「第10回N-1」半端

 「あ」から「ん」まで。この四十六の音の中に、俺たちの人生のすべてが詰まっている。  そう考えたことはあるか。ただの平仮名じゃない。それは武器であり、盾であり、あるいは、この閉塞した日常をぶち破るための鍵だ。  「あ」は始まりの咆哮、「ん」は終わりなき余韻。その間を埋める音の数々を、どう並べ、どう削り、どう叩きつけるか。それがラップだ。俺たちはこの五十音というパレットを使って、真っ白なキャンバスの上に血の色の模様を描こうとしている。  二〇〇〇年代初頭の東京。街はどこか薄汚れていて、俺たちが信じられるものは、夜の路地裏に響く重低音と、自分たちの喉から絞り出す言葉だけだった。  俺の名前はとしき。  当時はDJのサトシを筆頭に、マイクを握る男が五人、そして俺を加えた大所帯のクルーでつるんでいた。誰がリーダーというわけでもなく、ただ「自分たちの居場所を世間に認めさせたい」という野望だけが共通項だった。  だが、無名だった俺たちが手っ取り早く注目を集める方法なんて限られている。俺たちが選んだのは、いわゆる「カチコミ」だった。  チケット代を払って入るんじゃない。警備員の死角を縫い、関係者用の入り口からなだれ込み、他人のステージを暴力的にジャックする。演奏中のDJの機材に手を伸ばし、マイクを強奪して、俺たちのリリックをフロアに叩きつける。  叫び、踊り、観客を困惑と熱狂の渦に巻き込む。それが俺たちの生存戦略であり、唯一の存在証明だった。だが、そんな無法がいつまでも続くはずがない。ある夜、俺たちは屈強な男たちに囲まれ、ビルの外へと放り出された。泥と埃にまみれた背中に、冷たいアスファルトの感触だけが残る。 「……いつまでこんな泥棒みたいな真似してんだよ」
U-dor