池田 青葉(いけだ あおは)

87 件の小説
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池田 青葉(いけだ あおは)

世界の心の居場所

サイレン蝉

妹だけには絶対負けたくなかった だから帰り道に買ったカップゼリーを 妹に食べられるわけにはいかなかった 何度俺のデザートを勝手に食べたことだろう 父さんや母さんが食べてしまったときは 仕方ないと思えるが 妹だけはどういうわけか許すことができない 敗北を突きつけられるような気がするのだ 夜中の間カップゼリーを死守して 明日の朝、食べていくために 俺は警備を固めることにした 近所のおじさんがくれたサイレン蝉を使うのだ 真っ黒のボディで世界の陰に潜むが 侵入者や異常事態を察知すると お尻と羽の脈が一気に赤く光り けたたましく鳴いて飛びまわるのだ 早朝の目覚まし時計よりうるさい サイレン蝉をゼリーのフタに置いて 冷蔵庫を閉めた 明日の朝、食べていくものに 昆虫が乗っているのは少し気味悪いが 妹に食べられるよりはマシだ 妹がこっそり現れて冷蔵庫を開けようものなら サイレン蝉の絶叫が鳴り響くだろう 夜中、麦茶を飲もうとしたばあちゃんに サイレン蝉が鳴き ばあちゃんがひっくり返るハプニングはあったが 無事で妹への牽制にもなったかもしれなかった 翌朝、冷蔵庫は閉ざされていた ゴミ箱にもゼリーの残骸はない 俺は勝利を確信した スプーンを片手に上機嫌で冷蔵庫を開けて 戦慄した カップはあるが ゼリーの中身が綺麗さっぱりなくなっていた 慌ててカップを手にすると 狂ったように蝉が鳴き散らした 耳の奥が痛くなるほどの音が木霊し 赤く発光しながら飛びまわっていたが やがて窓から出て行った カップのフタに目をやると プツリと小さな穴が空いていた あの野郎……、と窓の外を睨みつけると 騒ぎを聞きつけて妹が起きてきた 俺、カップ、窓の外を眠そうな目で順に見た後 「小さい男……」 と冷酷な顔で言い放った ゼリーだけではない 俺は自尊心までも吸い取られてしまった

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サイレン蝉

アリの大行列

ある日、アリの大行列を見つけた アスファルトの道の上に黒い線のように 果てしなくつづいている この行列の先には何があるというのだろう 列の前方から歩いてきたアリたちも 律儀に列の最後尾へと並んでいる よく見ると四方八方から集まってきては 最後尾を奪い合うように列を作っていた アリたちがそこまでして行きたい場所とは 一体どこなのだろうか 子どもが落としたお菓子でもあるのか それとも女王アリの握手会や アリのテーマパークだろうか 列の先へ歩いていってみると アリたちの異変に気づいた ハエの死骸を運んでいるアリは 重そうに何度も地面に降ろしている テキパキと動くはずなのに ノロノロと歩くアリもたくさんいて どこか無気力であるように思えた やがてアリの列は駅の構内へつづく どこへ行くのだろうかと追っていくと エスカレーターに辿り着いた 手すりに黒い線が繋がっているではないか 手すりのアリたちは虫や花を降ろし 歩かずに立ち止まって 自動システムに身を任せていた 上まで行ったら手すりから降りて それぞれの方向へ歩いていく 先には田舎道に面した出口がある 僕はそこでアリたちを見送って 何が働き者だと心の中で吐き捨てたら 人の流れでエスカレーターに乗って ホームまで降りていく

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永遠珈琲

20年前に亡くなった父の部屋から 一杯のコーヒーが見つかった 物置の奥にカップがあってラップがされていた そばに置いてあったコーヒー豆の袋には 「永遠珈琲」と書かれている 不思議なのは 20年以上も前のものであるはずなのに カップが熱を持っていることだ 新作小説の執筆をしていたが 夜中になって息詰まり 何かに縋るような気持ちで父の部屋に来た 父も小説家だった 一緒に過ごした時間の俺はまだ小さくて 夜遅くまで父が何をしていたのか よく分からなかったけれど 今なら分かる 父は命を削って夢を追いかけていたのだ 必死に。とにかく必死に。 俺が寝たあとで 今の俺と同じようにもがいていたのだろう 眠りたくても眠れない 逃げたくても逃げられない 死んだとしてもやるしかない 夢にはそういう悪魔的な何かがある 父はこの永遠珈琲を相棒に 孤独な夜を乗り越えていたのだろう 埃を被ったラップをとると湯気が上がって コーヒーの深い香りが漂ってくる 20年以上も前に父が淹れたコーヒー 表面は綺麗で昨日のものみたいだ 俺はそれを一口飲んでみた 「あちっ」 思わず口から離す 今も机の上には大量の原稿用紙が 積み上げられていて舌先がヒリヒリする 父の夢で火傷した

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デンプンさんの夢

突然、鍋のフタが爆発した キャンプ中にジャガイモを茹でている鍋を 見ているよう頼まれたときだった 鍋の中からはフタを押し上げるように 白い泡がモコモコと立ち上がった 帽子のようにフタが乗っている 少年は固まっていたが 我に返って指で突いてみると 泡が噛みついてくるではないか 泡の表面に目、鼻、口が 凹凸となってできている 「お前に頼みがある」 泡は偉そうな調子で言った 「あなたは誰?」 「デンプンさんと呼べ」 デンプンさんはフンと鼻を膨らませた 「俺はすぐ消える。だからお前に頼みがある」 「なんでしょう」 「一度でいい。煙草を吸ってみたい」 「肺がまっ黒けになってしまいます」 「俺はすぐ消えんだ。関係ねえ」 「ダメです。それにぼく、持ってません」 「使えないガキだ!」 デンプンさんは焦ったように怒った。 「じゃあサングラスだ! イカしたサングラスをかけて日焼けしたい」 「日焼けするとお肌に良くないってママが」 「うるせえ! 早く持ってこい!」 デンプンさんが喚き 少年は弾かれたように母親のバッグから 三角形のヘンテコなサングラスと手鏡をとった 「これ、ママのだから……」 「早くつけろ!」 目の窪みのところにつけて手鏡で見せてやると 母親の足音が聞こえてきた デンプンさんは泡の角度を変えながら さんさんと降り注ぐ日光を浴びて 自分に見惚れている 母親がもどってくる直前、 デンプンさんは満足そうに 「これが生きるってことか」 と言うと、サングラスもろとも鍋の中に消えた フタがガシャンと落ちる 音を聞きつけた母親が現れると 鍋のフタを持ち上げて中を覗いた 「何これ!」 こんがり焼けたフライドポテトが できあがっているではないか デンプンさんの夢は 叶ったのかもしれないと思ったとき 母親の嘆きが晴天に響き渡った 「私のサングラスッ!」

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デンプンさんの夢

この世界の理

溶けない氷を見つけた 目覚めの一杯でコーヒーを淹れたけれど あまりにも熱くて 小さな氷を一つだけコーヒーの中に入れた 氷は溶けてコーヒーが冷めていくと思ったが 溶けるどころか冷凍庫に入れられたように 表面を曇らせて固まっている 隅のほうでプカプカ浮いているところを 指で突いてみたけれど 溶ける気配などなくて冷たいままだ この世界のルールに反している 氷は身を守るように固くなっているのだ どうしてなのだろう はじめはおかしいと思ったけれど 突然、高校のころを思い出した 新学期で新たなクラスになったときのことだ 運動部に属す人が多くて クラスの中心なるものが 騒がしさによって形成されていたとき 僕はまったく馴染めなくて体を固くしていた 顔が強張って 表情の作りかたも視線の置きどころも分からず 本を開くことしかできなかった この氷も自分とは正反対の環境に入れられて 体を固くしているのではないか あのときの僕と同じように しかし新しいクラスになって少し経ったころ 一人の女の子が話しかけてきた 「その本、私も読んだことあるよ」 あの子は今、何をしているだろうか 僕は冷凍庫から小さな氷をもう一つ取ると コーヒーの中にそっと入れた 二つの氷はカップの隅でコツンとぶつかって 苦いコーヒーの中に溶けていった

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雪だるま泥棒

雪だるまが冬を越した これはものすごい偉業だろう 冬が終わりそうなころ家の中に入れて 大きな冷凍庫の中で可愛がりつづけた 庭に新芽が出ても雪だるまはそこにいた しかしある朝、雪だるまは盗まれた どうやったのか 窓の鍵も冷凍庫も開けられていた 大切にしていた雪だるまが消え去り 俺は膝から崩れ落ちた 寒い雪の日 作った日のことを今でも覚えている 「雪だるまが盗まれました」 警察に通報したけれど 取り合ってもらえなかった 自力で見つけだすしかない 外は半袖でちょうどいいくらい暖かかった 持ち出されたときに溶けたのではないかと 絶望的な気持ちになる 手がかりがないか庭を探していると 溶けかけた雪が落ちているのを見つけた 家の前の通りにも落ちていた その先にもまた雪が点々とあって 溶けているだろう雪だるまの跡を 息を乱しながら追っていった 並木道まで辿りついたとき 道の真ん中に人が群がっていた まさかと思い近寄ると その中に雪だるまがいた この暖かさで半分以上が溶けていて 辛うじて顔だけが残っている 石を埋め込んだ目がチラッと動いて俺を見た 木の棒で作った口が苦しそうに揺れている そのとき俺は 雪だるまは盗まれたのではなく 自分で逃げたのだと悟った 寒い雪の日 別れた彼女と作った雪だるまだった ずっと失いたくなかった思い出が 足元で溶けようとしている 俺はそばに跪いて 重そうに乗っている帽子のバケツを とってやった 雪だるまは震える枝の手で 崩れそうになりながら俺の手に触れてきた 「もう終わったんだよ」 どこからか絞り出すように声がすると 雪だるまは溶けて崩れていった 俺は深く息を吐いて顔をあげた そこは息をのむほど美しい桜並木だった

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ゴミタコ

夏祭りのゴミ箱にタコが出現したらしい 中のゴミを食べているようで 辺りは少し騒がしくなっていた 気持ち悪いという声や汚いという声が 飛び交っている 近くへ行ってみると ゴミ箱の辺りだけ避けられているように 人が少なかった ゴミ箱には蓋がされているが 時々、陰険な目だけが覗いて タコがジーッと外を見ていた 誰かが通報したようで もうすぐ駆除業者が来るらしい 通称ゴミタコは以前は 山の中のゴミを食べていたようだが 近年はどういうわけか 人里に降りてくることが増えた 生まれながらにゴミを食べる種で ヌメヌメとしているため 嫌われものになっていた 警戒心が強いのか、シャイなのか ゴミ箱の中に姿を隠し 気づかずに蓋を開けた人の顔面に 泥のような墨を放ったこともある どうやらゴミタコも人間を嫌っているようだが それならどうして夏祭りに現れたのか 僕はたった一人、ゴミ箱に近づいてみた 手前で止まって静かに待っていると 少しだけ蓋が開いた その隙間の奥からジロリとこちらを見ている 僕は慎重に空のペットボトルを差し出してみた ゴミ箱の蓋は閉まりかけたが 再びゆっくりと持ち上がる しばらく様子を伺っているようだったが 恐る恐る触手を伸ばしてきた 触手の先でチョンとペットボトルを突つくと ヌメッと掴んでゴミ箱の中へ回収していった そのとき背後が騒がしくなった 雨合羽のようなものを着た男が二人来ていた ゴミタコ駆除業者である ズカズカとゴミ箱へ進むと なんの躊躇いもなく蓋を開けた 中から墨がまき散らされて悲鳴が上がる 男二人はまったく怯まずに トングをゴミ箱に突っ込むと タコを引っ張り出して透明な袋に放り込んだ 業者は袋を持って淡々と去っていく 野次馬がサッと左右に分かれた 「待って」 僕は思わず口走っていた しかし振り返った業者の目は冷たく 野次馬も汚物を見るような目をしていて 結局、何も言うことはできなかった 業者の背中が遠ざかっていく その袋の中でタコは ペットボトルを触手で掴んでいて 僕のほうをジーッと見ていた

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見える下心

下心は最後の最後まで見せるな というのが先輩の教えだったし 表情に出さず落ち着いていれば 見透かされることはないというのが この世界の約束であるはずだった しかしこの世界によって約束が破られた 俺はただ女の子と遊びに行こうとしただけだ この世界は俺の中に潜む怪物を 明らかにしやがった 異変に気づいたのは 髪をセットしていたときだ 真剣な顔でセットしていたが 鏡に映る俺の顔は 片方の口角を意地悪そうに上げて いやらしい笑みを浮かべていた どこか般若のようでもありゾッとした 頬を叩いても悪い顔のままで 俺の顔はこんなになってしまったのかと焦った 「俺って今、真顔だよな?」 「いつもと変わんないけど」 友だちに確認してみると 鏡に映る顔だけ般若のようになるようだった 夕方、少し前に仲良くなった女の子と合流して スカイツリーへ向かった 綺麗な景色でいい感じの雰囲気にしてから お酒でも飲みに行く作戦だ カーブミラーやエレベーターの鏡などに 顔を映さないように気をつけた 展望フロアは男女であふれていた ちょうどビルの間に夕日が沈むところだ 世界が終わるような美しさに息をのんだし 一緒に来た彼女もうっとりしていた そして、景色は少しずつ暗くなっていき 夜景を見ようとさらに男女が増えてきた 酔いしれるような大人の雰囲気が漂っていく そのとき、小さな男の子が泣き出して 俺は恐ろしいことに気づいた 展望フロアのガラスには美しい夜景ではなく あわれな男たちの姿が浮かび上がっていた 般若、般若、般若、般若、般若 優しそうに微笑む男も 眼鏡をかけた真面目そうな男も 堂々とした金持ちそうな男も そしてこの俺も 見渡すかぎりの般若である 背後霊か何かのように 女たちの横にぼんやりと立っている 俺が慌てて彼女を連れて エレベーターへ向かうと 男たちは一斉に身を翻した エレベーターの前はものすごい騒ぎである 「急にどうしたの?」 と彼女が尋ねてきたから 「これには深い訳があるんだ」 と答えて先を急いだ まぁ、とりあえず酒でも飲みに行こう 押し合いへし合いする人たちを見て 男ってものは本当に馬鹿だと 俺は思った

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三途の川

三途の川で船酔いした 通夜の供えものを食べすぎたせいもあって 今にも吐きそうだ 今世を振り返りながら 静かに渡ろうと思っていたが これではまったくじゃないか 少し停めてくれと言っても 船頭は小舟を漕ぐ手をゆるめない 縁にしがみついて川面を見ると 蒼い顔のあわれな男が一人映っていた 俺は最後の最後まで俺である 子どものころから 乗りもの酔いがひどかった 車にバス、電車、新幹線、船、飛行機 心配する母の顔 自分を何度呪ったことだろう 周りの死者たちが静かに渡っていくなか 俺だけがゲーゲーやっている あれほど恨んだ乗りもの酔いだが 俺が俺として生きていた証だったのだと知った 吐きそうになりながら小舟に揺られていく 背中をさすってくれた妻はもう隣にいない ひどい乗りもの酔いのせいで たくさん迷惑もかけた 思い出すのは そういった日常のくだらないことである 遥か遠くで泣いているだろうか しかし泣いているのは俺のほうだった ゲーゲーやりながらも涙が止まらない やがて死の向こう岸が近づいてきて 俺はフラフラしながら舟から降りた 生きた心地がしない そりゃそうか、死んだんだから 妻への想いと全身を蝕む気持ち悪さを背負って 先へ先へと歩いていく そして、失いたくなった妻への想いも いらなかったこの気持ち悪さも すべてが溶けていった

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桜が散るわけ

もう内定をもらった人もいるのに 私はまだ就活に本気になれていない 妙に重いモヤモヤを抱えて 桜並木のなかを散歩していた 胸がいっぱいになるほどの満開なはずなのに どこか息苦しさを覚える ヒラヒラと花びらが落ちてきたとき どうして桜は散るのだろうと思った 「思い詰めているんですか?」 突然、ベンチに座ったおばあさんが 話しかけてきた 「あ、いえ……」 私はぽりぽりと頬をかいて、 「何で桜は散るのかなって……」 おばあさんは眼鏡の奥で静かに笑った 「どうして散ると思いますか?」 「季節が巡るから、ですか?」 このおばあさんは すべてを知っているような気がして 思わず尋ねてしまう 「それでは、私たち人間も自然も 時に流されて生きることしか できないのでしょうか?」 「時の流れには逆らえません」 私はきっぱりと言う。 「もちろんそうですね。しかし、 私たちの生き方もそうなのでしょうか?」 おばあさんは優しい笑みをたたえている 「どういうことですか?」 「私が思うに、 桜は自分で木から手を放すんです」 まだ枯れていないピンクの鮮やかな花びらが ひらひらと舞い降りてきた 「時が来たからでも 雨風に打たれたからでもありません」 「自分で手を放す……」 私は一面に咲き誇る桜を見上げた 「咲くことだってそうですよ。 春が来たから咲くのではないんです。 咲くと決めたから咲いているんです」 おばあさんはさらにつづけた。 「時に流されて生きるのと 自分で選んで生きるのとでは とても大きな違いがあるのですよ」 おばあさんは私を見透かすように 眼鏡の奥でまた笑った 「ただの年寄りのひとりごとです」 私は桜並木の中に佇んで おばあさんの言葉を いつまでも繰り返していた

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