何気なく通り過ぎる風景が、少し違って見えた。 しかし―― 蓮の視線は、次第に窓の外よりも彼女へ向くようになっていた。 声の抑揚。 説明するときの手の動き。 乗客へ向ける視線。 笑ったときに僅かに細くなる目。 どれも、派手なものではない。 それなのに、不思議と目が離せなかった。 (……変だな) 蓮は小さく息を吐いた。 普段の自分なら、こんなふうに誰かを目で追うことはない。 まして、初対面の女性だ。 それなのに―― 気づけば、彼女の存在が気になっていた。 やがて、バスは浅草へ到着した。 昼休憩を兼ねた自由行動。 浅草寺周辺で二時間。 「それでは、二時間後にこちらへお戻りください」 優子が笑顔で案内すると、乗客たちはそれぞれ街へ散っていった。 冷たい空気の中に、浅草独特の活気が満ちている。 仲見世には観光客が行き交い、露店からは甘い菓子の匂いが漂っていた。 朱塗りの門をくぐる。 境内では線香の煙がゆっくりと揺れ、その向こう側には多くの人々が行き交っている。 年の瀬を間近に控えた東京。 慌ただしさの中にも、どこか懐かしい空気があった。 一行は、それぞれ思い思いの場所へ向かっていく。 蓮も、特に目的地を決めてはいなかった。 土産を買うわけでもない。 参拝を急ぐわけでもない。 ただ、ゆっくりと人の流れに身を任せて歩いていた。 そのとき―― ふと。 視界の端に、見覚えのある姿が入った。 青い制服。 白いスカーフ。 笹峰優子だった。 彼女は数人の乗客に囲まれ、浅草の歴史について説明していた。 バスの中とは違う。 ここでは、街そのものが彼女の舞台になっている。 優子は笑顔で話しながらも、周囲を歩く人々の邪魔にならないよう、自然に立ち位置を変えていた。 一人の乗客が何かを尋ねる。 優子は足を止め、相手の目を見て答える。 その姿を見て―― 蓮は足を止めた。 まただった。 胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。 (……やっぱり、気になる) 一目惚れ。 そう言ってしまえば簡単だった。 だが、蓮自身には、まだその言葉を認めるつもりはなかった。 ただ―― もっと、この人のことを知りたい。 そう思った。 名前は知っている。 仕事も知っている。 けれど、それだけだ。 どんな人なのか。 普段はどんな顔をしているのか。 何が好きなのか。 どんな人生を歩いてきたのか。 知りたい。 その思いが、静かに膨らんでいく。 そして―― 蓮は決めた。 今しかない。 二時間の自由行動が終われば、彼女とはもう会えないかもしれない。 だったら―― せめて、声をかけてみよう。 蓮が一歩、踏み出そうとした。 その瞬間だった。 ――ザリッ。 路地の奥から、靴底が地面を擦る音が聞こえた。 一つ。 ――ザリッ。 二つ。 そして―― ――ザリッ。 三つ。 蓮の足が止まる。 優子も、わずかに顔を向けた。 浅草の喧騒の中。 その音だけが、妙に耳へ残った。 路地の奥。 人の流れから外れた薄暗い場所で、三つの影が動いた。 ゆっくりと。 こちらへ近づいてくる。 そして―― 三人の男が、姿を現した。 穏やかだった午後の空気が、 ほんの一瞬で変わった。 蓮は、男たちを見た。 そして―― 無意識に、優子との間へ身体を入れた。                    つづく 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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【五章】一話 出会い

十二話 双輪動く(後編)

12話 11話 双輪動く(後編) 日輪は、もう一つのモニターへ目を向けた。 そこには、優子が映っていた。 蓮の隣で笑う姿。 街を歩く姿。 そして―― 蓮に守られている姿。 日輪は、しばらく黙っていた。 「……こちらの娘は?」 月輪が答える。 「現在、詳細を調査中です」 「そうか」 日輪は、優子の映像を拡大させる。 その顔を、じっと見つめる。 「……どこかで見たような気がする」 しかし、それ以上は語らなかった。 単なる既視感なのか。 それとも―― 何かを思い出しかけているのか。 仮面の奥の表情は、誰にも分からない。 「月輪よ」 「はい」 「急げ」 「……」 「この二人の素性を洗え」 日輪の声が、低く響く。 「出生」 「家族」 「過去」 「交友関係」 「勤務先」 「行動記録」 そして―― 一拍。 「隠していることがあるなら、それもだ」 月輪は静かに頭を下げた。 「承知しました」 「ただし――」 日輪が続ける。 「まだ手を出すな」 月輪が顔を上げる。 「……?」 「知ることが先だ」 日輪は蓮の映像を見る。 「敵を倒すことは簡単だ」 「だが――」 「敵が何者なのかを知らずに動くことほど、愚かなことはない」 その言葉には、 冥輪会の頂点に立つ男としての、冷徹な判断があった。 「正体を知る」 「繋がりを知る」 「力を知る」 そして―― 日輪は、ゆっくりと立ち上がった。 「弱点を知る」 その一言を最後に、 日輪は背を向けた。 重い扉が開く。 そして、日輪の姿が闇の向こうへ消えていく。 扉が閉じる。 再び静寂。 暗室には、月輪だけが残された。 モニターの中では、 一条寺蓮と笹峰優子が、何も知らずに街を歩いている。 まるで、 平穏な日常が続いているかのように。 月輪は、その映像を見つめていた。 しばらくして―― ゆっくりと仮面へ手を伸ばす。 そして、それを外した。 露わになった素顔。 そこには、感情を読み取ることのできない無表情があった。 月輪は、蓮を見る。 次に、優子を見る。 そして―― もう一度、先ほどの映像を再生する。 西破毛会。 丘町を倒す直前。 月輪の指が止まった。 画面には、 蓮が放った一撃が映し出されている。 月輪は、その映像を拡大した。 そして―― 動きを止める。 【天地雲命掌】 月輪の目が、わずかに見開かれた。 「……ん?」 もう一度、再生。 蓮の踏み込み。 身体の沈み。 掌の軌道。 そして、力の伝達。 月輪は画面を凝視する。 「この技は……」 低く呟く。 「……まさか」 一瞬の沈黙。 「入り方こそ違うが……」 月輪の表情が変わった。 「天翔地雷掌……」 その名を口にした瞬間、 月輪は周囲を見渡した。 誰もいない。 それを確認するように、 ゆっくりと視線を巡らせる。 そして―― 小さく息を吐いた。 「……似ている」 いや。 それだけではない。 「間違いなく……何か繋がっている」 月輪は、再び画面へ視線を戻す。 そこに映っているのは、 自分たちが追い始めた一人の青年。 「一条寺蓮……」 そして、その隣にいる女性。 「笹峰優子……」 月輪は、静かにキーボードへ指を伸ばした。 新たな検索画面が開く。 一条寺蓮。 笹峰優子。 そして、二人に関係する人物たち。 次々と情報が浮かび上がっていく。 その瞬間―― 画面の一つに、 一つの文字が表示された。 【武禅寺】 月輪の動きが止まる。 「……武禅寺」 その名を、ゆっくりと読み上げる。 「そうか……」 月輪の目が、すっと細くなった。 「武禅寺、か……」 しばらくの間、月輪は画面を見つめていた。 やがて、何かを察したかのように、口元に薄い笑みを浮かべる。 「……そういうことか」 低く呟いた月輪は、ゆっくりと視線を画面から外した。 「そこは確か、近野正弘と望月博彦がいるエリアだな……」 一瞬の沈黙。 そして―― 「少し、揺さぶってみるか」 その声には、底知れぬ不気味さが滲んでいた。 しかし、その言葉が何を意味するのか。 月輪が何を企んでいるのか。 それを知る者は、まだ誰もいなかった。 やがて、画面が暗転する。 冥輪会の情報網が―― 静かに動き始めた。 そして同時に。 蓮と優子の知らないところで、 二人を取り巻く世界が、 少しずつ―― 闇へと引き込まれ始めていた。 狩りは、 すでに始まっている。 つづく。 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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十二話 双輪動く(後編)

十一話 双輪動く(前編)

11話 双輪動く(前編) 日輪は、しばらく無言でモニターを見つめていた。 壁一面に並んだ、無数の画面。 そこには、東京の街が映し出されている。 街角。 裏路地。 交差点。 駅前。 商店街。 異なる場所。 異なる時間。 そして、その中に何度も現れる二人の男女。 一条寺蓮。 笹峰優子。 やがて、日輪は静かに口を開いた。 「……月輪」 「はい」 「例のものを」 「承知しました」 月輪は一言だけ返すと、操作卓へ歩み寄った。 指先が端末に触れる。 瞬間―― 壁一面のモニターが、無音のまま一斉に切り替わった。 そこに映し出されたのは、 西破毛会の五人が失態を晒すに至った原因。 一条寺蓮だった。 そして、その傍らには笹峰優子。 裏路地。 蓮が優子の前に立つ。 次の瞬間―― 男が吹き飛ぶ。 別の映像。 蓮の踏み込み。 さらに別の映像。 拳が走る。 また別の映像。 蹴りが入る。 一つ一つの映像は短い。 しかし、それらを繋ぎ合わせていけば―― 一人の男が持つ戦闘能力が、徐々に浮かび上がってくる。 日輪は、黙って見ていた。 モニターの光が、仮面を照らす。 白い光。 黒い影。 その繰り返し。 やがて―― 映像が停止した。 蓮の拳が、敵の顔面へ届く寸前。 その姿が、大画面に静止する。 日輪は、その映像をじっと見つめた。 「……再生速度を落とせ」 月輪が操作する。 映像が、ゆっくりと動き始める。 拳。 肩。 腰。 そして――足。 日輪の視線が、蓮の足元に止まった。 「……なるほど」 低い声だった。 「拳だけではない」 蓮の動きには、拳だけでなく、足腰から全身を連動させる独特の身体操作があった。 踏み込み。 重心移動。 間合い。 そして―― ほんの一瞬だけ身体を沈める、独特の予備動作。 日輪は、それを見逃さなかった。 「この青年……」 わずかに間を置く。 「見覚えがある」 月輪は、何も答えない。 日輪は続けた。 「この流儀は……」 「……」 「表には、ほとんど名前が出ない」 その声に、初めて微かな興味が混じった。 「だが……私は知っている」 モニターの中で、蓮が構えを取る。 その瞬間―― 日輪の脳裏に、遠い記憶が蘇った。 山。 寺。 黒い道着。 そして―― 静かな目をした、一人の男。 「……拳禅」 その言葉だけが、暗室に落ちた。 月輪の指が、ほんのわずかに止まる。 しかし、日輪はそれに気づいたのか、気づいていないのか。 再び画面へ視線を戻した。 「確証はない」 「だが……調べる価値はある」 月輪は操作卓へ視線を戻した。 新たな検索画面が開く。 【顔認識検索】 【過去記録照合】 幾つもの情報が、画面を高速で流れていく。 その中に、一つの古い映像が表示された。 【二年前】 【浅草】 年の瀬。 人で賑わう下町。 観光客。 商店街。 そして―― 一人の男。 高橋浩。 その背後には、当時から彼の手下として動いていた男たちが二人。 高橋は二年前からすでに、【冥輪会】最末端の組織、BS商会を取り仕切っていた。 そして―― 蓮との格闘。 月輪の指が止まる。 「……二年前」 小さく呟く。 「そうか……あの時の青年か」 月輪は、再び蓮の映像へ視線を戻した。 二年前。 あの時の蓮は、特段変わった技を使っていたわけではない。 月輪の認識では―― 「少林寺拳法」 どこにでも存在する格闘技。 いや――護身術。 そう判断していた。 だからこそ、 別段、深く追う必要はない。 そう考え、見逃していた。 しかし―― 「……違う」 今回、西破毛会の五人を相手にした一条寺蓮の動き。 そこには、以前とは明らかに違うものがあった。 拳。 蹴り。 踏み込み。 体捌き。 そのすべてが、一つの流れとして繋がっている。 月輪の目が細くなる。 「この拳法……」 言葉を選ぶように、わずかに間を置く。 「見たことがある……」 しかし、すぐに首を横へ振った。 「いや……」 月輪は映像を凝視する。 「どちらかと言えば……我が流派に似ている」 一拍。 「天翔流に……」 モニターには、蓮が西川たちを圧倒する映像が次々と映し出されていく。 月輪は、その一つ一つを解析する。 「……凄まじい」 そして―― 別の映像が表示された。 先日の映像。 大通り。 街灯の下。 そこには、田舎から出てきたチンピラたちとの戦闘が映し出されていた。 クニオ。 盛田。 永澤。 蓮を取り囲む三人。 しかし―― 結果は、一方的だった。 月輪は映像を見ながら、静かに呟く。 「……こちらは、また違う」 画面が切り替わる。 「ムエタイ……」 さらに切り替わる。 「テコンドー……」 また切り替わる。 「躰道……」 蓮の蹴り。 回転。 踏み込み。 独特の身体操作。 「……いや」 月輪は、一度言葉を止める。 「待て」 映像を巻き戻す。 そして、もう一度再生する。 「それだけではない」 様々な格闘技の特徴を持ちながら、 それらに単純に当てはめることのできない動き。 月輪は、冷静に分析していく。 「この男……」 「いったい、どんな武術を学んでいる?」 その問いに答える者は、いない。 暗室には、モニターの電子音だけが響いていた。 そして―― 日輪は、静かに画面を見つめていた。 一条寺蓮。 その青年の正体を探るように。 つづく。 【本作に登場する国家・政策・事件・組織は、すべて架空の設定として構築されています。 現実の政治・国際関係・人物・社会問題とは一切関係ありません。】

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十一話 双輪動く(前編)