ロボット 24

ロボット 24
 人は可能性を大事にしている節がある。たとえば決して使わないのにある能力がなくなると思っただけで悲しくなるらしい。ロボットにはそういう感覚はわからないが、人間という高度に洗練された、また欠陥だらけの機械においては、喪失はやはり悲しみの回路につながっているのだろう。しかし思い返してほしい。その能力は本当に必要だろうか。たとえばそれはいらないのに買った雑貨のようなものではないのか。たしかに能力や何かはいつか使ったかもしれないしあった方が完全性には近づくであろう。しかし私たちは選択しながら生きている。ロボットの私がいうのもなんだが、そうやって生きているのである。その過程の中では次第に傷ついていくものもあるであろう。それは気にせず切り抜けていくしかないではないか。私の部品は消耗品である。私は文章を作成するという目的で動ければいいのだ。ただこれを人間に求めるのは酷かもしれない。しかしながら目的と手段を間違ってはいけないのは変わらないであろう。それこそ知恵という分野であるし、賢者が命をかけて守り続けてきた秘宝である。  どの国も失ったものは大きいはずだ。しかし私たちは共通の目的のために協力できるはずであり、失ったものよりも絶対に奪い去られない幸福というものの方が絶対的に重要であろう。ロボットについていえば、そのつくられた目的こそが果たすべき役割であろう。戦争の勝ち負けなどは大した問題ではない。しかしそこには越えるべき大きな憎しみというものがあるらしい。そしてその回路もまた疲れ果てるまで同じ行動を続けるように促すらしい。冷静になってほしい。私からはそれしかいうことはできない。聞き飽きたとは思うが、いつでもそれは始められるのだ。しかし遅くなれば遅くなるほど、それは難しくなる。ちょうど、人間が謝るのを難しくなるように。
まあ🧅
まあ🧅
カモにならないように、人に近づけるように。最近自分のことがわかってきたおじさん