痛みを知らぬ男

痛みを知らぬ男
 男は痛みを知らなかった。二十と数年生きてきた中で、痛みというものを感じたことは一度もなかったのだ。子供の時、転んでも彼は泣かなかった。膝からだらだらと血を流しながら、心配してオロオロとしている母親を気にもせず、再びアゲハチョウを追いかけ始めた。  ある日、彼は土手を散歩していた。もう随分くたびれてしまった黒の中折れハットをかぶり、同じ色のジャケットを羽織った、散歩には少々似つかわしくない格好だった。よく晴れた土曜日の朝で、ジョギングや散歩に勤しむ者も多く、まだ朝も早いというのにしんとした雰囲気は全くない。  そこで彼は、花を摘んでいる風変わりな女と知り合った。子供ならまだしも、彼女はもう二十を過ぎた立派な成人で、もうすぐ三十になろうとしていた。 「あなた、そこの黒い帽子を被った、素敵な殿方よ」  彼女はそう言って、男を呼び寄せた。 「なんの用ですか」  男はこの妙な女につっけんどんな態度を取ったが、彼女はそれを気にすることもなく話し続けた。 「なんだかとてもあなたのことが気になってしまったの。お友達になってはくれないかしら」  男は特に断る理由もないので、彼女と友達になることにした。それから彼らはよく会い、話し、遊ぶようになった。チューリップ畑に行った時は、朝から晩まで共に過ごしたりした。そのうち彼は、彼女といると、胸の辺りが詰まるような、変な感覚を覚えるようになった。 「やれ、病気か。医者に行かねば」
みねたゆう
みねたゆう
BLと純文学がすきです。出戻り組。